なんか最近、

自分を大きく見せようとするエントリが多いような気がするのは気のせいか。 いや、興味を持ったことを、書こうとしている状況は変わってないんだけど、 冷静に考えて理解が不十分なことを、 さも知ってるかのように書く、または批判すらする、 そういう態度がなんか、安直かつ軽薄に思えて、ホント、読み返して恥ずかしい。 きっと、何もわかんない人にとっては、 入り口くらいにはなっていると信じてるけど、 少しは知ってる人にとっては、 その解釈どうだろう、ってな部分もあるんだろうなぁと。 言及しておきたい、 何らかのリアクションを示しておきたい、 そんな気持ちはあるんですけど、 それが上手く書き落とせていないですね。 なーんだろ。 なんか、焦りとか、コンプレックスとか、あるのかもしれません。 うーむ。 ちょっと考えてみます。 その間にもまた、似たような記事を書きそうなんですけどね。 はてブとmixiで、 意識が拡散しつつあるのかもしれないなー

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15 Ways To Live Longer(長生きする15の秘訣)

その後、「そういえば・・・」と思い出したForbesの記事もひっぱりだして眺めてみた。 » 15 Ways To Live Longer(長生きする15の秘訣) まぁ、常識ですが、普段の生活をふと振り返ることができてよかったです。それぞれの項目には豆知識っぽいものもあるのでご興味のある方はどうぞ。
へー。そんなものが。 長生きの秘訣、なーんていうと、 なんかかたっくるしいものを想像してしまうけど、 そんなのではなくて、 もっと明るく生きようぜ、というような感じ。 Forbesってことで、リンク先は当然、英語なので、参考までに、 一部を除いて、田口さんの和訳をお借りしつつ、原文を対比させて紹介すると、
1 Don’t Oversleep(寝過ぎないようにしよう!) 2 Be Optimistic(楽観的であれ!) 3 Have More Sex(もっとセックスを!) 4 Get A Pet(ペットを飼おう!) 5 Get A VAP(健康診断を受けよう!) 6 Be Rich(お金持ちになろう!) 7 Stop Smoking(禁煙しよう!) 8 Chill Out(リラックスしよう!) 9 Eat Your Antioxidants(アンチエイジングな栄養素をとろう!) 10 Marry Well(良い結婚生活を送ろう!) 11 Exercise(運動しよう!) 12 Laugh A Little(ちょっと笑おう!) 13 Lose Weight(体重を減らそう!) 14 Manage Stress(ストレスを減らそう!) 15 Meditate(瞑想しよう!)
ほうほうほう。 なるほどね。 いかにも、アメリカ人が好きそうな感じが漂ってるけど(笑) 一応、解説の文章も載っているので読んでみる。

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mixiは『WEB2.0』か?

