苦悩…

てほどでもないんですけど。 ゼロかって言われるとね、それも違う。 …最終的に、何も得なくていいや、 そんな気分で、『第三の選択肢』を、選択しがち。 いずれ導くことになる結論にたいしては、 実際のところ、何の疑問も抱いていないのだけど… ふと、 何もない世界へ逃げていってしまいたくなる。 僕に、 何も残らなくて良い、 そう思える。 やはり僕は、異常に欲が希薄なような気がするな… 画像参照:坂井公明 インコ 2

続きを読む

世知がれぇ世の中だな。

烏丸通り沿いにCoopがありましてね。 いつも、お母さん方でにぎわっているわけです。 で、今朝、いつも通り歩いて出勤途中、 急いでるんだかなんなんだか、道の真ん中に自転車を止めたおばさんがいましてね。 しかも、ハンドルには、フレスコのビニール袋をぶら下げている。 もうこれは明らかに倒れるな、と思ってみてたら案の定。 出勤途中とはいえ時間的には余裕があったんで、 自転車を起こしてあげたんですが、 起こしてる途中におばさん、Coopから出てきた。 なんだかねぇ、明らかに嫌な目つきなんですよ。 そう、多分おばさんは僕が自転車を倒したんだと思ったんでしょうねぇ。 一言もなく、あんた何しとんの、くらいにじろっと見て、 自分の荷物をチェックし始めましたよ。 僕は別に悪くないわけだし、て言うか、悪いのあんただろ。 まぁでも、倒れる現場を見てなきゃね、道のど真ん中に止めるような人だもの、 起こしてる人が倒した人だと、誤解しても無理はねぇやな。 無理はねぇけど、なんだかねぇ。 別に褒められたいというだけでそういうことをやったんじゃないわけで、 なにがしかの親切心もあったわけで、 にもかかわらず無視どころか悪意で返されたりして、 人情も何も無いのな、 あーもう次こういうことあっても、二度と起こさねぇぞ、 と、そこまで考えたところで、はっと気付いて。 いやまぁ、今誤解されて嫌な気分になったのは事実だけれども、 それと、二度と起こさねぇとはあんまり関係ないでしょ、と。 あんた、そうは言っても次だってやっぱりやるでしょう? みんながみんな、こうやって親切を諦めてったら、 回るもんもまわりゃしねぇだろ? なんつって自分に説教されたりして。 まぁ、別に良いんだよ、自転車は起こせたからよ。 卵は割れたかもしれんが、知ったこっちゃないし。 それよりも、危ない危ない、危うく、おばさんと同じレベルまで堕ちるところだったよ。 もち、装ってるだけで今だって腹立ってるんだけど、 自分が損することになったとしても、 基本的なことは忘れちゃいけないよね。 世知がれぇ世の中、だけど、 それを受け入れちゃいけないよね。

続きを読む

(やはり)冷静ではない。

正確に言うと、冷静で居続けるのが苦手だ、ということか。 親しい友人は、僕がムキになるのを目撃する機会もあると思うので よく知っていると(僕は)思うのだけれども、 僕は元来、冷静な人間ではないし、気もかなり短い方だ。 それでも僕が冷静に見られるのは、 それを踏まえた上で、冷静たらんとしているからだろう。 理論武装、に関しても同じことで、 といっても僕の理論武装は所詮主観の発展でしかなく、 文献その他の裏付けが乏しい物が多いのだけれども、 要は、相手を打ち破るためだけに武装していると言うよりも、 それがないと、常にムキにならざるを得ないから、 とも言えるのかもしれない。 こういう性分は、年を重ねる毎に、 あまり外に出さずに済むようになってきてはいるけれども、 緊迫した状況や、仕事の上での話になると、 どうしても、冷静を保てなくなる。 無理に冷静を保つ必要はないのだけれど… 冷静を失うと、結局、筋の通らないことを口走ったり、 普段思っている感情をベースに発言したりして、 適切なコミュニケーションを取れなくなってしまう。 ムキになった時点で、負け、になってしまう。 三つ子の魂百まで、とはよく言ったものだなぁ、と思う。 多分これからも、日々、努力しながらも、 時々、そういう自分が顔を出していくのだろうな。

