頑張ってるのに頑張れって言われたら

昨日の深夜、TLにそんなツイートがあったので。 「圧力になるから言うな」「応援は感謝すべき」など、 この件については色んな人が色んなことを言いますが、僕はこう思っています。

頑張ってるのに「頑張って」と言われたときに取るべきリアクションはオリンピック選手が教えてくれたと思うんですよね。オリンピック選手、それから一流選手(特にメジャースポーツのプロ選手)、彼らのドキュメンタリを読むとやっぱり同じことで悩んだ経験があるみたいです。彼らは頑張っても頑張っても「頑張れ」って言われる。頑張って大舞台に出れば出るほど多くの「頑張れ」をもらう。もうこれ以上頑張れないというほどの努力をして臨んだとしても。 じゃあ彼らはそれに毎回反発しているか、それで負けてしまうかというと、そうじゃないですよね。彼らはそんな「頑張れ」に対して「ありがとう」と返します。その「ありがとう」は無視じゃない。上っ面な取り繕いでもない。単純な「応援してくれるのはありがたい」ということとも違う。何か「ありがとう」と伝えることで「頑張れ」をエネルギーに変えられる魔法のようなものだと思うんです。 だから「頑張れ」と言った相手とは関係無く、自分のためにも「ありがとう」って返そうと僕は思っています。オリンピック選手やプロ選手は「頑張ってるのに」の先にある何かを知ってるんですよきっと。それがきっと彼らのエネルギーになっているんだと僕は思います。 ありがとう。

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「アイドル」がよく理解できない

これは多分世代的なことなんだろうなと思っていたのですけど、同年代でもアイドル大好きな人が大勢いるところを見るとどうやらそうではなくて僕個人のことみたい。僕個人が、「アイドル」と言われる人達に対して親近感を抱くとか、なんらかの愛情を抱くといった感情が理解できないようです。 過去の話で言えば、僕の中には特定の「アイドル」にファン感情を持った経験がないのですね。正直、あんまり魅力的に映らなかったんです。おっさんホイホイというと決まってかつてのアイドルをフューチャーするんですが、僕にとってはテレビの向こうの自分とは関係のない人達という感じでしたし、なんですかねえ…身近な感じがなくて。世代的にもクラスでアイドルの話で盛り上がるみたいなこともなかったですし。テレビの中のアイドルよりも、クラスのTさんの方が僕にとってはずっと大事なアイドルでしたよ。 現在の話でも。これはAKB48が盛り上がる前、パフュームが盛り上がる前から思っていたのですけど、なんだかねえ、怒られるのを承知で言いますとね、過去も現在も「アイドル」って変わらないことないですか。いや解るんですよ、中の人が変わっていてそれが重要なんだってことは。だけどその中の人に興味を持てない僕から見ると、なんというか大体「そこそこ可愛い」女の子が優等生の発言をしてきらきらしてるわけです。なんか同じじゃないですかねえ、いつの世も。 「アイドルグループ」にしても、それがAKB48であれ、モーニング娘。であれ、うしろ髪ひかれ隊であれ、グループで登場して順々にパートを受け持って決まった「フリ」をして、全体図で「止め」っていう構図がずっと同じで飽きるんですよね…細かいキャラ付けの差はありますよ。清純派ではなく結構ぶっちゃけるとか、リアルに天然とか。でも基本的にそういうのって全部教科書に書いてある通りじゃないですか。ああ、あれねという。何か他にないのかなぁと。 重ねて書きますけど、こういう思いを持つ僕が変わってるんだと思うんですよ。アイドルにはそれぞれ自分の全財産を投げ出しても良いというファンが付いていて、何十年経ったあとでも熱狂的な人気があるアイドルもいて、その時々においてとても素敵な空間を共有しているわけで、そのことはとても良いことだと思うんです。なんで僕はそういうのに感じる部分がないんだろうなあ。見たら可愛いとは思うんですよ?AKB48の面々を眺めれば自分の好みに合う子も何人かいますし、Perfumeの歴史を読めば愛着を感じる気持ちもとても理解できます。でもなーそっちにはいけないんですよねえ… アイドルのニュースを見る度になんかそういうのをとても不思議に思ってるんですよね… みなさん幸せそうなんですけどねえ。 僕にはよく解らないんです。