今回はコンパウンドドキュメントについて書くという話をしていたのですが、先日のエントリーMobile2.0 / Web2.0とモバイルの境目について講演しますについてなんだか沢山トラックバックをいただいていたので、E3に出発する前にそのフォローをしておこうと思います。 どうも僕がWeb2.0という言葉をきちんと理解していなかったらしく、
それがWeb2.0になってから、モバイルの世界にもWeb2.0的な切り口でサービス展開を図ってくる会社が増えて来ました。 たとえば「はてなRSSリーダー」や「mixi」、そしてもちろん「Google」などです。
なんて具合に書いてしまったのですが、「mixiのどこがWeb2.0なんだ」という怒りと疑問の(?)トラックバックを沢山いただいていたようなのでお詫びと修正と僕なりの補足をさせてください。
ははは。 『WEB2.0』で食おうとしてる人にとっては死活問題だろうから、 人によってはきちんと区分けをしたいと思うかもしれないね。 mixiをWEB2.0と書いてあるのを読んで、 嘘つき呼ばわりするほどたいそうなことかいと思うけど、 もし僕が営業だったら、大問題だろうね。 そこんとこ切り口で入っていきたいと思うかもしれないし、 そのノリで『mixiとか…』と話し広げたら、 逆に、『え、アレってとてもそうは見えませんよ、だって…』 なんて切り替えされたら二の句も告げませんもんね。 まぁ、それはそれとして、 僕は、mixiは『WEB2.0』とは違うと思うけど、 WEB2.0的、と言われてしまうと案外、否定できない気もするな。 多分、否定的な人ってのは、APIとか、Ajaxとか、そういうことを言ってるんだろうな、と思う。 確かに技術的には、5年前だって出来たようなサービスなんだよね。 プログラムと、DBがありゃ出来る…と思うし。 で、記事内で指摘があるとおり、SNSは基本的にクローズド。 だから、情報の再利用が不可能という点で、WEB2.0とは言えない、まぁそれもそうなんだけど、 僕が思うに、WEB2.0ってのは、 様々な要素を全て満たすモノが得られる称号、ではないような気がする。 つまりさ、APIを提供しているサービス(例えばはてな)が、 WEB2.0だというのは、正しいだろうけれども、 APIを提供していないサービスはWEB2.0ではない、というのは、 そこから導かれる命題と結論としては適切ではない、と。 WEB2.0の特徴とされるものの中の1つまたはいくつか、 それが概念だけであっても、 それがぴたりと合っていれば、WEB2.0と言えるんじゃない?と。 まぁそもそも(書く必要はないと思うけれども)、 WEB2.0に今さら厳格な基準を設けようとしている点で、 ピントがずれているんだけど、 (だから識者ほど、『これはWEB2.0?』という質問に対する回答が曖昧) mixiのどこがWEB2.0的かっていうと、 やっぱりさー、情報を中心にしてコミュニケートしようっていう姿勢だよね。 これは、Flickrでも、はてなの各サービスでもあることで、 その手段が、トラックバックや、タグ(フォークソノミー)ではないけれども、 mixiには、マイミクシィという優秀な、情報共有機能があるわけで。 blogのカラムに表示される、blog peopleの更新情報と、 mixiの更新情報には、共通点がある。 殆ど、Pingと同じだ。 仮に、mixiをひとつのサービスという枠ではなくて、 自分のページと、友人のページというスタンスで見た場合、 その二つのページの間で情報をやりとりしているのは、 ある意味でAPI的プログラムだろうし、 各ページ間で、情報はオープンであると言える。 コミュニティだって、画像があってトップページがあって、 という体裁だからそうは思えないけど、 あれだって、解釈によっては、フォークソノミーに近いものと捉えることが出来る。 そのページ(人物)に付けられたタグだ。 それをベースに、出身や性別や既知かどうかの要素を越えて、 横断的に繋がることが出来る。 これ、WEB2.0『的』じゃない? もちろん、このエントリは、先の仮定、 『特徴をひとつもしくはいくつか満たしていればWEB2.0的である』 から出発しているから、 それに対して否定的な立場を取る人から見れば、 mixiはWEB2.0的ではない、となるだろうけど、 フォークソノミーにせよ、APIにせよ、そしてもちろんWEB2.0にせよ、 大事なのはその技術そのものだけではなくてさ、 その意図、思想、概念、そういうものなんだろうなと。 そうしたモノを抜きで、何でもかんでもWEB2.0と叫ぶ人や、 また、識者と目される人が、言ったことに対して、 無自覚に賛同、批判し、あげくに嘘つき、と呼ぶ人、 (自己判断がそこにあれば、嘘つきなんて単語は存在し得ない) そういう状況を、僕は気持ちが悪いなぁと思って眺めているのだけど、 どうだろうか。 はっきり言って、冒頭に上げたような理由で、 WEB2.0という言葉を仕事で使いたい人以外にとっては、 まったく、無駄な努力だ。 で、厳密にそれを把握してから喋りたいと思っている人は、 その言葉は使わない方が無難だと思う。 ってわけで、もう二度と主題には持ってこないぞ。 WEB2.0。 これで終わり。