続きを読む

自分で調べるということ。

英語の勉強をする上で最も大事なことは、自分で調べること。 それも、ただ辞書と首っ引きではなく、その単語の意味を想定し、 文意をきちんととらえた上で辞書を引いて、正しい意味を選び出すこと。 受験勉強の中で学んだことの一つだ。 何か解らないことが出てきたとき、人はどのような行動を取るだろうか? 基本的には、3つに絞られる。 1) 書籍やネットで調べる。 2) わかってそうな人に聞く。 3) 特に何もしない。 ものをよく知っている人というのは、別に最初から知っているわけではなくて、 好奇心と、疑問に思う感覚から、調べて知っている。 片っ端から人に聞いて回るというのも、手段としては正しい部分もある。 自分一人では限界もあるし、正しいとは限らないから。 でも、何かがわからないときに、『何?』って聞くんではあまりに芸がない… 常々感じているのだけど、 安易に人に尋ねる人ほど、そのことをすぐに忘れてしまう。 今目の前に誰かがいて、その人が話題にしていることがわからないとき、 それは、疑問を持ち帰るより、その人に聞いてみた方が良い。 場合にもよるけれど、大抵はそのことを話したくて仕方ないわけだし、 そのことについて、きちんと説明してくれる。 それ踏まえて、相手が言いたいことも良く理解できるようになる。 聞くにせよ、何にせよ、意図がないとダメってことだ。 隣の人間に何となく尋ねることと、 有識者に会いに行くこととでは、同じ『聞く』でも全く違う。 後者はむしろ、調べるに近い。 大きなこと、例えば結婚式を挙げるのにいくら掛かるんだ、とか、 そう言うことに関しては、一生懸命調べる人も多いだろうけど、 日常ふとしたことに対してはどうだろう? 2)や、3)のような接し方をする人が多いような気がする。 それは、結局、気付いていないのと同じだし、 ぼんやり生きてるなぁ、っていう人は、そんなところが違うんじゃなかろうか。 楽しくコミュニケーションするコツのひとつは、 相手の話題とかぶらない話題をたくさん持つこと、だと思う。 もちろん、同じ話題で一致することも重要なのだけど、 僕は、これを持ってる、君はそれを持ってる、と、 お互いに見せ合うことが大事で、 君はそれ持ってる、それ何?それ何?それ何?それ… では、コミュニケーションは成り立たないし、あまり楽しくはならないかもしれない。 世の中に、調べる人と、調べてもらう人がいるのではなくて… 調べてもらう人は、調べる人のおこぼれをもらっているだけなのだと。 自分で、少し動いてみるだけで、 本当にいろんなことを知ることができるのに、 それをしない人はもったいないなぁ、と思う。

