本日のブックマーク。 – 2006/02/21

『本日のニュース』『本日の気になったニュース』改め、 『本日のブックマーク』。 はてなブックマークの本格活用により、それをまとめた方が良いかなぁと言う感じで。 CHEEBOWさんみたいに、それを取得して、はてブ→MTという自動投稿でも良いんだけど、 技術的な面と、『あとで読む』の処理に困るなぁ、と思いつつ、 まぁいいや、今まで通りにピックアップしてまとめるか、ということで。 はてなブックマークに登録しているものも、されていないものもありますが、 まーその辺、適当に。 で、トップニュース。

東京大学、海洋研究開発機構などの研究チームは20日、高密度のメタンガスが氷に閉じ込められ、“燃える氷”と呼ばれる「メタンハイドレート」が、新潟県上越市沖の日本海海底深部に、深さ100メートルの柱状に存在していると発表した。
正直よくは分からないんだけど、 メタンハイドレートというのは、メタンの水和物、水とくっついて結晶化したもので、 効率よく分解できれば、天然ガスの代替として利用できるのではないか、と 期待されている物質らしい。 サイエンスZERO/放送内容/第22回“燃える氷”を獲得せよ しかもこれが日本近海、深度900メートルに発見されたと言うことは… もしこの開発に成功したら、日本のエネルギー事情は大きく変わると言うことでは? 外交にも影響を与えそうだし。 開発自体は時間を掛けて、じみーに進むと思うけど、 エネルギーを自前で用意できるようになると、 日本もかなり変わるよなぁ。

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西正氏のブログでコメント欄が復活

なんかイチイチ書いてるとストーカーみたいだが(苦笑) コメント欄を閉じた5日後の2/1よりコメント欄が復活していたようだ。 僕がこの件に注目してるのは、単に面白いからと言うこと以上に… マスメディアに対してある程度の知識と意志を持つ人間が、 馴れ合いに成りつつあるブログの世界に入ってどうなるか、 ということに興味があるからだと言っても良い。 コメントを再開した2/1のエントリの中で西氏は、

