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「しんきくさい」のニュアンスが実はあんまりわかってない
「しんきくさいことして嫌がられた」というような文章を見掛けて、さすがに京都に20年近く済んでるのでなんとなく言いたいことはわかるんだけど、実はきちんとしたニュアンスまではつかめてない。「しんきくさいこと」は「面倒くさいこと」と同じような感じで捉えてるんだけど、どうもそれはそれで「しんきくさい」と「めんどくさい」は違うらしい。 調べてみると「しんきくさい」は近畿地方の方言で、意味は、
という感じ。邪魔くさいとか、鬱陶しいとかそういう感じに似てるのかな。よくよく考えたら、「しんきくさい」という言葉自体は静岡にいたときでも見聞きしていたので知らない言葉ではない、でもこっちで聞くとニュアンスがよくわからない。なんでかなーと思っててはたと気付いた、 近畿以外だと「しんきくさい」は「しんきくさい顔」という表現以外で使わない。 この場合の「しんきくさい顔」は「暗い顔」「景気悪い顔」くらいの意味で、主に「しんきくさい顔するなよ」(お祝いの席だからとか、これから頑張ろうって言う雰囲気なんだからとかいった状況で、もっと元気出していこう的な使われ方)といった感じで使われます。それならわかるんだけど、でもこの「しんきくさい顔」のときの「しんきくさい」は、近畿地方で使われている「しんきくさい」とは少し意味が違う気がする。大元は一緒なんでしょうけど、なんか違う。 こういうのって難しいなーしんき くさ・い [5] 【辛気臭い】 ( 形 ) 〔おもに関西地方で〕 思うようにならなくて,じれったい。気がめいってしまうさまである。 「 - ・い話」
「スーパー○○タイム」には由来があった
僕が初めて意識した「スーパー○○タイム」は、いわゆる「スーパー寛大タイム」略して「SKT」。
いわゆる東映版のスパイダーマンの編集動画に登場して一世を風靡した用語。東映版スパイダーマンの動画は権利者削除が厳しくて生き残らないので、今貼れる動画あるのか解らないけど…… あ、この辺なら生きてる 不死身の男 地獄から来た男 最初の動画が恐らく最初にニコニコ動画に上げられたやつで、2個目のがシーンが追加された再編集版かな。で、「SKT」が出てくるのはオリジナル版の11分15秒くらい。本来は「許せん!」という台詞なんだろうけど、どう聞いても「許せる!」としか聞こえない→寛大だなあ→スーパー寛大タイム→SKTという流れ。 スパイダーマンの動画が全盛だったのは2010年くらいのことなので、もう5年前? 懐かしいなあ……SKTとは (エスケーティーとは) [単語記事] – ニコニコ大百科
SKTとは、スーパー寛大タイム(Super Kandai Time)の略称である。 ※ スーパー賢者タイム(Super Kenja Time)とよく間違えられるが、 まったく別の概念であることに注意が必要。
ドキュメンタリー映画「聖者たちの食卓」を見てきました
インドにあるシーク教寺院「ハリマンディル・サーヒブ」での炊事風景を描写したドキュメント映画「聖者達の食卓」の上映会(インドカレー付き)が堺町画廊さんで行われるということで、見てきました。
「ののちゃん」でファド歌手のロカちゃんを見出したキクチのばあちゃんとカルチャーについて
第9集でついにスカウトされファド歌手としてメジャーデビューしたロカちゃん。思えばそのロカちゃんを最初に見出したのはキクチ食堂のおばあちゃんでした。バックバンドの2人と一緒に商店街で歌っているのをおばあちゃんが聞いていて、「良さなんかわからんけど物珍しくて見てくれてるんだろう、でも立ち止まってくれる人がいるのはありがたい」と思っていたら、ばあちゃん存外にその良さを理解していて、キクチ食堂の定休日に店でライブするよう取りはからってくれ、それでロカちゃんは自信を付け、最終的にライブに来たレコード会社の人の目に止まってなんやかやでスカウトされる……確かそんな流れだったと思います。んで、その一番最初のキクチのばあちゃんがロカちゃんに注目したときの4コマが、僕にとっては凄い印象に残っていて、といっても第何集に収録されているのかさっぱりわかりませんけど、「カルチャーってそういうもんだよね」と強く感じたのでした。 