チラ裏すら書けない世の中じゃ

さっき書いてアップした文章が激しくどうでも良いチラ裏エントリで、 言ってしまえば僕と彼女のひとにしか関係ないエントリで、それに絶望しかけたのだけど、 まぁなんつうかさー個人ブログなんてそんなもんだよねぇ、とちょっと思った。 思ったってか忘れてたのを思い出した。 ここ、別に何かの広報ブログとかじゃなく、アクセス数が1日3,000も行かないようなブログなんだし、 「将来的にこれで俺もビッグになる」とか「大手に比肩するブログに」とかいうんじゃなくて 10年くらいだらだら書いててこれからもだらだら書くだけなんだから、 「こうすべし」「こうすべきじゃない」とか基本的にどうでもいいよなー いや解るんですけどね。 お前のそのチラ裏読んで誰が面白いんだよと言う。いやもうホントにお恥ずかしい。 んでもそれを僕が気にする必要もないんだよねぇ。 僕ってそうなんですよ、基本的に。 内輪ネタも結構楽しんで書いてたはずなんだけども、 いつの間にか見たこともない人たちを勝手に意識して、凄いよそ行きの記事とか書いて、 んで自分の文章にダメ出ししてて、そんなのどうでもいいなーとか思いました。だよなぁ。 かっこよさそうで格好悪いよなぁ。だよなぁ。 もっとだらだらしてていいよなぁ。お前のそれ知ってどうしろっていうんだよみたいなの。だよなぁ。

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「誰が言ったか?」にも意味はある

20代前半の頃はそうは思っていなかったんですけどね。 「確かに俺は駆け出しだし経験も足りないかも知れないけど言ってることは合ってるだろ」そう思うことも1回や2回ではなく……って、まぁ正直言えば今でも思ってるんですけど、でもねーそういう話だけじゃ人は動かないのよね。その言葉の重みを決めるのは話している人間ではないのですよね。 聞いた言葉が重いかそうでないかを決めるのはその言葉を聞いた人間で、そこには話し手の伝え方やシチュエーション、経歴や年齢、現状なんかが関係してきて、そいうのは同時に「詐欺」や「老害」の一因にもなっているけれども、ともかく人ってのはそういう判断の仕方をするもんだし、経験が足りないなどの理由で言葉が説得力を持たないのを言葉を練り、際立たせることで補おうとしても無駄なこともある、という。 もちろん単純に聞き手に分かるように伝えられていなかったとか、言葉を重ねれば分かってくれることもあるけど、そういうことと平行して「話す言葉が自分の思うとおりに相手に伝わる人間にならなくてはならないんだ」という視点もあるのだよね。現状、経験も知識もまったく足りないのに社会がどうなっていくべきかを語ってみたり、遠い過去の栄光を基に「最近のやつらは」という話をしてみたりした場合、言葉は正しいのに、届かないってことはあるわけでね。説得力は無いよ、という。 完全に「誰が言ったかで決まる」「中身なんか二の次」というつもりはないんですよ。中身が大事というのもそうだし、出来れば発言者の貴賤にかかわらず万人が耳を傾けて欲しいとも思うけれども、 答えは③。現実は非情である。 こういうときに何を為すべきかを考えた場合、中身や伝え方にばかり説得力の元を求めるのではなくて、「どういう人間が言ったか?」に目を向けるのも選択肢としてアリかも知れないなと思ったのでした。