匿名で日記を書いて、知らない他人に読んでもらいたいという気持ちは全く理解できない。
匿名で発言できることの問題は、正体が分からない(実際にはそんな都合の良いことは有り得ない)のをいいことに、顔を合わせてだと言えないようなことも思い切って言えることだ。結果的に、非常に過激にもなる。実名でも「メール」がそういう現象を引き起こしていると聞く。匿名なので思い切ったことが言える快感が楽しいというなら、それは結構だが、何か虚しくないかと思うのである。
と書いているのだが… 匿名に関して、いろいろと混同している気がする。 例えば、僕はこのサイトを、本名を隠すことなく運営しているわけだけど、 実際そのことは匿名性に関してなんの影響もない。 お互いに全く知らない人間にとっては、それが匿名だろうと、 多分実名であろうとたいした違いはないからだ。 ウェブ上で日記を書いて、匿名でない人間というのは、つまりは名を知られている人間であり、 むしろ、西氏のように(特定の自分として)とらえられる人間の方が珍しい。 どんなに有名なサイトであっても、 (例えば、面白いサイトを見つけたよ、とか) 僕はその運営者(中の人)がどんな人かは知らないし、 コンタクトを取る手がかりがそこ(サイト)にあることを除けば、 匿名と殆ど変わらない。 つまり、名前は分かるけれども、実質的に匿名なのである。 少なくとも僕にとっては。 でも、特にmixiなんかを見るとわかるけれども、 知らない人から見れば匿名に見える人であっても、 知ってる人にとってはその人は、特定の誰かであるということになる。 そうなると今度は、それは実質的にも特定の誰かということになる。 サイトを毎日訪問するのは、 今日も元気にやってるかな、ということだし、 当然このサイトを訪れる人の中にも、そういう人はたくさんいるはずだ。 結局、この場合の匿名、というやつは、匿名性がその形式に依らないという点で、 次に書く一般的な匿名とは違う。 一見匿名であっても、了解が取れている範囲内においては、 特定のモノになりうる。 また、広く一般的に言われるところの匿名、 わざわざコメント欄に『通りすがり』なんて書くような人たちのことだけれども、 それは確かに、先ほどの匿名とは違う。 本質的に匿名であり、殴られてもこちらから殴れない、という点が違う。 ただ、殴る手段がないわけではない。 コメント欄なり、エントリなりで反論または論破されれば匿名も痛いわけで。 身を隠した卑怯者、という言い回しはよく匿名に対して使われるけれども、 実際には、匿名でなくても、同じようなことは出来る。 書きっぱなしも出来るし、誤解したまま殴ることだって出来る。 反論しても殴り返せているかどうかは分からないし、 匿名ではないから読んでくれているというのは、単なる思いこみに過ぎないかもしれない。 結局、どのような形態の匿名にせよ、 いやむしろ実名(のようなもの)にせよ、 無責任な行動をする人間はそうするし、匿名でも節度を守る人間はそうする。 匿名が過激になり、それが集まるブログが炎上し、そうした文化を否定する… というのはかなり使い古されたステレオタイプで、 もうなんか反論する気も起きないけれども、 そんなことは問題じゃないんである。 (むしろ、もっとやっかいなのは『実名』で過激な人たちであることを彼は知らない) ウェブサイトというのは、暗黙の了解の上に成り立つ、基本、匿名の世界だ。 相手が、ID:5431だと分かっていたとしても、 それはIDを変更した途端に途切れてしまう、疑似実名の世界だ。 そう言う意味で、その性善説に基づく了解を突くような詐欺(フィッシング)が横行するのも、 ある意味当然ではある。 本来匿名であるのに了解によって実名であると擬似的に解釈させることがWEBサイトなら、 その了解を(デザインやサイト名などで)偽造すれば、解釈も偽造できる。 フィッシング詐欺を通して、僕らは、 その了解が正しいかどうかを確認することを求められ、 実名であるというけれど本当にそうなのか、ということを再認識する。 論点にすべきは、匿名か否かではないはずなのだ。 ネット上では、いつだって名前を捨てて逃げられる。 本名を偽ることも出来る。 使い分けることも出来る。 どれが匿名で、どれが本名か分からないのに、 そんな不確かなモノを基礎にどんな判断を下そうというのだろうか? (これ以上広げると収拾付かないけれども) むしろ、リアルの世界でさえ、匿名とは何か、という点について、曖昧ではある。 あなたの目の前にいる人間が、確かにその人間であるという証拠を、あなたは持っていない。 お互いの了解で、彼は彼としてあなたの前に存在しているだけだ。 その了解が不誠実なものであれば、 それは、実質的に匿名と同義である。 ネットや書籍や、そうした情報に基づいて、追跡できる人間なんてのは、そうは多くない。 全ての著名人、芸能人、コラムニストその他を数えたって、全人口の10%もいるだろうか? それ以外の人は、知らない人間の前では匿名でいられる。 ネットであれ、リアルであれ。 匿名性を過大評価して、調子に乗るヤツが多いのは事実だが、 それを評価したり、または逆に否定したりすること自体が、既にナンセンス。 そういう点で、西氏も同じ土俵に上がってしまっていると感じる。 匿名なんて、ことさらに珍しがることじゃないのだ。 ネットなんてその程度のもんなんである。 西正が贈るメディア情報 [ITmedia +D Blog]