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写真を撮ることとマナー。

ブクマ繋がりでこんなエントリ。

たとえば食事中に、料理を一々写真に撮りたがる人って、頭がおかしいんじゃないかと思う。  目の前に美味しい料理、向かいに新しく出会った人や親しい人、そして全体を包む落ち着いた空気。ここで、携帯カメラのあの「パシャリ」という下品で不自然で馬鹿でかい機械音を響かせる人がいるわけだ。少なからず。そこら辺のブログを見てみればいい。食事中に撮った美味しそうな写真で溢れているから。  ねえ、何のためにそこにいるの?
あはは(笑) この人のダイアリ、『頭おかしい』『死ねばいいのに』『死にたい』『正当性云々』という、 自意識過剰系痛ダイアリらしいので、 文字通り受け取ることは危険なのだけれども、 そういう、『一見よく見るけど意味なんか全くない単語』をより分けて行くと、 主張はこんな感じ。
a) カメラの撮影音は迷惑だ。 b) レストランなどの落ち着きを求める空間で、携帯カメラで写真撮影するのは単純にマナー違反だ。理由は、相手の人に失礼なことと、a)。 c) 想い出を可視化しないと不安な人はおかしい。  むしろ、可視化に払う努力で目の前の楽しみを失っている。 d) 常に更新のことで頭がいっぱいなブロガーはおかしい。依存症? e) ブログ依存症と、思い出に再現可能性を求める心理は似ている。ブロガーの多くは多分それ。そして無神経。

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反省。

どうもこのところ書く文章、 テーマと書きたいことが、ごちゃ混ぜに詰め込まれて、 結局どっちも中途半端、という文章が多い。 多分、どこかで見た文章のテーマからインスピレーションを受けて、 それに従って生まれた自分のテーマで文章を書く…まではいいんだけど、 でも一応、元ネタのテーマもフォローしておこうとか、 そのテーマと僕のテーマとの関係性を示そうとか、 むしろ絡めて書いてみよう、 なんて、欲を出していくとどんどん収拾が付かなくなってきて、 文章としてダメになっていくわけで… 狙いをもっとずっと絞ろうと思います。 その方が、書く方としてもいいや。 自分でもわからない文章を書いてしまうよりは。 反省。

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山田玲司 × ほぼ日

ほぼ日刊イトイ新聞 – 山田玲司が語る、永田照喜治。 『永田農法』で有名になった、永田照喜治さんについて、 山田怜司さんが、ほぼ日で語ってます。 例によって、脱線して、『山田怜司のインタビュー』になりかけて、 また戻って、とかしてますが、 まぁなんだろうな、興味深い。 もちろん、永田さんにも相当の興味があるけれども、 山田さんにもかなりの興味がある僕としては、 (そして当然、ほぼ日、および糸井重里さんにも) 思うところのたくさんあるコラムになってます。 安易に抜粋したり、引用したり、理解ると言ってみたり、賛成したり、 そういうことをしたくはないのだけど、 最近ずっと考えていることがちらりと見えたので、 その辺を。 インタビュー自体は、それが主題でも何でもないし、 これから書くことはインタビューとは全く関係ないので、 誤解無きよう。 * * *

