歳を取ると人間は「劣化」していくんだなあとしみじみ思う

老眼のイラスト 40歳を超えて2年半が過ぎましたが、自分自身の人間としての能力の「劣化」を強く感じます。誰しも経験することであろうと思うので別にネガティブに捉えているわけではありませんが、でもまあそうだよねと。判断力が鈍ったり、勘違いや思い込みが増えたり、短期記憶が弱まったり、固有名詞などが思い出せなくなったり。経験は積んでいるからパフォーマンスそのものが低下しているとは思わないけれど、確実に人としては機能しなくなりつつあるという感じ。

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42歳になりましたってさ(2019年)

なりましたってさ。 相変わらず僕自身の中の僕は変わっていないんですけど、周りの目がそういうものとして見てくるのがちょっと居心地悪いですね。新しく入って来た大学生バイトだって、割と距離取って接しますもんね。当たり前か。もうちょっと距離詰めてもらっても良いよと思ってるけど、そんなもんだろう。仕方ないね。自分が20歳の頃の42歳なんて、ほぼほぼ父親だからなあ。印象で兄貴的な感じがあったとしても、おっさんに変わりはないしな。せめて今以上に太らないようにはしよう。 体力的な面で言うと、去年より今年の方がランニングのタイムは伸びている(筋持久力はあまり変わらないけどスプリント能力が上がった)し、アマチュアレベルではまだまだ伸びしろあるよねって感じです。色んな人のレポートを読んでも50代になってサブスリー達成したという人もいるし、僕はそこまでは行けないにしても、50歳までにサブ3.5ぐらいまで行けたら良いなあと思っているし、行けると思っています。 ただまあ……エネルギー容量は増えたとしても、それに対する補充、つまり回復力は確実に落ちてますね。運動してストレッチせずに酒飲んで寝るとかしたら、次の日確実に筋肉痛……ぐらいならいいけど、多分どこか痛めるし、疲労が抜けなくてしばらくパフォーマンス落ちるし、ケアには気を遣わないといけない。それが煩わしくて、年取ったなーとは思います。それもしょうがないけどね。 もうすぐ京都マラソン2019ですが、去年の記録を上回れるように万全の準備をして臨みたいですね。出来るかなあ。 そんなこんなで、今年も元気に生きていきましょう。

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最近のボツネタ傾向

酷いリプライを飛ばす人のイラスト 書き進めていって結局ボツになるというのは昔からよくあること。ボツになる理由は、話がとっちらかってまとまらなかったり、途中で飽きたり、時期を逃してしまって状況が変わっていたり様々あります。話がまとまらなかったテーマについては、後日一段落だけ抜き出して再構成するみたいなことも出来るけど、それ以外は大体そのままお蔵入り。飽きたとかだと、もともと大して面白い話題でもなかったんだろうし、お蔵入りで当然ですね。 最近多い理由は、書いているうちに自分が偉そうに見えて嫌になって書くのを止めてしまうと言うもの。特に仕事関連について書いている時によくあるのですけど、1,500字くらいまで書いてあと結論書いてまとめるだけまでいったけど、読み返してみるとなんか偉そうで不快だったのでそれ以上書くのを止めたとか。とっかかりとしたアイディアは、アルバイトとして働いている今は、責任を負わず「傍観者」として働いている……みたいな感じで、偉そうな話ではなかったはずなんですけどねえ。切り方変えたら、「非正規という働き方」のサンプルとして何か書きようがあるんだろうか。 偉そうに見える理由は、例えば、自分がしてない/出来てないことについて「こうすべき」みたいなことを書いているときが多いかなあ。会社の運営方法についてとかさ。「うん、自分が会社経営するときはそうしたら良いよ」で終わりですよね。僕は別に経営者ではなく、正社員でもないわけだから。基本的に当事者じゃないのよ。「こういう現状なんですよ」までだったら感想だけど、「こうすべき」まで書いちゃうと書きすぎっていうかね。専門外のことに口出して大恥をかく「知識人」てよくいるけど、似たようなもの?素人が聞きかじりの知識だけで偉そうなこと書いちゃダメですよね。