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浮雲に翳る街のように

2006年を迎えて以来、顔を合わせる友人の多くが、 僕の顔を見てまず、元気?凹んでない?というような意味のことを尋ねる。 確かに、恋愛のこと、人間関係のこと、イベントのこと、 心配されるような要素はいくらでもある。 終いには、胃まで壊しちゃってるんだから、 僕でさえ、この人大丈夫かな、と思う。 皆さん、ご心配ありがとう。 実際のところどうか?と言えば、 胃が壊れるほどストレスが溜まっているのは事実だけど、 本人はさほど気にしてはない。 むしろ、秋頃から今までに起きた、様々な出来事に対して、 ネガティブな感情は抱いていない。 恐らく…このサイト、そして僕自身を長く知る人であればあるほど、 心配してくれてるんじゃないだろうか。 でもね、繰り返すけどさ、 自分でもはっきりと分かるくらい、何かが変わったんだよ。 先日、自分の書いた文章を読み返していて、 一昨年の夏に書いた文章にぶちあたり、そうだ、これがきっかけだったんだ、と思った。 その文章は、『darkness』『brightness』という、 二つの文章から成るもので、 僕にとっては、自分の心境の変化を、きちんとまとめている文章になっている。 この二つの後書きに当たる、『d x b』という文章の中で僕は、

この感覚は、いずれ、大きな意味を持ってくると思う。 確信というより、まだ予感でしかないが、 現在、そう思っているのだ、と言うことを、未来の自分に残しておく。
と書いているが、その想いは日を重ねる毎に強くなる。 感じるもの、というか、想うことが、それ以前とは変わってしまっているからだ。 決して強がりや幻想ではなく… 2004年4月から、8月に掛けて、ゼロから再構築したものが今に繋がっている。 周りから見れば、ほんのわずかなことで、 話をしてる分には気付かないようなことかもしれないけれども、 僕にとっては、全く違うこと。 好みとか、性格とか、趣味とか、そういうことではなくて、 そういった、本質的な部分の上に乗っている、装飾的な人格的性質ではなくて、 もっと本質的な部分に近い、いわば反射レベルのような部分において、 僕は変わってしまった。 いや、悪いことではないよ。 でも、どんな変化も、すべからく良いということはない。 まだ分からないけれども、ひょっとすると、情緒的な部分を失ったかもしれない。 不安定ゆえの、思い切りの良さとか、思考の幅とか、 自分の感覚を強硬に押し通すこととか。 失ったかもしれないことはたくさんある。 だからね、最近つとに思うのは、 みんなが思ってるほど凹んじゃいない、ってことさ。 『大丈夫?』『凹んだ?』 という言葉を聞くたびに、否定はせずに苦笑いをする。 その意味は、んーそうじゃないんだよな、ここ、凹むとこじゃないよ、 そうした感覚。 年明け早々以来、DJが全く上手くいかなくて、それに関しては本当に凹んでるけど、 まぁでもそれもね、考えてたって仕方がないことだからさ。 準備をして、本番では出来ることをやるだけだから。 ダメだったら反省。良くても、反省。それだけだね。 案外、最近仲良くなった人の方が、 今の僕を正確に捉えてるような気がする。 やっぱりどうしてもさ、僕らが人を判断するとき、 目の前にある状況に、今までのことを加味して判断を下すわけなので。 全く先入観ゼロってわけにはいかない、 だから、深く知った人ほど、 ある時期以降の僕の考えていることは、理解できない… というか受け入れられないのではないかな、と思う。 むしろ、 『秋頃から今までに起きた、様々な出来事』そのものが、 良いことも悪いことも、 こうした変化をベースに成り立っていると思う。 必ずどこかに、そういう要素があって、 昔の状態と比べて、不思議だなぁ、と感じている。 だから、僕は納得している。 今は、陽(ひ)も陰(かげ)も、そう言うものとしてとらえている。 街を照らす陽の光は、いずれ遮られるし、 遮られたからといって、漆黒の闇に落ちるわけでもない。 ただ街は翳り、そして照らされるだけだ。 きっと、取り残された人たちは、よく飲み込めないままで、 何が変わっているのかさえ、見えないだろうと思う… そればっかりは、説明できない。 見て、話して、触れてもらわないときっとわからない。 この文章の言葉面を眺めても、 きっと、なにひとつ分からない。 いやもしかしたら、わからないことが、わからないかもしれない。 モノをゼロから見ること、 それは、感じることを、極限までシンプルにすることだ。 長い苦悩の時期を終えて、 僕はもう一度それを取り戻そうとしているのだろう。

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Listing.