同じような話。 マンガ「GIANT KILLING」。かつては多くのサポーターを抱えたけれど2部降格を経験してすっかりサポーターが離れてしまい経済的にも苦しいチーム、East Tokyo United(ETU)。全盛期にチームを支えたエースが監督として戻ってきて、チームを少しずつ変えていく……という話なのですけど、サポーターの話の中で印象的なのは、エースが海外移籍しチームが2部に降格しサポーターの数がめっきり少なくなってしまっても、そのチームの姿をバックスタンドでずっと眺め続けたじいちゃんたち。流行がどうとかチームが強ければとかそういう言い訳が一切無く、ただ単純にサッカーが好きになり、ETUが好きになってずっと試合を観戦に、そしてチームを応援しにスタジアムに通ってくれている人たち。ファッションではなく見返りを求めるのではなく発散でもなく、ただそこに愛するチームがあり、それを応援しに行く。それが子供でも若者でもなくてじいちゃんたち。そう、カルチャーってそういうもんですよね。 サッカー繋がりで。 僕は出身が静岡(静岡市)で、他の都道府県の人とはサッカーに対する思い入れが違うという自負があります。最近では有望選手はみんなJリーグユースに行くこともあってあんまり高校サッカーで活躍してませんけど、それでもやっぱり静岡出身のJリーガーは多いし、サッカークラブにも入ってなかったしサッカー部でもなかった子供の頃の放課後の想い出が、「授業終わったあと、学校から追い出されるまでずっとサッカーばっかりしてたこと」だというのは相当に特殊なことだと思います。そんなんないと思うよ普通。 で、静岡市というと清水エスパルスなわけですが、こちらの方も結構バカにならない割合で熱狂的なファンという人がいます。それも若い人だけではなくて、僕の両親の世代でも、「あそこは夫婦揃って熱狂的なエスパルスファンだから土曜日はいつもいないよ」みたいな人がちらほらいます。「チームを応援しましょう」っていう静岡市の声、あるんだろうけど、聞いたことないですね。そんなのまあ、当たり前ですからね。もうあと10年くらいすると、孫連れて3世代でバックスタンドに座る家族とか増えるんじゃないですかね?いやひょっとすると今でもそうかも知れません。そんで、やっぱり思うわけです。カルチャーってそういうもんですよね。 僕は、カルチャーってのは、そういうもんだと思うわけです。
知らず知らずマイノリティ
新しく会った人たちと話をして気付いたんですけど、自分って社会的に見てマイノリティみたいです。 具体的に言うと、
- ドラマ見ない
- AKB興味ない
- ももクロ興味ない
- 女優もアイドルも特に興味ない
- パズドラやらない
- LINEやらない
- パチンコやらない
神様と災害の話
なんだかシリーズ化しつつあるスペイン人シェフとの会話ですが。 キリスト教カトリックの敬虔な信者であるシェフにとっては、震災とか災害とかが結構心に来るみたいで、「神様がいるとしたら、神様はなんでたくさん人が死ぬのを救ってくれないのだろうか?なんで無視しているんだろうか?今度神父様に聞いてみようと思ってる」というようなことを以前言っていました。確かに全知全能の神様がいるのであれば、その能力で災害を回避することも出来るかも知れません。 個人的には、
- 人間を救うことが世界のためになるとは限らない
- 神様はもっと遠い未来のことを見てるのかも知れない
- 神様にも出来ないことはあり、震災や災害は避けられなかったんじゃないだろうか
「中国人の仕事」と「日本人のストライキ」
スペインにはそういう表現があるそうです。面白いなーと思ったので紹介。
中国人の仕事(Los chinos completa Shishi)
これは、面倒くさくてやりたくない仕事。例えば、白ごまと黒ごまが混ざった中から黒ごまだけを選り分けるとか、お皿にあけた米粒の数を数えるとか。使い方としては、そんな中国人の仕事、やりたくないよみたいな感じ。 なんで中国人なのかはよくわかりませんけど、イメージで言うなら、移民として世界で苦労してる華僑の人たちは、人が嫌がるような仕事もどんどん引き受けていくことで、社会に溶け込んでいったんだろうなあという感じかな。アメリカでクリーニング屋というと韓国系とか、そういうのと同じことなのかなと。その結果としてなのか、スペインは中国資本が幅をきかせているわけで、中国人てすげえよなと思います。好きかどうかはともかくとして。