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自分の文章を読むのが好き

すっごい若い 「ナルシストなんですか?」と聞かれたら答えに詰まるけれど、自分の文章を読み返すのが好きです。とても好きです。ブログ記事が一番多いですが、日記であったり、メモであったり、LINEであったり、過去に送ったメールであったりもします。そんなことをしているせいで寝る時間が2時間押すとか普通にあります。例えば今とか。 でもね、自分は一番自分の気持ちをわかってくれてるんですよね。それはもう、どんなに素晴らしいパートナーに恵まれたとしても、当たり前だけど、自分以上はなかなか望めない。自分が自分の感情を吐露したテキストは、そこに書かれていることと、行間ににじみ出るそれを書いた背景とを勘案すると、その時の自分の有り様を赤裸々に伝えてくれる。恥ずかしさすらある。でも、それがいい。 進行中の出来事、過去のトラブルも、そうやってファイリングされているものを読み返していくことで、自分の中に新しい何かが生まれてきたり、過去のものをそうだよねと確かなものに出来たりするわけですけど、普通はこういうのは、自分以外の誰か、例えば自分がメンターとしているエッセイ作家に役割を担わせるもんでしょうね。村上春樹とかね。村上龍とかね。僕も彼らは好きだけれど、僕にとってのメンターは僕自身なんだなあと時々思う。 「ナルシストなんですか?」と聞かれたとき、それを否定することは難しいけれど、でも1つだけ違うことは、自分の文章を書いているのを後から読むとき、それを書いている人は自分じゃないんだよね。自分についてよく知ってくれている人が書いた文章であって、自分の思いの追認とは少し違う。面倒くさいけど。 大学時代の日記とか、痛々しすぎてもう見返さないけど(でも捨てられない)、もし見返したらきっと同じようなこと思うんだろうな。引き出しの中に入っているものは違っても、言い回しは今とそう変わらないだろうから。いや、読み返さないぜ。絶対に。そもそも押入の奥の段ボールに押し込められているし、書かれている内容は、当時好きだった先輩のことが多いに決まってるし、読んでて滅入ってくるから(笑) もちろん、それだけ感情移入出来るってことなんだけど。

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俺は俺であることを、やめない。

#sky #イマソラ 滋賀県超涼しい。京都はやっぱり異常だ この1ヶ月くらい、青春まっただ中の大学生と飲みに行ったり遊びに行ったりしていろいろと考えることがあったのです。特に、自分にないものを20歳そこそこで持っていたり、考えていたりすることに触れてみて、ああ、自分も変えていかないといけないんじゃないかなんて触発されたりね。 わかりやすくて卑近な例で言えば、例えば、男で車の免許持ってないのってどうなんだろうね、とかさ。もっとくだらないことも、真面目なことも。もっと下世話な話で言えば、例えば女の子たちのいう「格好いい人たち」に自分が該当してなかったとする。そうかー男としてもっとこうならなければって考えたり。 今の自分が考えないようなことを、今の若者が考えているというのは、別に僕が何らかの理由で劣っているということではなくて、多くの場合は時代背景の違い。僕が若者だった頃は、そういうことを考えるべき環境がなかった。僕らはもっと他のことを考えていて、それを考えなくて良くなった世界で、今の若者は別のことや僕らの世代が考えていたことを下敷きにその先のことを考えている。ただそれだけのこと。 そういうことは、理屈としてはよく解っているのだけど、なんかね、ちょっと気にしてしまっていたのよね。夏の夜、暑くて寝苦しくて、しかもお酒が入って熟睡出来ない、そんな日が続くと少し鬱っぽくなるっていう話もあるし、僕もそんなことだったのかも知れないけれど、夏ってことで少し密に若者たちと接する機会があってなんかそんなことを考えてた。自分はもっと変わらなくちゃいけないのではないか?今の自分はダメなんじゃないか? 一通りそういうことを考え、若者たちのことを考え、自分が考えてきたことを考えた上で、最終的に思い至ったことは、自分は自分らしく生きるしかない。若者たちが「理想の40歳」について語ったとする。自分はこうありたい、こうあるべきなのにそうでない人はどうだ、など。その理想が自分とかけ離れていても、そのことについて「俺はダメだなあ」などと考える必要は無い、なぜなら、彼らの語る40歳は、20年後の未来のことだから。20年後に、彼らが40歳になってみて、それが正しかったかどうかがわかるようなことだし、そもそも、僕とは違う世界の話。 もちろん、車の免許については、今すぐにでも克服しておいた方が良いとは思うんだけどもね……それくらいは、頑張って取ってみようかな。お金さえ揃えばね。そして上手く予定が取れればね。スムースに行っても60単位必要で、それを9ヶ月以内にしなければいけないわけで……大丈夫かな。ま、「いつか」といってたらいつまでも取れない話なので、2016-17の一番大きな目標にそれ、設定しよう。そのためにはかなり節約しないといけないけどね。 ただ、なんというか、そういう自由な意志決定も含めて、俺は俺であることを最優先にする。それが俺らしいし、それが無かったら多分、俺は俺じゃない。俺じゃない生き方は、僕には出来ない。それでそれを評価されないのであれば、それは、その人には僕が解ってもらえないと言うだけのこと。そういう人に対する、適切な言葉は1つ、「しらねーよ」。 40歳とは、「不惑の歳」というけれど40歳を過ぎたらこういう青臭さある思いは抱かなくなっていくんだろうか。惑わないというのは、そういうことなんだろうけど、僕自身を見ている限りでは、40歳を過ぎても余裕で22歳の言動で揺り動かされる気がする。ま、それも僕らしいと言えば僕らしいんだけどね。そういう僕を良しとする人と、僕は解り合っていけば良いんだと思う。今20歳で、それが理解出来ないという若者がいたとしても、きっと20年後にはわかってくれると思う。