毎日出社して始めにすることは、 その日に何をするかをリストアップすること。 長いスパンでしている作業がある場合、 毎日同じことをリストに書くわけで、 一見無駄でもあるけれども、 このことは、思いの外、大事。 単なる備忘録だけではなくて、 自分にメモる機会を与えるという点でも、重要。 僕の場合は、専用のノートに、 まず、毎日のルーチンワークを書く。 例えばログの見回りとか。 で、次に、短いスパンでの優先案件を書く。 これは、万が一忘れると余りよろしくない自体になることが多いので、 前日、前々日のリストをチェックしつつ、 変更点なども踏まえてメモ。 その次が、比較的長いスパンでの優先案件。 これは、その時点での最優先事項が含まれることが多いけれども、 基本的には大きな動きはないので、 ほぼ備忘録に近い。 常に頭の片隅に入れておけと。 最後に、時間が余ったらやる、というような細かい作業、 自分の興味に基づいていて、ビジネス的に即効性はないものの、 多分導入すると誰かが便利になるというようなもの。 内部の管理用プログラムとか、アクセス解析プログラムとか、基礎調査とか。 これで大体、少ないときで10個弱、多いときで20個以上のリストが出来る。 で、それぞれの作業の細かい留意点や、 単純な計算やデザイン案や打ち合わせのメモなどは、 見開きの右側のページに書き込まれていく。 何かを調べる必要性が出てきたときには、 基本はメールソフトの送受信メールとメモを検索、 おおよその日付が分かったら、ノートを見返して、記憶を探るといった具合。 よく間違われるのは、作業が多いから整理している…ということ。 もちろんそういう側面もあるけれども、 そう言う意味で見返すことはあんまり無い。 むしろ、書くことの方が大事で、一人ブレストに近い。 大量のアイディア(それも、フラッシュ・アイディア)が、 ホントにちょっとした注釈付きで並べられてる日もあるし、 ペンを動かす手の動きを含めて、なかなかデジタルには置き換えられない。 大事な習慣。 おかげで、ノート代とボールペン代がかさんで仕方ないけど(苦笑) (両方ともこだわりがあるので、私物を持ち込んでる)

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本日の気になったニュース。 – 2006/02/15

トップニュース…というほどのものでもないけど。

任天堂は公式サイトにて、「MOTHER 3」の発売日が2006年4月20日に決定したと発表した。これに伴い、画面写真も数点が公開されている。
おおおお。 遂に来ましたよ。 やー正直ねぇ、きちんとした発売日が発表されて、 テーマ曲も画面も発表されて、 出るって言われてるんだけど、どっかで、 『やっぱ出ません』 て言われることに構えてる自分がいるんだよねぇ。 まぁそんなことより当面の問題は、 『NintendoDSを買う必要がある』 ってことなんだけどね。 まぁ一緒に買えばいいか。 ちなみにほぼ日のMOTHER3ページも更新されてますよ。 ほぼ日刊イトイ新聞 – ようこそ『MOTHER3』の世界へ!