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初めて一人暮らしを始めたときの解放感

晴れ。#sky 社会人で実家に親と一緒に暮らしている人の心境が僕にはよく分からない。 もちろんそれぞれ介護なりの複雑な事情がある場合もあると思うのですけど、そういうものが無くて同居していることのメリットが僕にはあんまり理解できないのですね。「実家の自分の部屋」より「自分の家」の方が気が楽じゃ無いのかな… そんなことを考える僕の「元」になっているのは何なのだろうと考えてみるに、多分、大学生になって一人暮らしを始めた最初の時の『解放感』だと思うのですよね。それは今でも忘れられない。両親が来て引っ越しをして母親はその日片付かない部屋に泊まってくれて翌日ようやく大分片付いて、両親が実家に帰り部屋に一人きりになったときの何とも言えない解放感。それで寂しさを感じる人もいるみたいだけど、僕はその最初の時から今に至るまで1回もそれを感じたことが無いんですね。自分がしたいことを自分がしたいタイミングで自分がしたいだけ出来る、そんな快適なことは無いじゃ無いですか。 社会人になって人並みに給料を稼ぐことが出来れば、金銭的な意味では一人暮らしをするのは難しくは無いと思うのですよ。仮に手取りが20万しか無かったとしても、ワンルームの家賃(5-8万くらい)を出すのは楽勝でしょう。敷金、礼金で2ヶ月ずつ取られて、引っ越し費用に5万かかったとしても引っ越し費用は総額で30万くらい。半年貯金すれば充分に貯まる額です。だから、特別な事情なく実家にずっと住んでいる人というのは、独立したくないということでそうしているという理解なのですが…やっぱりよくわからないな。独立しちゃえば良いのに。その方が、社会の広さも自分の非力さも親の有り難みも自立することの意味もわかるってもんです。特に親とトラブルを抱えている人には、独立することで一旦距離を取って見つめ直すことをオススメしたいですね。 ただまぁなんというか僕のこの自分一人を好む性格は、世間的に見て正しいとか正しくないとか言うよりかは、僕の中にある根元的な何かのような気もします。自分のパートナーも家族も愛してますよ?愛してますが、それはそれとして僕は僕の独立した生活をしたいという何か。この何かはいったいどこからやってきてるんだろうと考えたりもするのですけど、いまだによく分かっていません。僕は、少なくとも日常のプライベートな生活においては、自分がしたいことを自分がしたいようにしたいんですよ。ねえ?

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【2012年の目標】 一人焼肉

「特別に肉が好き」と言うわけではないのですけど、それでも1年に1回くらいは焼肉を食べに行きたくなります。が、彼女の人が焼肉がだめなので一緒に暮らすようになってから4年の間、遂に焼肉を食べに行く機会に恵まれませんでした。何人かの友達と「行こうぜ」みたいな話はしてたんですけどねー…普段あんまりコンタクトを取らないタイプの人間なので、結局それも実らず。 彼女の人は「牛肉や焼肉のタレがダメなだけで匂いは好きだから、韓国料理もあるような店なら一緒に行っても良いよ」と言ってくれてるんですけど、いやあ…なんというか気を遣うじゃ無いですか。好きでもないものを食べに付き合わせちゃってるかと思うと。韓国料理は好きですけど、焼肉と韓国料理って何か違うんですよね僕の中で。なんだろう、メニューとかじゃ無くてモードが違う。

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Web上の人格を分割したいという誘惑

uraomote 確固たる意志があったわけではなく今現在もなく、ただ単純に成り行きで実名で活動を続けているのですけど、正直に告白するならば、Web上の人格を分割したいと思うことはたまにあります。「実名で無いと発言に責任を持てない」とかそんなこと考えてやってるわけでは無いので「匿名ならその方が楽だよね」と思うし、実名でリアルに繋がってしまってるせいで晒せないような何かもあるわけで窮屈なときもあり。そんなときに、せめてリアルサイドとWebサイドとで分割してしまいたいと思うことはあります。 自分で見ても気持ち悪いと思うことは結構あるんですよね。四角い目して「日本の経済の状況とは…」「政治の先行きは…」とか言っている一方で、泡盛片手に「うはwwwwまじでwwww」とか言ってるのがなんかもう一個で良いのかよおいとか。どっちかにした方がわかりやすいんじゃねーのとか。星ちゃん星ちゃん言っているこのツイートはどの辺に流れて行ってるんだろうとか。 そんなこと思って考えたこともあるんですけどね、せめてTwitterだけでもとかね、でもなんか思うんですけど、分割したら僕その両方とものことを嫌いになってしまいそうな気がするんですよね。真面目ぶってるところといい加減なところと両方あって取ってるバランスってのはあって、そういうのをごちゃごちゃにしたままでいるから保たれてる均衡ってのはあるはずなんじゃないかなぁという。今この瞬間これは許せないけどこれは許せるからまいっか的な。 まぁその辺が僕の限界って言うか、いろいろ削ぎ落として明確にしていったらばきっと取っつきやすいだろうなと思うんですけど、それはこのブログがいまいちパッとしないままで続いて行ってる理由でもあるんですが、まぁそういうこと含めてなんつーかまぁ別に良いかなと思ってるんですよね。なんか自分が魅力的に思う人にはそんな人も多い気がするし。真面目なこと書いた次のエントリがとてつもなくどうでもいい(けど僕は好きな)野球ネタだったり、とても真面目で建設的なコラムを書く割にしょうもないダジャレネタを3日くらいTwitterで続けてたり。 匿名…というか、ハンドルネームで活動してる人を羨ましく思うことはあるんですけどねぇ。 僕の中のバランスとしてあるがままが良いと言うことなのかも知れないなぁ。