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Amazonカスタマーレビューの件

はてなのNaoyaさんが、Amazonカスタマーレビュー における、 FF12に関するレビューに対して、 作品は制作者にとって大事なものだから批判(批評)はもっと慎重にしてもらいたい、 というような趣旨のことを書いていた。 (多分このまとめ方で合ってるはず) naoyaグループ – naoyaの日記 – 作品を批判すること それに対して各方面で、様々な意見が出ていたのだが、 なーんとなく、その日記に対する批判と言うよりも、 インスパイアされて書いたものを、反対意見と位置づけているものが多いような気がして、 なんだか話がかみ合っていないなぁ、と思いながら眺めていた。 (結局、Naoyaオレオレ主義とか感情論、人格攻撃に達してる人もいたりね) 例えば、プロなら批判を受け止めろ、というエントリ。 その表現自体は正しいと思うのだけど、 それって『ナオヤエントリ』の反対側の意見かな。 なんか違う。 受け止められる批判が、クソゲーっていうレビューなのかという。 そのどこに受け止める要素があるんだって言う。 (実際どう活用されてるかはともかく)参考にする人がいるレビューなんだから、 ちゃんと書け、と。 そのレビューのどこに、プロがプロとして受け止めるべき要素があるのか、 ただ、反対票プラス1なだけなんじゃないのか、っていうね、 匿名がどうとか、無責任がどうとか、クリエイターが可哀想とか、 そういうことじゃなくってさ、 そういうことはAmazonじゃなくてブログで書け、と。 僕はそういうことを思うわけですよ。 で、続いて、そこに上げられていたリンク、 Game Programmerグループ – Nao_uの日記の、 FF12に対する感想を読んでみる。 実際にプレーしながら感じることが、箇条書きながら細かに書いてあって、 もしコレがAmazonレビューならどんなに役に立つことか、と思う。 このエントリの批評を読んで、傷つくクリエイターはいないでしょ。 もし、これすらダメージだとナオヤさんが言ってるんであれば、 そういう人はコミュニケーションは止めた方が良いなぁ。 クリエイターは止めて、アーティストになりなさい。 でも、僕にはそうは取れなかった(あくまで僕の価値観)し、むしろ、 批判するんであれば、こういう形の批判をして欲しい、といってる気がする。 そういう点で、ナオヤさんと、Nao_uさんとはちっとも食い違ってないように見えるんだけど、 僕の目は曲がってる? つーかそもそもの話。 Amazonのカスタマレビューってクソだぜ。 そこで目くじら立ててる時点で、どうかしてる。 だから、笑い話にしかならないんだよなぁ。 大体さ…発売前のゲーム、本、その他にレビューが一杯くっついてるのっておかしかないか? 今日現在、『MOTHER3』(4/20発売)にも、鬼のようにレビューがくっついてるけど、 そこは感想欄じゃねぇ、っつーの。 やってもねぇのに、☆5つとか付けるなと。 前作を褒めたいなら、前作を検索してそこにレビューを書けよ。 てめぇの思い入れを書くとこじゃねぇよ。 僕はFF12はやってない(それどころか9以降やってない)が、 前作踏まえてレビュー書いてて、 今回みたいにそれまでとは違った雰囲気になったら(未確認だけど)、 そのレビューは嘘だろう? クリエイターが傷つくとかどうとか知らんけど、 (あれ?話が違っちゃってるけど) 取り敢えずAmazonのカスタマレビューは何とかせいよ、と思う。 マジメに書いてる人もいるのに、 そうちょうど、Wikipediaと同じようなことだとおもうけど、 もうホント役に立たない。 そういうわけなので、あの役立たずのレビューに対して、 無責任とか、安易すぎるとか言う『批評』は、 もう殆ど意味がないわけでありまして、 前提条件を変えて、再度エントリを書き直すことをオススメします。 話はそれからだ。

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『スクール・カースト』

スクール・カースト… まぁその辺キーワードに難しい議論が展開されているかもしれないのだけれども、 そういう中には例によって入りたくないので、 ネタをネタとして楽しんでみようってわけで。 Masaoさんの純粋なココロ 2.0を見てみると、面白そうなものが載っていた。

前回の記事で考えた、「趣味による差異化ゲーム」(他者承認)と「楽しむこと」(自己満足)は別物という概念。この概念でスクールカーストや脱オタを分析してみたら面白いことになるんじゃないかと思ったので、早速実行。
で、そうした、学校など(狭い空間)にありがちな、 『カースト』を視覚的に表現したMAPを、 (あくまでネタベースとして)作成されているんだが、 殊の外面白い。 一応用語を僕なりに咀嚼して解説すると、 生活の価値観を、他者承認と、自己満足の二つに大きく分ける。 『他者承認』は、まぁなんだろうな、友達の多さとか、クラスへの受け入れられ度とか。 『あーいたなーそんなヤツ』じゃない、『そうそう、アイツがさ』という存在感。 『自己満足』は、楽しいとか、嬉しいとか、そういう感情。 部活で充実してるとか、恋人が出来たとか、そういうことかな。 そう考えると確かに、そういう定義は成り立つね。 単純な三角形(ピラミッド型カースト)じゃないところも面白い。 で、人間の自己顕示欲などに基づき、 往々にして、『差異化ゲーム』、つまり、 誰かより持てるとか、スポーツが出来るとか、頭が良いとか、 そういう人より上にいるという優越感を味わえるようになりたいと、 多くの人が望む状況が生まれるわけだ。 『フォースの暗黒面』に堕ちるというのは、 そうした『差異化ゲーム』そのものを目的として、生き方を決めようとすること。 例えばさ… 『野球よりサッカーの方がもてるから、そっちにしようぜ』 とか、 『ホントはアニメが好きだけど、オタクって見られたくないから洋楽好きってことにしとこう』 とか、そういうこと。 その結果、本当にサッカーや洋楽が好きになれば、 友達が出来たり、いつの間にか輝いて見えたり、一生の趣味になったりするんだけど、 『差異化ゲーム』での勝利のみを目的にしてると、 結局はねやっぱり、あんまり楽しくない。 で、『僕はもう疲れたよ、パトラッシュ』状態に。 あーそういう人って、『学校』じゃなくたって、いるよね。ふんだんに。 そう考えると、学校生活って、社会の縮図…使い古されてるけど、 要は、想定しやすい要素だけを盛り込んだ、特殊な実験空間にも見える。 あんなに大勢の、自分と同世代の人間と、 狭い空間に隔離される状況、って『現実的には』無いもんね。 社会中心に見てみると、もの凄く不自然な環境だし。 その実験空間から得られる結果って、なんらかの形で、社会にも通じてるよなぁ。 まぁだからこそ、社会の比喩表現として、『スクール』が成り立つんだけど。

