家庭内暴力と同じように体罰も文化として継承してしまっているもの

てなことを、サッカー日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督のコメントを読んで思いました。

日本代表のザック監督「選手を成長させるために暴力は必要ない」 – サッカーキング

日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督が、体罰問題について自身の考えを明かした。  ザッケローニ監督は、31日に行われた日本代表発表会見の質疑応答の際、指導者の暴力行為への考えを問われ、「イタリアでは起きにくいが、新聞を通じて情報は入っている。非常に驚きが大きいというか、こういうことがあるというのはやはり残念だなと思う」とコメントした。  また、「指導者やインストラクターの重要な役割の中で、アスリートを成長させる、育てていくということが挙げられるが、それを達成するために暴力というものは必ずしも必要ではない」と語り、「ときに我々監督は怒るし、感情を露わにすることもあるが、それと選手に体罰を与えるということは直結しない。少しの情報しか得ていないので多くは語れないが、レアなケースが表に出てきたと思いたいし、今後そのようなことが起こらないことを祈りたい」と、自身の思いを明かした。

どういうことかっていうと、無いところにはずっと無いんですよね。そしてそれ無しで上手く行く方法があります。それが無いから上手く行ってないなんてことは全然無い。それが無いと上手く行ってないところには、それ無しで上手くやるための何かが欠けている。そういうことだと思うんです。ザックが言うとおり、イタリアにはそれが無くて上手く行くための方法が十分に浸透していると。や、例えば日本の今のサッカー界には「それが無くて上手く行くための方法」が十分に浸透しているのかも知れませんが、そうではない部分もある。それが、柔道界だったり、少し前の相撲界だったり、一部の体育会系クラブだったりするわけです。 必要なことは、暴力の否定だけではなく、「それが無くて上手く行くための方法」を「それが無くて上手く行っている人たち」から学ぶことなんじゃないかと。その両輪があって初めて上手く行くんだと思います。

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なんかもう気持ち悪すぎて見ていられない

なんで若い可愛い女の子が坊主にして泣きながら動画を撮って配信しなくてはいけないのか… 誰に向かって何を謝罪してるのか… 友達が「死人が出てもドラマとして受け入れられそうなレベルに到達してて異常としか思えない」って書いててホントその通りだなと思った。現実感を喪失しすぎてて、気持ち悪い。二次元の世界がモニタの向こうからこっち側に溢れてるような感じ。そして見えなかった「二次元のリアル」が見えてる感じ。 AKB48に関しては基本的に好きでも嫌いでもなく無関心なのだけど、これに関しては明確に嫌い。気持ち悪すぎて見てられない。坊主にした女の子の容姿が気持ち悪いというのではなくて、1人の女の子がつい軽はずみにしてしまったことの責任を取るために、坊主にして泣きながら動画を撮って配信しなくてはいけないという状況がもう気持ち悪すぎる。なんでよ。誰がそこまでやれって言ったよ。エスカレートしすぎだろう、さすがに。 アイドルとしてファンタジーを創造し、それをもって観客やファンを魅了していくことは大切なことだとは思うけれど、着地するときはもっと現実的な場所に着地して良いと思う。このままだと「中の人」が人間では無くなっちゃう気がする。

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両親が農家から米を買っている話を聞いて「情報強者」について思ったこと