続きを読む

おっさん感覚な芸能人がテレビで喚く件について

たまーにテレビを付けると、 芸能人がIT社長と結婚した、離婚した、IT企業が株を買った、売った、 なんて不毛も良いところの話題がお茶の間に満載なのだけれども、 (その前に、現代日本にお茶の間なんて無いぞ、言葉の上でも、意味の上でも) そんな中、必ずいるのが、『有名人コメンテーター』。 基本的に、強きをけなして、弱きに涙するのがお仕事なので、 まぁ、なにかと、視聴者の羨望を代表する意見を耳にするわけですよ。 この間も、どなたかが、多分ハイヒールの番組だったと思うけど、 『こんな、ITみたいな形のない、薄っぺらい企業で、どうのこうの』 とおっしゃってました。 無知は怖いね。 あんたの給料、IT技術で振り込まれてるんだよ。 あんたの弁当、IT技術で管理されてるんだよ。 あんたの書籍も、CDも、DVDも、IT技術で売れてるんだ。 見えないんじゃなくて、知らないだけでしょ。 それは、僕らが車がどう動いてるかわからんけど 取り敢えず移動してるのと同じ構図の上にある事実であってさ。 基本的に、目の前にあることを扱い、 そこへフィードバックしてることは変わらないじゃない。 『PC前でポチポチ打って儲けてるんでしょ』、と、 吉本新喜劇の某女優は笑顔でおっしゃってました。 まぁ僕は好きな方ですけれども、コレだってあんまりな言い方だよねぇ。 漁師に対して、魚釣って過ごせて良いですね、とかさ、 ユンボ動かす工事関係者に、好きな物に乗れて良いですねとかさ、 お菓子屋の店員に、好きなだけ食べられて良いですねとかさ、 そんなレベルじゃない。 あなたも、カメラの前で雑談してれば生きていける職業なの? あんまりだなぁ、と思って。 そんなに、軽薄そうに、濡れ手に粟な感じに、見えるんだろうかねぇ。 ライブドアあたり倒産したら、あ、楽ばっかりじゃないんだと思うのかもしれないけど、 競争の激しい業界って、あんまり、倒産しないしなぁ。 そうなる前に、力がある方が買うから。 こういう感覚の違いも、一種のデジタルディバイドなんだろうか。 自分が恩恵にあずかってる技術や、それを支える技術者達に対して、 非礼に当たるとか考えないんだろうか。 とある芸人は、 『あんなんな、もう凄いオタクがちょっと小綺麗にしただけやろ?そんなんあかんわ』 と、とある芸能人の離婚のニュースを見ながら言ってましたね。 お笑いオタクに言われたくない、と。 むしろ、芸人も、例えばプログラマーも、それぞれに専門職なんであって、 プログラマーは(世間で言う用語での)ハッカーとか、 元引きこもりだとか、そうなのかなぁ。 そういう人もいるし、そうじゃない人もいると思うんだけど。 お笑いのネタとしてはかまわないけれども、 コメンテーターとして、理解できないヤツは気持ち悪い、なんてことを 堂々と言うのはどうなのだろうね。 もしかすると、そういう業界の人はもう慣れてしまっていて、 諦めてるのかも。 知ったこっちゃねぇ、また言ってるよ、と。 僕は職種は似てるけど、業界内ではないからよくわからない。 それでも僕は、デジタルな話題と言うよりも、 自分の理解していないものを、安易に悪し様に言ったり、 一部に対する印象を全体に当てはめてみようとしたりする、 そんなわかりやすさ、みたいなものが、本当に気持ちが悪かった。 みんな、こういうものに代表されるような教育を受けて、大人になってるのかなぁ。 そんな社会、良くなるのかなぁ。

続きを読む

間。

最近どうもね。 思ってることとか、考えてることとかはいくつかあるんだけれども。 適切に書き下ろすには、時期が早かったり、 自分でも決めかねていたり、 事態が流動的であったりして、 なかなか書けないことが多い。 そうこうしている間に時間は過ぎていって、 いつの間にか、 書くタイミングを完全に逃していて、 事後報告で書くのももううんざりしていて、 結局なにも書けずじまい。 ニュースとか、 そういう連載系のネタがあっても良いとは思うけれども、 基本的にここは…感じていることと、主義主張の場なわけで。 mixiとはまた違った内輪向けに、 (文章というのは、僕の場合どこまで行っても内輪向けだ、 事情の事前把握の重要性は、間を作るに当たって、絶対に必要だから) 重ねていくところ、なのだと思うのですよ。 なんかそう言うのが出来てないなぁ、と。 ニュースとか、まぁ確かに自分がおもしろがってる物もあるけれども、 お茶濁しじゃないのかと自分で思っちゃうのもあるし。 百式ほどハードではないけれども、 やはり毎日なんらかのなんらかを書き続けていれば、 その質にもブレがあって当然だよね… ああ、ちょっと話がずれたけど、 MovableTypeやPHPといった、 道具に関する部分のお話は、正直僕にはどうでも良い…というか、 あくまで自分のメモと、情報ソースの方へのリスペクトの表現なので、 メインではない。 そうではなくて、 『今、僕が何者であるのか』ということを、 書いておきたいわけですよ。 あるテーマに対して、点で論を展開するのではなくて、 過去にコレを書いた、こういうことを言った、今思ってるのはこんなだ、 そうして、もしかしたら、明日にはこうかもしれない。 そういう、線で見るコラムを書いていきたい、そして書いているつもり。 だから、あるエントリを見て、それを点でとらえて、批判的にコメントされる方は、 まぁ半分は誤解を与えて申し訳ないと思うし、 もう半分は、この人には解らないから諦めるしかない、と思ってるし、 なんにせよ、 物事に対する考え方ってのは、ビックリするほど変わるわけだから。 重要なのは、YESかNOはなくてさ、なぜそうなのかの部分なのよ。 (だから、河原町を行進する共産党のデモには、何の価値も感じられない。うるさいだけだ) そういう、根っこの部分を語るには、それなりの時間が掛かるし、 いろんな見方で喋ってみて、 いろんな言葉で表してみて、 そうした中で、線として繋いでいくことが、重要。 間、というのはそういうことだし… そういう躊躇さ加減も、あんまり筆が進まない原因の一つかもしれない。 気長にやっていくしかないとは思ってるし、 一旦そういうモードにはいると、 読者置いてけぼりなくらい更新されたりもするし。 まぁ、この人がどう向かうつもりなのかは、 僕にもよくわからないから。 ** そうそう、なんだか久々に会った友達が、 元気がない、暗い、とあんまり言うんで、そうなのかな?と思ってたんだけど、 いや、やっぱり違うよ。 そんなことはないよ。 もちろん、閉塞感を感じてたり、 その他、明るくなれない感情がよぎるときもあるけど、 それは誰にだってあるでしょう? 俺、このままで良いのかな、とか、 でもいちいちそんなんで落ち込んでるわけじゃないよ。 そうじゃなくてさ、 悩んでるんじゃなくて、諦めてるんだよ。 良く言えば、開き直ってるとも言うんだろうけど、 上がったり下がったり、期待したり裏切られたり、 そういう揺れをあまり受けない状態、 目の前に出てきたものに対して、リアクションしていくような、 今の今の生き方、それをしているだけなんだ。 そうだな、周辺視を目一杯に意識しているような状態かな。 …わかりにくいか(苦笑) 元気がないわけじゃない。 元気は、あるんだ。 ただ少し、疲れてるだけ。 それから、きっと、僕自身の車間距離も、2ヶ月で、 ほんの少し変わってきているということなんだろうな。 多分ね。 このサイトと、自分の間、とかもね。

