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「了解しました」「了解いたしました」は尊敬語ではないんだって
「了解いたしました」って便利ですよね。 「了解」の響きが少し硬くてかしこまった感じに思え、多用しています。 ただこれ「上司やお客様に使うのは失礼」なんだそうです。 目上の人には「了解しました」ではなく「承知しました」 :よりていねいなメール応対テクニック | 書き方ができる人コム 「了解しました」は、いけません – あらんだまおばさんの元気日記 そうだったのか…
投票に行くことは「義務」ではない
投票は「義務」ではない
選挙の投開票日まであと3日となりました。選挙における投票は、道義的にはともかくとして法的には権利であって義務ではありません。国民の義務は憲法第三章「国民の権利及び義務」で規定されていますが、その中の次の部分がそれに当たります。一方で義務である「教育を受けさせる」「勤労」「納税」については下記のように書かれています。第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。 ○2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。 ○3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。 ○4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。 ○2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。 ○2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。 ○3 児童は、これを酷使してはならない。
投票が「権利」である以上、それを行使するかどうかは国民1人1人に任されています。また行使しないことで何らかの罰則を科されることもありません。比喩的な表現として「投票は国民の義務」という言葉もありますが、それは単純に「もっと政治に興味を持って社会を良くしていこうぜ」程度の意味合いです。 投票に行くことはとても大事なことだと思いますが、「義務感」みたいなのはほどほどにしておいて良いかなと思います。少なくとも他人に強要するようなタイプのことではないかと。興味が持てない人に押しつけても仕方がないですしね。第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。
「誰が何を言ったか」が大事
なんとなく見掛けたフレーズに絡んでいくシリーズ。 特定の相手がいるわけじゃありませんけども。
ネットは公平な場所であり、実名であろうと匿名であろうとHNであろうと同様に1つのユーザーであり、そういう場所では言葉の本質的な力が強調される。すなわち「誰が言ったかでは無くて何を言ったか」が重要なのであり、発言者の氏素性によってフィルターを掛けるのではなくその発言内容に真摯に向き合うべきである……馬鹿言えと思います。 もっというと、馬鹿も休み休み言えと。
東日本大震災後のIわき市の、今。
東日本大震災ブームが過ぎたので その3 闇月さんという方がニコニコ動画で不定期に連載してくれているF島県Iわき市からの震災レポート。「ブームが過ぎた」という言い方に神経質になっている人も結構いるみたいなのだけど、被災地以外での日常生活を客観的に見た上で、被災された方がこの単語を使用している心情を考えると、そうなのかもしれない、と思ってしまいます。 大上段に構えた、もしくは腫れ物に触るような、もしくは一発当ててやろうか的なニュアンスでなく、被災地の惨状を過剰に訴えて支援を迫るようなものでも無く、淡々と書かれていることでとても血の通ったレポートに読めます。本当はもっと大変なんでしょうけどね。それでも庶民は前向きにい生きているよね、と言う部分まで含めて。 震災半年後の2011年9月11日から1年以上にわたってレポートされているので、興味があったら見てみて下さい。
世界報道写真展 2012(@立命館大学国際平和ミュージアム)
押小路通で路上喫煙が増えててほんと迷惑
京都市中心部で路上喫煙が禁止されてから5年、罰金が科されてから4年が経ちました。大分浸透してきたかなと思いますが、同時に「タバコを吸う方法」についても洗練されてきたなあと思います。それが「喫煙所の把握」であったり「煙草が吸えるコンビニ情報の集積」であったりしますが、最近になって目立つようになってきたのが裏通りに待避して歩きながらタバコを吸い、次の角で大通りに戻るような人達の増加です。喫煙方法としての「路上喫煙禁止になっていない道路の選択」です。
旧い友達が連絡してきて、電話口で用件を伝えずに「直接会いたい」と言いだした場合、高確率でそれはマルチ商法のお誘いであります。
家賃の安い周辺地域で好きな商売をする人が増えているような
まぁ京都ローカルネタなんですけれどね。 丸太町以北、今出川以南の地域が少しずつ注目されている気がします。 河原町通りの丸太町~今出川付近は昔からいろいろと縁がある地域で、以前は通勤路、今は毎日のジョギングコースになっています。その地域の10年前というと古い商店や事務所がこれまた古い民家の合間になんとなく並んでいて、かといって「京都っぽい」と言われるほど古くもなくて、言ってみればただ通り過ぎられるだけの地域だったのですが…なんかどうも最近ちょっと変わってきました。 まず変化の前段階として古い民家がなくなったり、古い商店が閉店したりしました。もともと高齢化の進んだ地域だったので、ビルの2/3階に住み1階で商売をしていた人がこれ以上商売を続けられないということで1階の店舗を閉めたり、亡くなったのか息子夫婦と同居することになったのか引っ越したり、雑居ビルから小さな事務所が抜けていってもぬけの空になったりしていきました。一時はこれはダメかなー、駐車場街になるのかなーとも思っていたのですが、不思議なことにというかなんというか、更地にして駐車場にする人やマンションを建てる人があまりいなくて、店がなくなって行ってる割には街としてがらっと変わってしまうと言う印象はなく。なんとなくそこにあるという感じで。 で、ここ3年くらいですかね。そこからさらに街の様子が変わってきました。
芸術性と政治理念の関係について
坂本龍一さんの発言が注目を集めていますが、まぁあんまり中途半端な覚悟で言及するのもどうかと思うのでそれについてはノーコメントで。炎上したいわけではないですし。 ただまぁ気になっているのは、坂本龍一さんの政治的な発言を「変化」「変節」と呼んでいる人がいること。またこれを機に「大好きだったが嫌いになった」と発言されている方がいること。 坂本龍一さんと言えば古くから左翼思想を持ち、学生時代には学生運動に参加、アーティストとしての活動を初めて以降折に触れそうした活動を行ってきた方で、そのことはあまりに有名です。今さらの変節ではありません。そうした政治理念がどれくらい音楽家としての作品に滲んでいるのか僕には解りませんけども、少なくとも僕にとっての「坂本龍一」にはそういう味付けはなくて、それはそれ、これはこれです。 まあなので、考え方として、
- 政治理念も含めて坂本龍一さんの芸術作品が好き
- 政治理念はよく分からないけど坂本龍一さんの芸術作品が好き
- 芸術作品はよく知らないけど政治理念には共感する