実家に帰ってました。ただいま。 実家にいる間はiPhoneでTwitterとFacebookをときたま覗く以外ネットには繋がず、とても心穏やかな暮らしをしておりました。自分の食い扶持フィールドのことを考えずに言うと、やあ、みんなネットばっかりやってたらあかんよ。うん。 でで、まあそれはそれとして、お米の話。うちはお米が大好きで、2人暮らしながら結構な量を食べています。そのせいで米の値段が上がると結構きついんですが、実家の両親が農家からまとめて米を買っているとかでときおり送ってくれます。これが美味い。とはいえ米の値段は、京都のスーパーで買うと安くて5kg2,000円、普通に買うと2,280円、米屋で買うと2,500円から3,000円というレンジで決して安いわけではないので、両親に頼るのは心苦しく思っていたんですが、実家に帰ってその辺のことを喋って判明。知り合いの農家に、安全で美味しいお米を安く分けて貰っていたんでした。諸々事情はあるんですけど、10kg2,000円。どうなってんの。しかも、超美味しいの。少なくともスーパーで手に入る古米混じりのお米よりか、ずっと美味しい。 美味しいお米を買うには?っていうと、産直の市場を探すかネットで検索する買ってことになるんですけど大体高いんですよね。道の駅的なところで見ても、5kg3,000円とか言ってんの。無農薬玄米ならまだしも白米でそれは難しい。ネットで検索して買っていた時期もありました。ネットで検索すると、安全評価から食味分析からありとあらゆる情報が載っているのでとても安心出来ます。送料もそれほど高くはないし、多めに注文すれば5kg2,500円くらいで購入可能です。安心出来る美味しいお米がこの値段で買えるんなら、わざわざ同じようなお金出してスーパーで買う必要ないなあ、と思っていたのですけど、それより全然正しい解は、「農家の知り合い作って売ってもらう」。これ最強。しかもうまい。来年はうちの分もまとめて買ってもらおうかと思っています。もちろん両親にお金を払って。 その農家の人というのは実際には遠縁の親戚で、別の畑を安く貸してる縁なので「知り合いを作る」っていうとちと語弊はあるんですけど、僕にとってはもう30年くらい会ってない人(名前もわからん)なので、知らない人。それに販売価格は別に親戚割引きと言うことでもないらしい(別の親戚じゃない農家の人から買ってたときもそのくらい)。うおーそんな社会、俺しらねー。そんな社会との接続口は、ネット上には落ちてねえ。そういう接続口は、実際に足を運んで、話を聞いて、作るもんなんだろうなあと。そういう接続口を作るの、うちの父親も母親も天才的に上手いので、息子の僕も美味しいお米が食べられる、と。 ネットを過信してるつもりはなかったのですけど、「何もない俺でもネット使えば人並みに、いや人以上に上手くやれる」的なことは思っていたかもしれません。少なくとも「ネット使えないと街の電器屋で定価で冷蔵庫買う」くらいのことは。でもなー「情報強者」ってのになる方法は何もネットを使うことだけじゃなくて、当たり前なんだけどさ、昔ながらの人と人との繋がり的なところにも大事なことはたくさんあるのよね、と再確認しました。それをサボるためにネットを使おうとしたらあかんね。 そんで米美味くて幸せだー

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「了解しました」「了解いたしました」は尊敬語ではないんだって

大門_了解.jpg 「了解いたしました」って便利ですよね。 「了解」の響きが少し硬くてかしこまった感じに思え、多用しています。 ただこれ「上司やお客様に使うのは失礼」なんだそうです。 目上の人には「了解しました」ではなく「承知しました」 :よりていねいなメール応対テクニック | 書き方ができる人コム 「了解しました」は、いけません – あらんだまおばさんの元気日記 そうだったのか…

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投票に行くことは「義務」ではない

投票は「義務」ではない

選挙の投開票日まであと3日となりました。選挙における投票は、道義的にはともかくとして法的には権利であって義務ではありません。国民の義務は憲法第三章「国民の権利及び義務」で規定されていますが、その中の次の部分がそれに当たります。

日本国憲法

第十五条  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。 ○2  すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。 ○3  公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。 ○4  すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

一方で義務である「教育を受けさせる」「勤労」「納税」については下記のように書かれています。

日本国憲法

第二十六条  すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。 ○2  すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

日本国憲法

第二十七条  すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。 ○2  賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。 ○3  児童は、これを酷使してはならない。

日本国憲法

第三十条  国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

投票が「権利」である以上、それを行使するかどうかは国民1人1人に任されています。また行使しないことで何らかの罰則を科されることもありません。比喩的な表現として「投票は国民の義務」という言葉もありますが、それは単純に「もっと政治に興味を持って社会を良くしていこうぜ」程度の意味合いです。 投票に行くことはとても大事なことだと思いますが、「義務感」みたいなのはほどほどにしておいて良いかなと思います。少なくとも他人に強要するようなタイプのことではないかと。興味が持てない人に押しつけても仕方がないですしね。

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「誰が何を言ったか」が大事

いきいきペール なんとなく見掛けたフレーズに絡んでいくシリーズ。 特定の相手がいるわけじゃありませんけども。

ネットは公平な場所であり、実名であろうと匿名であろうとHNであろうと同様に1つのユーザーであり、そういう場所では言葉の本質的な力が強調される。すなわち「誰が言ったかでは無くて何を言ったか」が重要なのであり、発言者の氏素性によってフィルターを掛けるのではなくその発言内容に真摯に向き合うべきである……
馬鹿言えと思います。 もっというと、馬鹿も休み休み言えと。

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東日本大震災後のIわき市の、今。

東日本大震災ブームが過ぎたので その3 闇月さんという方がニコニコ動画で不定期に連載してくれているF島県Iわき市からの震災レポート。「ブームが過ぎた」という言い方に神経質になっている人も結構いるみたいなのだけど、被災地以外での日常生活を客観的に見た上で、被災された方がこの単語を使用している心情を考えると、そうなのかもしれない、と思ってしまいます。 大上段に構えた、もしくは腫れ物に触るような、もしくは一発当ててやろうか的なニュアンスでなく、被災地の惨状を過剰に訴えて支援を迫るようなものでも無く、淡々と書かれていることでとても血の通ったレポートに読めます。本当はもっと大変なんでしょうけどね。それでも庶民は前向きにい生きているよね、と言う部分まで含めて。 震災半年後の2011年9月11日から1年以上にわたってレポートされているので、興味があったら見てみて下さい。

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