続きを読む

引用と著作権…

日本橋で暮らすということ – 記事への無断リンクお断り申し上げます
文章はワタシがそれなりに苦労して書いている著作物ですので、無断で記事へのリンクを貼ることは一切、辞めてください。今後、ワタシの記事への無断リンクは何人たりとも禁止とさせて頂きます。
まことに申し訳ありませんが、リンクおよび引用させていただきました。 倫理的にはともかく、それをすることが間違っている、という主張はあんまりどうも。 レンタルBLOGを利用し、WEBで配信されている以上、非公開は難しいことですよね… (リンク禁止ってそう言うことじゃないのだろうか) まぁとにかく、『当ブログ利用規約』内にて、
○その他 ・メンバーと当サイトとの間で紛争が生じた場合は、東京簡易裁判所又は東京地方裁判所を第一審の専属的合意管轄裁判所とします。 ・全てにおいて日本国の法律が適用されます。
とあり、あんまり酷いとそれなりの対処をしますよ、と暗に仄めかされていますが、 僕が出廷しなかったという状況以外で、 主張が認められることは難しいと思いますので、止めていただきたい次第であります。 裁判するのも、東京まで行くのもだるいし。 で、問題の著作権に関することですが… まず、『著作権保護のため』=『リンク禁止』という論法で語られていますが、 残念ながらこのふたつには関係性はないのですね。 リンクを貼るという行為は、引用でも、転載でもなく、単に参照しているだけなので。 また、本の題名や、曲の題名に著作権がないように、 サイト名や、エントリ名にも著作権は無いと考えられます(商標は別の話)ので、 それを記載したところで、いかなる権利も主張できないかと思います。 次に、引用、および転載について。 この問題は…既に何度か書いてきているので、 詳しくは『引用について』あたりを読んでいただきたいんですが、 簡単にまとめると、
引用とは、例えば論文執筆の際、自説を補強するため、他人の論文の一部分をひいてきたりするなどして自分の著作物の中に他人の著作物を利用することをいい、この場合、著作権者の許諾なしにその著作物を利用することができます。(社団法人 著作権情報センター『はじめての著作権講座』 – FAQより)
ということです。 ただし、引用が認められるためには、
「引用の目的上正当な範囲内」で行われるものであり、また、引用される部分が「従」で自ら作成する著作物が「主」であるように内容的な主従関係がなければなりません。さらに、かぎ括弧を付けるなどして引用文であることが明確に区分される必要があります。
このような条件をクリアすることが必須です。 例えばこのエントリでの引用は、十分にこれを満たしていると思われます。 それとまぁ細かいことですけれども、 自説の論拠となるような引用は、確実な場所からすべきではないのかなぁ、と。 もし、とほほさんが間違ってたらどうするんだ、と。 僕はその飲み込み具合が危ういと思うのです。 性善説的に言うと、『あたかも自分の主張のように記載された』ことへの 警告なのかもしれませんが、それは引用ではなくて盗用です。 日本語を理解し、対応できれば当然わかることですね。 以上、エチケット上は著しく違反していると自覚してはいますが、 主義主張上、必要なものとして、引用およびリンクさせていただきました。 (別にお友達になろうってんじゃないし)

