『スクール・カースト』

スクール・カースト…
まぁその辺キーワードに難しい議論が展開されているかもしれないのだけれども、
そういう中には例によって入りたくないので、
ネタをネタとして楽しんでみようってわけで。
Masaoさんの純粋なココロ 2.0を見てみると、面白そうなものが載っていた。

前回の記事で考えた、「趣味による差異化ゲーム」(他者承認)と「楽しむこと」(自己満足)は別物という概念。この概念でスクールカーストや脱オタを分析してみたら面白いことになるんじゃないかと思ったので、早速実行。

で、そうした、学校など(狭い空間)にありがちな、
『カースト』を視覚的に表現したMAPを、
(あくまでネタベースとして)作成されているんだが、
殊の外面白い。


一応用語を僕なりに咀嚼して解説すると、

生活の価値観を、他者承認と、自己満足の二つに大きく分ける。

『他者承認』は、まぁなんだろうな、友達の多さとか、クラスへの受け入れられ度とか。
『あーいたなーそんなヤツ』じゃない、『そうそう、アイツがさ』という存在感。

『自己満足』は、楽しいとか、嬉しいとか、そういう感情。
部活で充実してるとか、恋人が出来たとか、そういうことかな。

そう考えると確かに、そういう定義は成り立つね。
単純な三角形(ピラミッド型カースト)じゃないところも面白い。


で、人間の自己顕示欲などに基づき、
往々にして、『差異化ゲーム』、つまり、
誰かより持てるとか、スポーツが出来るとか、頭が良いとか、
そういう人より上にいるという優越感を味わえるようになりたいと、
多くの人が望む状況が生まれるわけだ。


『フォースの暗黒面』に堕ちるというのは、
そうした『差異化ゲーム』そのものを目的として、生き方を決めようとすること。
例えばさ…
『野球よりサッカーの方がもてるから、そっちにしようぜ』
とか、
『ホントはアニメが好きだけど、オタクって見られたくないから洋楽好きってことにしとこう』
とか、そういうこと。

その結果、本当にサッカーや洋楽が好きになれば、
友達が出来たり、いつの間にか輝いて見えたり、一生の趣味になったりするんだけど、
『差異化ゲーム』での勝利のみを目的にしてると、
結局はねやっぱり、あんまり楽しくない。
で、『僕はもう疲れたよ、パトラッシュ』状態に。
あーそういう人って、『学校』じゃなくたって、いるよね。ふんだんに。


そう考えると、学校生活って、社会の縮図…使い古されてるけど、
要は、想定しやすい要素だけを盛り込んだ、特殊な実験空間にも見える。
あんなに大勢の、自分と同世代の人間と、
狭い空間に隔離される状況、って『現実的には』無いもんね。
社会中心に見てみると、もの凄く不自然な環境だし。
その実験空間から得られる結果って、なんらかの形で、社会にも通じてるよなぁ。
まぁだからこそ、社会の比喩表現として、『スクール』が成り立つんだけど。


* * *


自分が学生の頃、どの辺のカーストに属していたかを考えると…
だいたい、『地味系』かな。

周りにどう思われていたかは全くよく分からないけれども、
自分の中では、それほど何か積極的にやっていたわけでもないし、
やたらと友達が多かったわけでもなければ、社交的でもなかったし。

もちろん当時(ここでは中高生)は、自分も『勝ち組』になりたいと考えていたが、
今考えてみると、当時『勝ち組』だった奴らって、結構薄っぺらいのな。
今考えると、アレは、『勝ち組』じゃなくてただの『過剰適応者』だったのかなぁと。
『俺はおまえらとは違うんだぜ』的オーラを発してたけど、
それって別に俺要らないし、というような感じで、
それほど差異化は生まれていなかったなぁ。

例えば、先輩の女子と体育館でキスしてた、とか。
うらやましいとは思いつつも、そういう状況を望むかといわれると、
今も当時も別にそこまでは、と思うだろうね。
純粋に?性欲ベースだった気もする。


ちなみに、周りの意見を総合すると、
僕のカーストは、僕自身が思うよりも、もう少し上だったっぽい。
『地味系』『勝ち組』の真ん中くらい。
ただ、積極的にデビューを目論んでたってことはないわけで…
ああ、目論んだら、『暗黒面』に堕ちて、
『過剰適応者』スパイラルにハマってたのか。

あー…奥が深い。


大学になると(多分、この議論て中二病ベースな気がするので、
大学っていう表現が良いかどうか分からんが、
ここでは勝手に拡大解釈することにしよう)、
もうひたすら部活だったし、
浪人時代にコミュニケート的に吹っ切れたところもあって、
勝ち組ではないかもしれないけど、
(勝ち組ってのは大学のクラスの中心のヤツとかを指すんだろう)
友達も多かったし(他者承認)、楽しかった(自己満足)。


今現在どうかなーっていえば、
仕事も趣味も(苦労はあるけど)基本楽しいし、友達もたくさんいるし、
そういう意味で『勝ち組』だろうなぁ、と思う。

ただ、僕の中では『差異化ゲーム』自体が意味をなしてないので、
『負け組』に比しての『勝ち組』ではなくって、
単に自分の状況に対する満足度、の指標かな。


* * *


一応、天馬さんのエントリも斜め読んだんだけど、
『差異化ゲーム』を人生の前提とする天馬さんよりも、
それに目的を奪われる人生ってどうなのか、っていう視点を持つMasaoさんの方が、
僕にはナチュラルに感じられた。

『フォースの暗黒面』、堕ちてる人って一杯いるもんなぁ。
本当にファッション好きな人もいるけど、
『いや、大事だから』とか言う人、
女との話のネタのためだけに、洋楽チェックしてる人。
うーん。どうなんでしょ。

むしろ、社会全体がそれベースで回ってるのは、
書店の店先のファッション誌の山でもわかるんだけれども、
(だから、天馬さんの『人生なんてまるごと差異化ゲームなのですから』は正しいと思う)
やっぱり僕には理解できないことだなぁ。


なんか、当初の目的と、話がずれてしまった。
まぁいいか。


* * *


とにかく、視覚化された、『スクール・カーストMAP』は、
ややもすると二元論化されそうな議論の中で、
わかりやすく、面白い試みだと思う。

色々な人を思い浮かべつつ、夢想すると楽しい。