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34歳になったようです。

本日1月26日は自分の誕生日ということで、無事34歳を迎えました。 去年からの1年おつきあいいただきまして本当にありがとうございました。 明日からもまたおつきあいいただければ幸いです。 なんでしょうねー年齢を重ねること、歳を取って老いていくことに対しては別になんも嫌な思いはなくて、むしろ年々楽になっていってて歓迎してるくらいなんですけど、こと仕事に関して言うとまー1日ごとに「このままではダメなんじゃないか」という焦りは深まるばかりですね。今の会社で今の仕事を続けていても明るい将来なんか微塵も期待できないし、かといって「それでも今幸せに暮らしてるからいいや」と思うことも出来ない中で、年齢を重ねれば重ねた分だけ転職できなくなっていくわけで(「対年齢の経験不足により」とかいってお祈りされちゃうんですよ)、正直どうしたらいいかよくわからん、と思うような。 「独立しないの?」なんつて聞かれることも良くありましたけど、難しいですよね。検索すると田舎の方で「これでお金貰ってるんだー」というホームページに遭遇することがあったりして(最近移転した某クラブ・バーのwebページの素人っぽさとかも酷い)、「Webデザイン会社」は健在だなとか思ったりするんですけどきちんと仕事を成立させて今以上に利益を得ようと思ったら、そんな仕事では元取れないんすよね。特に一定規模以上の都市には既にあまたのデザイン会社があるわけなんで。せめてそういう会社からの独立ならあるかも知れませんけどね。最近は下請け業務も減ってるみたいだしなぁ。案外ヘタレだっていうだけかもしれませんけど。 まぁなんかその辺の話はまた別口で愚痴るとして、年齢を重ねるにつれてそんなことも考えちゃうんですよね。 今年も、これからも、色んなことが変わるだろうし。 まーでもそんなもんだろうなぁ。悩みが無くなったら逆にキモイよね。 悩みながら明るく生きたいと思います。 押忍。 2011/01/26 ippei ‘is’ suzuki a.k.a nobodyplace.

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難しい表現を使う人と教えること

友人がその知人のこんな言葉をリツイートしてた。 (自分は知らない人なのでソースは伏せてます。返信とかではないので気にしない方向で)

時々、難解な文章書く人がいる。難しい感じや単語を使って書いてある。それを子供向けにしてもらうと全く書けず実は本人がわかっていない事がわかったりする。人に教えるとはそういう事。わかったふりが浮き出てくる
いやー真理だと思います。ただまぁ人に教えるって難しいよね… 特にこれをリツイートした友人は毎日悩んで、僕なんかが及ばないくらい悩み考えてるんだろうなぁと思うんですけど、「教えるのが難しい」のと「難解な文章を書く」のとは実は全く関係がないのではないかなぁと思ったり。文章上の装飾として、「平易な表現では書けない」の強調として「普段難解な文章を書く」が出てきているのだろうなと思うのだけど、普段平易な文章を書いている人であっても、誰か向けの文章ってのはなかなか書けないもんだと思うよ。それが不特定多数向けならより一層。

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間違えやすい「差別」。

ある日の会話にて。 秋葉原の休日の風景を撮影した写真を見て友人が「気持ち悪い」と言ったので、オタクだからって言うんで差別をするのは良くない、と僕は言ったのだけど、言ってすぐに僕の発言は極めて見当違いだと気づいた。 友人は見た目が気持ち悪いから「気持ち悪い」と言っただけのことで、それ以上でもそれ以下でもない。そして確かにその写真に写っていた彼らは、まぁなんというか、お世辞にもオシャレではなかった。僕はそれをそれで良しとする人間だけども、それは人によって違うだろうし、一般的な感覚からしたら多分、そうなるんだろうな。 それに対して僕は「オタクだからって」と言ったのだけど、じゃあオタクだから見た目がオシャレでなくても気持ち悪いわけじゃないのかというと別にそうじゃない。オタクだろうがオタクで無かろうが、気持ち悪い人は気持ち悪い。それを口に出して言うかどうかと言う点においては議論の余地があるにしても、オタクであることを理由に「気持ち悪い」と言うことを許さないのは、それは、差別だ。間違えやすいけど。差別していたのはその友人じゃなくて、僕の方だ。 そのことに気づいて、愕然とした。 似たようなことが色んな差別の構造の中であって、そういうことに違和感を感じているのにもかかわらず、対象が少し違ったらこの有様だ。僕なんか、全然、大したこと無いなぁ。 ちょっとショックだった。