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InnoDBをリカバリして学んだこと

とても情けない理由でデータベースを壊してしまい、リカバリをすることに。破損個所はその直前の作業から言って何千万件のレコードを持つInnoDB。考えただけで己の「ポチ」を恨みたくなりますが、唯一ラッキーだったのはそのレコードの99%以上はノイズ(必要の無いログなど)で、最終的にはサイズを1000分の1以下にする予定だったということ。じゃなかったら多分復旧には日単位で時間が掛かっていたと思われる… 以下、解ったこと。

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「人を見た目で判断するな」という言葉に対して思うこと

赤貝 誰の発言と言うことも無くて、かつて自分も考えたであろう良くあるセリフなんですけど、この間「自分がハイティーンの頃にTwitterがあったら」とか考えてたその流れでつい浮かんだので。まぁよくありますよね、そういうセリフ。「人を見た目で判断するな」と言うね。 で、何を思ったかというとですね、自分の好きな格好をしている人がそのセリフを言ったら終わりだなーとか。 自分が好きな格好をしている人以外がそんなセリフを吐くとは考えられないので、完全にセリフに対する否定になりますけど、僕の考えでは自分の自由を通すと言うことは、相手の自由も通すと言うことだと思うのですね。自分の自由は通すけれども相手の自由は制限する…というのであれば、自分の自由を保障する前提がおぼつかないでしょう?「他人に迷惑を掛けない範囲で人は自由に行動できる」のだとしたら、その権利は相手にもあって然るべきです。 翻って先ほどのセリフのシチュエーションを想像してみるに、少し常識から外れた、もしくは過激な、ないしは軽薄な格好をしていた人間が、その格好相応なステレオタイプをもたれたことに対し、俺はそんな人間では無い!と憤るということだと思うのですが、自由な格好をする権利が片方にあるのであれば、もう片方にはそれを自由に受け取る権利があって然るべきでは。発信者が受信者に印象を押しつけるのは、それはもう自由では無いよね。 僕自身はなんつーか昔から良く誤解される人間でありまして、過去担任になってくれた教師の半分は、1年の前半くらい僕のことをとても誤解して過ごし後で一方的に謝られるという有様でした。なんですかね、顔つきですかね。よく分かりませんが。だから差別とかステレオタイプとかそういうことを良しとしたくは全く無いのですけれども、今になって思えば、一連の誤解は何も無いところから突然生じたことでは無くて、僕自身の照り返しというかさ、「僕はそう見られている」という現実だけがあったんだなぁと言うね。誤解はそれを受け入れない、ないしは受け入れたくないのに解って貰おうとしなかったことで生じたんだと思うのです。 人が人を見た目などを主要因として自由に判断することは、それは自由で、であるからこそ僕は僕のしたいようにそこにいられるのであって、もしその判断を修正したいのであれば、それ相応の努力を要するということなのだよねと。黙っていて何にもせずに見た目にとらわれることなく正しく俺を判断してくれというのは…正直、無理ゲーだよね。もしくは傲慢。 自分はとても傲慢だった、もしくはとても若かったのだ、と思ったのでした。 まぁ、それ(若い頃)もこれ(今)も好きなんですけどね。存外に。