続きを読む

自分は論客として三流である。

ということをなんとなく思ったわけですよ。 別に他の人、特に論争好きな人をちゃかそうってんじゃありませんが、 基本的に、耐久力がない。 攻めようが、攻められようが、特にネットを介しての話になると、 最終的には落ち込むことになるわけで。それが嫌で逃げてみたり。 上塗りに謝ってみたり。 その辺は、人間性なんでどうしようもないし、 そういう覚悟がないんだったら止めとけよ、と自分でもよく思う。 今までも、自分から喧嘩売ったり、相手に売られたりして、 よくわからないまま論争に巻き込まれたことが何度かありますが、 まぁなんだろうね、基本的に結論なんか無いんです。 単純な正誤の問題のときも、それはあるけれども、 大体は、価値観の差で片づけられてしまうことであったり、 内容よりもむしろ態度にむかついてるんであったり、 あんまり大差ない。 で、もちろん、そういうやりとりをしたような人とは、 二度とやりとりをしようとは思わないし、 まぁ、二度とサイトを見に行きたいとも思わないわけです。 腹立つし。 でも、最近、ちょっと思い直して、問題のエントリや、相手のサイトを眺めてみた。 まぁ…自分の書いたエントリはそれは酷いものだったし、 久々に行った相手のサイトは、相変わらずイタイ話題も多かったし、 (もちろん、それだけではない) 結局のところ、目くそ鼻くそだったな、と。 自分だけが正しいってことはありえねぇけど、 かといって気分が落ち込む必要もなかったなぁなんて。 そういうわけなんで、自分はそう言う論争好き、には向いてないんだなとわかった次第。 善し悪しは別にして、僕が絡まれた相手の人々は、 相変わらず、精力的な活動を続けていることを考えると、 あーはなれん、と思うわけですよ。 精神的にも、もちろん実際の知識としても。 彼らが指摘しているような矛盾点や、醜さは、 彼ら自身にも数多くあって、独りよがりへの批判を独りよがり(または賛同者の馴れ合い)で 繰り返しているのだけれども、 まぁ、要は、そういうことが好き、という一面もあるのだろうなぁ、と。 僕は好きではないし、そこまでして戦いたくもない。 いしいひさいちの…『地底人vs最低人』というマンガがあるんだが(マニアックだ) そこで、最低人は地底人に勝利する。 しかし、その勝利はあくまでも最低人の基準に基づく勝利であって、 地底人は敗北を知りもしない。 結局、価値観の異なる論争、 その結論は、そういうことなのかな、と思う。 彼らの言うこと、そこにきちんとした論理があることもある。 目から鱗が落ちるような、鋭い指摘があることも。 久々に読んでみて、そう思う部分が多かったので、 感慨を受けてコレを書くことになったわけだけれども、 それと同時に、逆上体質や、完膚無きまで叩きのめす暴力性や、 暴論も書いたヤツの勝ち、という部分もあるのは事実。 あのときは、そういう部分が強く出たんだなぁ、とある意味納得した。 まぁ彼らのことは、これからも生暖かく見守っていこうと。 いいこと言うこともあるから。 同時に、自分の言動に関しては、消極的にならないように気を付けつつ、 気を付けていこう、と。 思っております。はい。

続きを読む

負荷と安全性はトレードオフの関係

少し前に、トレードオフ、という言葉というか状況について、 何か書きたいな、と思いつつ、書き始めたのだけど、 結局、陽の目を見ぬまま、今でも下書き状態になっております。 またそのうち、気が向いたら、完成させたいと思いますが。 で、トレードオフというのは何かって言うと、 並び立たない、相対する性質のことを指す。