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ハンドルネームを変えたいのです。

僕のハンドルネームは「is」でありましてこれで長いこと活動してきましたが、もう一つ某MMORPGでその昔名乗っていた「Nobody」という名前由来のサイト名「nobodyplace」をハンドルネームとしているときもあります。 「is」は短くて使えないことも多いので、最近は「nobodyplace」の出番が多いのですけど、なんかねー「nobodyplace」って読んでもらいにくいのよね。なんかカッコつけた感じだし自分でもたいそう居心地が悪くて、どうしてもっとわかりやすいハンドルネームにしなかったんだ…と思うことしきり。わかりやすければ何でも良かったと思うんですよね…「茶坊主」とか「本殿」とか「タブクリア」とか「右脳」とか、何か適当に思いついた名義で。 とはいえ今さら変えるのも面倒…なので当面は本名でも名乗っておこうかと思ってしてるのだけどそれはそれで恥ずかしい。実名を隠したいということではないのですけど、ひらがなで書く自分の名前って、なんか可愛い風をアピールしてるみたいで…微妙。うーむ。 ま、でも変えたければあっさり変えてしまえばいいので、そのうち何か思い切りが付きましたらば適当な名前に変わるかも知れません。「ゴーヤ」とか「黒服」とか「てびち」とか「生姜湯」とか「冷え餃子」とか。わかりませんけども。

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自分は歳を取ったのだなぁと思う。

今までよく行っていたクラブイベントが楽しめなくなる、そういうことがここ半年ほどの間に何度かあった。それに対して「質が落ちた」「ジャンルが変わった」「方向性がずれた」などと言うのは簡単なことなのだけど、でも率直に言ってそういう「批判」は自分の中での優先度が変わったことに対する言い訳でしか無く。そうさして行きたくないところを頑張っていくのだからと言う意味で、無意味に期待のハードルを上げてしまったり、ギブアップまでの時間が短くなってしまったりしている所はある。 DJやオーガナイザからは異論があるかも知れないけれど、客にとって見ればDJの掛ける音楽で踊ることだけがその日そこに訪れる理由ではないのだから、別に多少の音楽的な違和感は吸収できる(仲の良い女の子が1人いるだけで全てが許せることだってある)。イベントとして見事に練り上げられたものでなくても、十二分に楽しいイベントは存在しうることを僕は知っているし、少なくとも僕は音楽そのものだけで毎週遊びに出かけていたわけではなかったし、友達や知り合いが全くいない場所でだってそんなに退屈はしなかった。 そんな僕が長年通ったイベントに飽きている。 ジャンルは結構色々。 Ustreamを見たいとさえ思わない。 前述した部分に戻って「質が落ちた」「ジャンルが変わった」「方向性がずれた」などと愚痴ることは可能で、そんな風に思うイベントも実際にはあるけれど、結局の所僕はきっと歳を取ったんだろうな、と思う。他に時間を使いたいことがたくさんあって、それを犠牲にしながら出かけるのが少々きつい。まず「そんなに行きたい訳じゃない」という部分があってその先に「やっぱり来ない方がよかった」があるから、それはきっと僕のせいでイベントのせいじゃない。今、自分で行きたいと思って行ってるのってウェラーズの「Friday I’m In Luv」しかない。「Friday~」については色々と思うこともあったけど、今は一周回ってちょっと良いと思える。それでさえ2時には帰って来ちゃうのだけど。 まぁでも「歳を取ったという感覚」は僕はそんなに嫌いではなくて、変化ではあってもそれで人生の楽しみが減ったわけでもないので、そのうちそれに合わせた付き合い方みたいなのがわかるようになるのかも。しょせんは「マイブーム」的な話だしね。「若さに敵わない」なんて思うことはそう無いし(実際、まだ33歳なんだし)音楽が嫌いになったわけではないから、どこかで一周回って振り出しに戻るみたいになることも…あるのかな。わからないけど。

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