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自分がハイティーンの頃、Twitterが無くて良かった

そう思っていたら期せずして他にも同じことを言ってる人が複数いたのでそうだよなーと思った次第。 まぁ僕の子供の頃は大概いつも痛かったのだけど、特に高校生の頃だと「社会に対する不満」なんかもあったので、そこでTwitterなんかあったら酷かっただろうなぁと言う。わざわざ「社会に対する不満」と括弧でくくった理由は、まぁ要するに、テレビで見聞きしたことと上手くいかない自分の状況というとっても狭くて自分勝手な理屈で不満を言っているからで、それを解決するためにどうしたら良いのかとか、どうしてそうなっているのか、変えてそれ以上に悪影響が出てしまうことは無いのかそういうことを考えていないから。無駄に情熱はあるもんだからそういうのを熱く語るんだけど、まぁなんというか、本当の社会の中でそんなことやっても痛いのを煽られてからかわれて黒歴史になるだけで、まぁねという。 また高校生の頃とか特にだけど、男だったら「悪ぶりたい」みたいのってすくなからずあるじゃん?いい大人になってくるとそうは思っても自重するもんだけど、高校生だと特に意味も無く衝動的に悪いことをしたりするよね。万引きとか。友達同士で居酒屋に行くとか。喧嘩するとか。んでそういうのを友達に自慢げに語るという。 僕はさすがにそこまでやんちゃでは無かったけど、公の場所に書けないことを一切してこなかったかというと嘘になるし(人に迷惑を掛けたことはない…はず。万引きとか窃盗とか)、友達がしたのを黙認したこともあったし、若い頃の分別の無い自己顕示欲みたいなのを満たすためになんか書いちゃっててもおかしくない。「今日は友達みんなで忘年会です!」とか言ってアップした写真の後ろに生中のジョッキが映り込んでたとか。あーありそう。そんで速攻で教師に転送されてそう。うひょー そこまで考えて、じゃあ大人になってから、成人してからだったら問題ないかって言うとまぁそんなことは全然無いなぁ。Twitterの無い時代に生きていたときのリテラシを、Twitterがある時代から評価することには何の意味も無いけどさ、でも例えば恋愛がこんがらがっちゃったときとか、自分のせいで大学での生活が破綻しかかってたときとか、いろいろとヤケになってたときとか、そういうときにもしTwitterがあったらどうかって考えると…… うわーーーいーやーだーー。 それが自分じゃ無くっても嫌だなぁ。ちょうど3年くらい前でしたっけね、仲間内を引っかき回す色恋沙汰がありまして。それも浮気とかでは無くて女の子の方の言いがかりの嫉妬とそれを全面的に支持するアホな男が手当たり次第に喧嘩を売りまくり、挙げ句の果てにWebの公開領域でその男女同士が罵詈雑言の痴話喧嘩を年単位で継続するという大変汚らしい事例でしたが、もしあのときにTwitterがあったらと思うと…うひょー。そのくらい公開することに対する意識が緩いカップルだと、Twitter=公開ショートメッセージくらいのあれになって、喧嘩したら喧嘩したでうざいし、仲良ければそれはそれで鬱陶しいし、2人の周囲に対する心情がリアルタイムでつまびらかになるとい大変なことになっていただろうなぁ……あ、でもそれはそれでちょっと面白そうか。リアル・コンテンツとして。 まぁ何はともあれ、今Twitterに触れる若者は、そういうものとして育つわけで、そういうものとして育ってない僕が何かを感じたとしてもそれはねー彼らには全く関係ないことなのでどうでも良いことです。ですけど、僕個人に関して考えると「もしあったら」なんつて想像すること自体、背筋が凍るような仮定でして、ああ、無くて良かったと深く嘆息するのでした。 まぁ今使う分にはとっても便利なのだけどね。

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現実に起きないことを妄想する程度の能力

なんか凄いニュアンスな話なのですけど。 子供の頃から色んなことを想像するのが結構好きで、もしこうしたらこうなるとか、こんなこと言われたらこう返してやるとか、もしこんなことが起きたらこう行動するとか、こんなことやれたら格好いいなとか。まぁ要するに格好いい自分に憧れる中二的な「妄想」なのだけど、公平に考えてそのうちの1割くらいは現実になっても良いはず…そんなに突飛ではないはず…でも、ならない。不思議なんだけど、良いことも悪いことも、想像したことは何かしらないけどあんまり現実に起きない。あの女の子と仲良くなれたらいいなぁ→ならない、偶然出会わないかな→出会わない、台風直撃したら嫌だなぁ→直撃しない、高い評価もらえると良いなぁ→もらえない、失敗したらどうしよう→案ずるな受験生、意外に行けるかも→行けない…みたいな。勘が鈍いのにもほどがある。僕に未来予想は無理。 もちろん、たまたま自分の印象に残っているのがそういうことばかりと言うだけであって、人並みに勘が当たったり外れたりしているのだと思うけど、なんかねー印象ベースでは、細かく妄想して備えれば備えるほど当たらない。「現実に起きないことを…」と書いちゃうと格好良く聞こえるけど、裏を取れば大儲けというようなことでもないので、なんかもう鬱陶しい。裏取れたら今すぐにでもデイトレード方面に行くのに。そんなことはまぁ起きない。そもそも悪いことだけを想像してギャンブルする人なんかいないしなー(横にいて僕のつぶやきを聞いてる人は逆張りで大儲けできるのかも知れないな) どうせなら余計なことを考えないようなメンタリティになれればいいのにとも思うのだけど、まぁ昔からだからなぁ。なかなかそういう風にはなれないし、ずっとこうなんだろうなー。なんと役に立たない能力。うむー。

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