トレード‐オフ【trade-off】
一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという二律背反の関係。例えば物価安定と完全雇用の間の関係。(Yahoo!辞書?大辞林)
で。 MovableTypeをこの間、3.2にバージョンアップしたんですけれども、 その際に、スパム対策が充実した代わりに、コメントプログラムの仕様が変更になりまして、 従来のスパムコメント対策(半角のみは不可)が効かなくなってしまいました。 スパム対策は結構優秀なんで、別に困りはしないけど、 でも放っておくと、スパムコメントのためのDB容量が増大していくような気がして、 何とか水際でストップできないだろうか、と、 試行錯誤を繰り返したり、検索してみたりしてたのです。 で、久々に、Ogawa::Memorandaに辿り着いて、 その中の、スパムフィルタプラグインを眺めてたら、 エントリ内になかなか気になるコメントがあって、 すごく納得させられました。 水際で止めればいいってもんじゃないのね。
Ogawa::Memoranda: Quasi-Spam Filter Plugin
CommentErrorは最もサーバーへの負荷が小さいというメリットもありますが、スパマーが繰り返しスパミングを試みて除外パターンを発見しやすいというデメリットもあります。一般的には負荷と安全性はトレードオフの関係にあると推測され、一概にどの方法がベストかを決定することはできません。このような観点から、複数の方法の提供してそのうち一つを選択するようにしています。
なるほど。 今までの対策は、まさにライトな感じのやり方、 つまり、エラーを返す…という感じだったのだけど、 それだと、スパマーがアタックを繰り返せばわかってしまうか。 逆に、コメントの受付はしておいて、プログラム的にはきちんと返答しておきながら、 データベース的には、スパムとして処理する、と言う方が、 スパマーにも気付かれにくく、 いいのかもしれない。 判別の処理、迷惑コメントのチェックの処理、その他の手間は掛かるけれども、 より安全だ、と。 そうかそうか。。 Ogawaさんのプラグイン自体には全く触れていないけれども(苦笑) 何となく考え方の基本を見たような気がします。 人となりはよく知りませんが、コメントの受け答えや、サイトデザインや、 論理展開のきちっとしかたなどに、人柄がにじみ出てはるなぁ、と。 僕も、そんな人間になりたいものです。

続きを読む

頭の良さの分類

前述の、DELCO READERをいじってたら、 定番RSSサイトなんてのにぶち当たりまして、 (このページのタイトルは政治・経済、になっている。もうホントいい加減) それをつらつら眺めていたら、 社長blogのところに、 『2ちゃんねるのひりゆき氏』 とあって、思わず気になって飛んでしまった。 (重ねて言うけど、ホントいい加減。それがいいとこでもあるけど。個人でやってんのかな) で、その過去ログの中に、このような文章がありましてね。

元祖しゃちょう日記:頭の良さの3分類
「頭のいい人」というのは実は3つの能力が混同されて使われることが多いです。 でも、それぞれ違う能力なので、頭のいい人を見極めるときは、どの能力に優れた人なのか分類しておくといろいろ予測が立ちやすいです。
これによると、頭のいい人ってのは、 ・記憶力のいい人 ・感受性に優れた人 ・応用が得意な人 の3つに分類されるそうで。 まぁ確認はしてないけれども、そうかもしれない。 で、それぞれに持ち味…というか、特徴があって、なるほどね、 確かに、そういうのを全部ごちゃごちゃにして、 僕らは『頭が良い』って呼んでるよね。 個人的には、『頭が良い=頭が切れる』という評価基準で見てるのだけど、 確かに、感受性が優れた人というのも頭が良いと言えるのかもしれない。 それに、感受性ってのは、どうも芸術家とかクリエイターとかと結びつけて考えがちだけど、 もっと狭い意味での、『直感』的なことにも適用できるのかもしれない、 そう考えると、頭が切れる人を感受性が豊かだと、表現することも出来るかも。 僕の印象では、感受性が豊かな人は、 おっとりしたような天然ぼけのような人にも多いような気がしていたのだけど、 そう考えると、頭が切れるっていうのもなんか違って、 まぁ早い話(混乱してきた)、確定済みと思っていた言葉にも、 いろんな定義の仕方があるなぁ、と思ったのだ。 ちなみに前から思っているけど、受験が得意な人(高学歴な人)ってのは、 そのまま頭が良いわけではなくて、 でもだからと言って、受験にしか役立たない頭というわけでもなくて、 頭が良い確率が高い、という表現が一番しっくりくるような気がする。 それは、そういう友達をたくさん持つとよくわかるのだけど。 そして同時に、ハードとしての頭脳が優秀でも、ソフトがいけてない人もたくさんいるのだけど。 キレだけじゃなく、感受性や、柔軟性も含めて、 (俺ってキレ重視の生き方してるのかもしれない) 頭が良い、というのは重要なことだよね。あんまり言わないけど。

続きを読む