結論、俺は俺であることを、やめない。

もちろん、必要な努力はしていくけど、その上で俺が受け入れられないのなら、別にそれでいい。 どっちにしろ、俺は俺であることを、やめられないしね。

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誰かの自由は

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  • 誰かの自由は、誰かの自由を侵すもの。
  • 自分に自由があるなら、相手にも自由はある。
中学生のときに僕らが口にしていた「自由」が、どこまで「自由」を理解していたのかは、今となってはわからないけれど、「自由」ってのはそういうもんだろうなと思う。誰かの「自由」は、誰かの「自由」を奪って成立している。その事実に目を向けないのは、それもまた「自由」だけれど、それが本意なのでは無いとしたら考える価値はあるんじゃないのかと今の僕は思う。 むしろ出来ないからこそ、声高に主張するのかも知れない。すごいかっこいい。僕だってそうやって生きていきたい。でも「自由」を本当に実現するには、すべてを捨てて誰も来ない山に籠もるか、社会を全く意識せずに生きるしかない。でもたぶん、僕には出来ない。金もないし、まだ山に籠もる方が可能性はあるか。 僕はロックスターではないから、「自由」を口にするのに臆病になってしまう。他人の「自由」を侵してまで自らの「自由」を通そうとは思わない。法律を破る「自由」は求めない。責任は持ちたい。僕は「自由」を求めているけれど、「自由」ではない。すべてのやつらが「自由」を手に入れるのは不可能だと思っている。 「自由」を声高に主張していた中学生のとき、僕らは僕らですべてだったけれど、今の僕の目には、親や教師も見えてしまう。たかが中学生の服装に文句を付けてくる社会なんかくそったれだと思ったとしても、それを受け止めて代わりに頭を下げてくれる教師を無視することは出来ないし、それを踏み台にして手にする僕の「自由」は果たして「自由」だろうか。 僕にはずっと口に出来ない。だから僕はこの曲が好きなんだろうと思うけれど、僕の望む「自由」は中途半端でまったく「自由」じゃない。僕にはその程度の器しかない。でもまあ、そんなもんだろうとも思っている。

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38歳になりましたよよ。

誕生日にケーキプレート貰った♪ #foodstyling ありがとうございます。押しも押されぬアラサーです。違った、アラフォーです。 子供いないせいか、特にこれと言った実感は無いんですけど。 37歳になりました。 | mutter 俺、36歳になったってよ。 | mutter 35歳になりました。 | mutter 34歳になったようです。 | mutter 33歳になりました。 | mutter 32歳になりました。 | mutter ヒゲトリマーを貰ったよ。 | mutter