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芝居。

昨年末に友人の結婚式、二次会の司会をした。 本来、人前で喋るのは苦手で、 しかも、その二次会は80人という大規模なもので、 よくぞまぁ俺に依頼したよ君、という感じだったのだけど、 なぜか、別に大丈夫なような気がしてた。 デカイクラブ(規模というか知名度)でDJしたり、喋ったり、 まぁ色々と経験を積んだせいもあるのだろうけど、 結局、上手くいった一番の理由は何か、と言えば、 それは要するに、『芝居』だったと思う。 『素の僕』の中には、そんな司会を務める素質は見つからないのだけど、 『上手な司会を真似る』ことならできる。 バラエティーだらけの現代だから、 流暢な司会なんてのはTVの中に溢れてる。 どの番組も、司会役とアナウンサーがいて、ゲストがいて、 掛け合いをしながら進行していく。 結局やることはそれだけなんである。 そして僕はそんな進行をイメージしながら、真似をする。 いわゆる芸としての『モノマネ』なんてしたことはないけど、 なんだろうな、特徴をつかんで真似をするというのは好きだし、得意。 言い回しとか、身振りとか。 誰かはよく分からないけど、何となく進行役っぽい人の雰囲気とか(笑) そういう意味で、 僕が司会に向いているというのではなくって、 そうした『技術』を使って何とか無難に乗り越えた、 ってのが正しいのかなと。 自分、素のままで勝負しきれないとき、 こういう引き出しはもの凄く重宝する。 実際に喋る、ということ以外の点、 例えば進行に関しても、幹事陣とも、店側とも、 しっかり打ち合わせが出来ていたとは言い難かった。 でも、店側はパーティ自体には慣れているわけだし、 僕が司会している間に裏方を仕切ってくれた後輩も、 要点を指示すれば、自分で考えて動いてくれるタイプだったから、 もの凄くやりやすかったし。 『挨拶の時にテキーラで乾杯したい』 とか、友人がいきなり言いだしたとしても(苦笑) アドリブ進行はSWITCH-OVERでは毎度のことだし、 そういうハプニングを受け入れつつ、 時間通りに進行していくのは得意だし。 スバヤク、店の担当者と打ち合わせ、時間をやりくりし、 進行し、話を振り、後を引き受け。 司会は知らんけど、 こういうマネージメント的作業は向いてるのかもしんない。 そういうわけで、 店にとっても時間ピッタリでベストな進行、 客にとってもまぁ、スムースで問題ない進行、 ということに相成ったわけですが、 ポイントはやっぱり、イメージと芝居、それからコミュニケーション能力だなぁと。 まぁ、新郎新婦は緊張もしてただろうし、 入場から退場までしか分からんだろうから、 実感沸かないかもしれないけど、 あの二次会ってのは、僕にとってはなんか未だに印象深いんだなぁ。 なんか、自分の違う才能を発見できたような気がして。 過剰に評価しないように、適切に分析しないといけないんだけどね。 (だから、司会能力があるわけでは決してない)