日本人のストライキ(Huelga de los japoneses)
一方、こちらは日本人のイメージの話。 ストライキというと通常はボイコットのことですね。「こんな給料じゃやってられないから、今日の午後はもうみんなで休んじゃおうぜ」とかそういうのが普通のストライキです。大規模になると、交渉の間業務を停止したりしますね。まあ日本では最近あんまり聞かなくなりましたけど。 で、「日本人のストライキ」というのはどういう表現かというと、「もっと働く」。 最初聞いた時は意味が解らなかったんですが、どうやら、会社が望む以上にもっと働いて給料を払わせて、会社を困らせてやろうみたいな抗議の仕方のことを言うらしいです。「俺らがストライキって言ったらさぼるだけだけど、日本人だったらこうするぜ」みたいな感じか。 この辺も日本人のイメージがあって面白いですね。中国人の目立ち方とはまた違いますが、ヨーロッパで基礎を築いたかつての日本人も、周りの人間の何倍も働いて成果を出し貢献することで、自らの価値を高めていったんでしょう。現代の日本人にそれが出来るのか僕はあんまり自信が持てませんけど、僕らが世界で働くとき……というか僕のように外国人と仕事をするような時でも、先人のそういった努力の恩恵にあずかっているんだなあと少し感慨深く思いました。 ちょっとしたスラングにも、文化的な背景があって面白いですね。日本語学校に対する外国人の雑感
中国出身の奥さんが日本の日本語学校に通う様子を描いた井上純一さんの漫画「月とにほんご」。 この中で描かれているのは、日本の大学への進学や日本企業への就職のために日本語検定1級を取得しようと頑張る外国人留学生の姿でした。それを読んで「ああ、頑張ってるなあ」と素直に感心していたのですけど、ただ、日本語を勉強したい人がみんなそんな「正しい」日本語を学びたいと思っているかというと微妙で、そうして学んだ「正しい」日本語は実際には使えないという声もあるようです。 お世話になっているスペイン料理レストランのスペイン人シェフのコメント。
高いお金払って日本語学校行ったんだけど、そこで教えてもらった日本語、いわゆる敬語?そんなの使ってる日本人なんかいないよね。騙されたよね。他の友達もみんな文句言ってたよ。頑張って勉強した日本語を友達に使ったら笑われたとか、意味が通じなかったとか。それで結局、週に2回、実際に使えるカジュアルな日本語を教えてもらえるようになったんだ。 (砕けた日本語に変えてますが実際には外国人の日本語です)あーうん。解るけどなあ。解るんだけど、敬語は大事だよね。日常会話では全く使わないかも知れないけど、ビジネスの場面では重要。問題はその言葉を使う機会があんまり無いってことで、お店をやっていても「丁寧語」が使えれば十分。「いらっしゃいませ」は言っても「ようこそお越し下さいました」は言わないし、「尊敬語」も「謙譲語」も必要ない。「月とにほんご」を見る限りでは、目的に応じたレベルの日本語学校があって、高いレベルの学校は費用が高いということのようだから、シェフや同級生たちが選んでしまった日本語学校のレベルが不必要に高かったということなんだけど、それはつまり、日本語がわからない外国人が日本語学校を選ぶのは難しいという問題なんだよなあ…… そういうの上手いことマッチングさせてあげられる人や会社やサービスがあれば良いのにね。
化粧とお肌に関する男の勝手な感慨
難儀なもんだなあと思います。 まあ、すげえ他人事なんですけども。 なにがっていうと、アレです、「綺麗に見せようと化粧をすればするほど肌が傷んで、肌を綺麗に保とうとすればするほど化粧気がなくなる」という「現象」についてです。何を「綺麗」とするかは人に依るだろうとは思いますが、個人的な基準では一通り化粧をしている状態を「綺麗」だと思っています。デパートの化粧品売り場の女性はちょっと濃すぎかな。実際には標準的な男性と同様に「化粧のなんたるか」をよく知らないまま書いてるので、見た目の印象でしかありませんが。