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2014年振り返り

西陣江戸川の鰻! 大晦日です。 というわけで今年も「2014年」を振り返って何か書きたいと思うのですが、僕の印象では2014年はすごい長い1年でした。去年も「2013年はいろいろありすぎた。僕にとっての2013年、長すぎ。超長い。」と言っていて、振り返り記事を読んでみてもさもありなんという感じであり、さすがにそれには敵わないけれど、それでもやっぱり僕にとっての2014年は長かったです。 とりあえず今年はざっくり2つくらいにわけられそうなんですけど、まあ、例年通り「前中後期」にわけてちょっと振り返ってみます。

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雰囲気だけはある

DSC_5825 昔から言われてきたのです。 「雰囲気はある」 そこにいるだけで出来そうな、何かやってくれそうな雰囲気がある。大学の馬術部の時にも言われてたし、メトロでDJしてたときも言われてたし、厨房にいるときも言われてるし、多分そうなんだろうなあ。顔立ちなのか何なのか解らないですが、これはもう持って生まれたものなんでしょうね。 でも……裏返せば「雰囲気しかない」。実際の実力はない。雰囲気に追いついていない。もしくは本番に弱い。「雰囲気はある」という言葉遣いはそういう意味も持っています。もちろんそう言われることを良しとしているわけではなくて、自分では自分が周囲に与えているらしい印象を上回れるように努力をしているのだけど、第一印象からのがっかり感にはなかなか勝てないんですよね。 僕の方からすると「勝手に期待しておいて、勝手にがっかりってそんな失礼なことあるか」という話なんですけど、でもそう思われてしまうことが多いんだから仕方ない。それはもう本当に仕方ない。 もちろん僕にとってデメリットばかりかというとそうでもなくて、将来本当に実力が伴ったときに、それを披露しやすいと言うのがメリットになるんだろうなと思います。目の前に出てきて「なんだこいつ」よりも「なんかしてくれそうだ」の方が受け入れられやすいですしね。ただそのためにはがっちりとやりきることが必要なんですけど。 いずれ、この僕の特徴がメリットになることを信じてあれこれやってます。そうなると良いなあ。詐欺師的なことではなくて、ちゃんとした意味で。

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なんやかんや忙しい

一見あんまり変わっていないように見えるけれど、僕の中ではここんところ2ヶ月くらいはかなり色んなことがあって、自分の中のバランスを調整しつつ優先順位を付け直したり、頭の中を整理してものを入れる場所を空けたり、今後の予定を組み直したり、色んな人に会って仕事だけじゃなくホントに色んな話をしたりして、とても充実した日々を過ごしています。これが正解なのか、このままでいいのかって言われるとまあわかんない部分もあるんだけど、でも今は今ある状態で最善を尽くすことが最も重要で、この状態を続けていくことで「今後の予定」が変わっていく可能性もあるのかなと。4月前半から5月そして6月へと状態はかなり流動的に変化しているので、この状態で焦って何か動くよりは、きちんと状態を見極めて、本業を疎かにするような本末転倒な状態にはしたくないなという感じです。 まあね、僕自身が全力投球したいと思ってることについて、常に支援が得られるわけでもないし、それを邪魔する要素はたくさんあるし、そういうのを振り切って集中していったその先にようやく何か得るものが出てくるというのが常なわけで、やいやいという声は色々聞こえてくるけれど、僕は今までと同じように、僕が信じたものに全力投球するように生きていきたいと思うし、それに横やりを入れたり、空気を読めず気持ちをモチベートさせてくれないような要素は出来るだけ排除して、目の前のことに集中して行きたいと思っている次第です。 周囲の事象に対しては、こちらから働きかけても無駄ってことも多いしね。聞き流し誤魔化しながら、自分にとって良いものだけを残して行くような感じで生きていけたらな。何となくそう思う今日この頃。 さあ、今週から来週も忙しいぞー 体力的には心配だけど、メンタル的には楽しみすぎる。

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