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まぁなんだ、あれだ。

議論する覚悟もないので、触れるだけにしておくけれども、 有名ブロガー松永氏の過去について、 とあるジャーナリストが言及したことによって、 ネット上で話題になってます。 それについて、松永氏もある程度の表明を行っています。 備忘録ことのはインフォーマル – 一連の疑惑について 先日、差別に関する言及(というほどではないか、漠然とした感想、という程度)をしたのだけど、 まぁ…それと通じるものがあるなぁ。 正直に告白すれば、過去一度でも密接に関わりがあったという点で、 多少なりとも不気味さは感じるけれども、 本人が否定しているんなら、そうなんじゃない?という感じ。 取り立てて、批難する必要性は感じないなぁ… 目くじら立ててる人は何なんだろう、という気もしないでもない。 なにがしかの言及をされたことがあって、 それを元にした個人的感情による批判が多いのかなぁとも。 意味ねぇなぁ。 まぁ、僕はあんまり興味がない、ってことなんでしょうね。 同じ理由で、松永氏を(間接的に)追求した野田氏に関しても、 取り立てて思うことはなく。 胡散臭いなぁ、とは思うけど、別に野田氏個人がどうかってのは、僕には関係ないから。 出てくることだけ、判断すれば良いんでね。 これが恋人とか、友人とか、仕事関係とかだったら、 なかなかそうはいかないけど。 (発言を追うだけでは距離が開きすぎることがある) * * で、それはいいんですけど、 (良くなくたって俺には関係ないし) その表明をされる前に、言及と認識に関して書かれていて、 まぁ、そうだよね、と思ったので、抜粋させていただく。

俺が書いたことを鵜呑みにする人は、俺と認識を共有するがゆえに、俺が間違っていたら共倒れするだろう。だから「信者」はいらない。 俺が書いたことを俺が書いたが故に怪しむ人は、俺が正しいことを書き続ければ書き続けるほど、事実から遠ざかっていく。「アンチ」は自滅する。 俺が書いたことを簡単にでもいいから自分で考えてから納得したり否定したりする人は、健全。 俺が書いていないことを書いているかのように言う人は論外(笑) 俺が書いていないことは、単に書く気がないこと。それを「認めた」「認めない」と結びつける奴は単なるバカ。
『俺』が正しいかどうかはわかんないんだよね。早い話。 僕の場合、自分でもよく分からん。後で変わることもあるし。 だから例えば、判断基準としての、『俺が書いたが故』というところが重要、 『鵜呑み』も、『俺が書いたが故』の意を含むと考えて良いだろう、 要するに、判断のないヤツとは話をする気にはなれん、ということでもある。 頭ごなしに否定、はそりゃもちろんむかつくけれども、 手放しで賞賛、ってのも同じくらい信用できんのよね。 まぁ、いろんなことやってれば、そういうことを言ってくれる人もたくさんいるけどさ、 それはネガティブ、自分に自信がないとかそういうことはなくてさ、 『手放しの賞賛』の中には僕へのフィードバックは気持ちしかないんで、 僕も気持ちだけ受け取る、まぁ要はそういうことだね。 サイトを運営してるとさ…サイト=人格と考える人が多くて、 ああ、悪意だけじゃなくてごく自然に、と言う意味だけど、 サイトに書いてあることが、過不足無く僕の思考だと思われがち。 それが、抜粋の最後の文を読んで僕が感じたことだけど、 結局、読者は文章と会話してるんだろうなぁ、と思う。 (バカかどうかは知らんけど) 結局は、コミュニケーションじゃないのかもしれんな。 自分へのフィードバックしかないから。 イメージの違い。(左:筆者/右:読者) * * まぁそんなことを思いつつ、冒頭の疑惑のエントリを読むと、 コメント欄が、批判するヒトと擁護する人に分かれてて、両方気持ち悪い。 多分、大多数の人は様子を見てるんだろうなぁ。 書かない=いないという文化のネット上では把握しにくい空気だけどね。 差別する気はないけど、過去は過去ってこった。 それもまた、しょうがないことだな。

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