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トリノ・オリンピックに全く興味が沸かないんです。

世間は…というか、TVはトリノ・オリンピック一色になっているらしいですね。 毎日街を眺めていても、全く実感がないんですが、 大会期間中の放映時間が、NHK124時間、民放各社合計108時間なんて聞くと、 あーもう、そういう風になってるんだな、と思ったりするわけですが。 実際、私自身どうなのかと考えると、なんというか、もう殆ど興味がありません。 TVでもチェックしてないし、ネットで成績をチェックするなんてこともしない。 もちろん各競技の有名選手および有名日本選手辺りは知ってるんですけど、 これと言ってそそられることがない… スポーツ全般、ほぼ分け隔て無く好き(好きの量の差はあるにしても)な私にとっては、 これは結構な『事件』です。 昨日になって、ようやく、 Numberの最新号(→646号:Shine Like Gold, TORINO 2006 PREVIEW)を買ったんですが、 文字通り、トリノ・オリンピック特集号で、読むところが無く、 結局いつも通り、巻末の『Number on Number』から読み始めて、 小コラムを眺めて、終わりにしてしまいました。うーん。 冬季オリンピックって、夏季オリンピックとは違って、競技数が本当に少ないんですよね。 まぁ、色々な種目あるけれども、種類としては、 スキー、スケート、バイアスロン、ボブスレー、リュージュ、アイスホッケー、カーリングの 7競技82種目と言うことになるらしい。 (参考:[スコアカード-Olympic Road] トリノ五輪で好成績が期待できるマイナー競技。) シドニー・オリンピックが、28競技300種目だから、規模で言えば約4分の1。 規模が小さいからと言うわけではないんだけど、 どれもが結局は同じことに感じられて、見ていて飽きてきてしまうことと、 (大回転とスーパー大回転って、競技者は大違いでも見てる方は…) 特にトリノなんて言う場所で開催されている競技を眺めると、 あーやっぱり、基本的にヨーロッパのスポーツだよね、という感じを受けてしまう。 つまり、オリンピックなんかより、 たまにTVで見るスキーW杯の方が断然、格好良く見える。 この辺りは、自転車競技、サッカーなどでも感じることがあるけど… そういうわけで、どーも、興味が持てない。 臨席の友人の話題振りにも、曖昧な返事。 (昨日は、DVD聴きながらゲームやってました) 1998年、長野の時は、結構かじりついてたんだよなぁ。 時差が無く、学生で、馬術部のクラブハウスにずっといたという、 個人的な環境もあるんだけど、やっぱり身近に感じられたし。 …それでも、よくよく考えれば、覚えてるのは、スキージャンプと、清水だけだなぁ。 他の競技をひっくるめて、オリンピックを見たという感じがない。 夏期だと、日本人選手が全く出てないような競技でも、 進んで楽しんでみてるのに。 まぁ、日本中が熱狂してる(らしい)のも、どうせ2/26までの話なので、 それまでしばらくは我慢することにしようか。 僕は、この時期だけやたら持ち上げられるウィンター・スポーツの選手よりは、 (もちろん、本人に責任はない) 海外のトライアスロンの大会で、25位とかになってる日本人選手の方が好きだなぁ。 どうせなら、そういう選手も応援して上げて下さい。 JTU Web Magazine – 社団法人日本トライアスロン連合 –

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どうも、書く時間がないというか何というか。

『すごく頻繁に更新してますよね』 とよく言われるんだけど、 んーまぁそうね、 エントリー数だけ見ると、確かにそうなんだけど、 実際の内容を見るとねぇ。 続き物とか、習慣とか、メモとか、 そういう更新が多くて、 じゃあ、僕の書きたいことが書けてるのか?というと、 案外そうでもない。 僕自身は、明らかに物足りない。 頻繁に更新するために必要なのは、 まぁ、最低限の時間はそうなんだけど、 僕の場合、時間はそれほど必要じゃなくて。 普通、皆さん、1エントリ書くのにどれくらい時間を掛けてはるのかわからないけど、 僕の場合、書きたいことは固まってさえいれば、 5-10分くらいで十分。 基本的に、書いたあと、誤字チェック以外の推敲はしないし、 (論理的な構造が必要な場合はともかくね) むしろその方がわかりやすいことが多い。 そういうわけなので、単純に時間だけが必要なんじゃなく、 なんだろうな、きっかけ?タイミング? メモとして、下書き保存してるものに、肉付けをするという何かがないと、 文章にならない。 今ちらっとのぞいてみると、 あーこれは是非表明しておきたい、 カテゴリで言えばColumn、 Tagで言うと、Ideologyに分類されるようなものが、 少なくとも、15個はある。 それを見るたびに、あーこれ書きたいなぁ…と思うんだけど、 そして、骨組みというか、筋立てというか、 文章そのものも頭の中でもうほとんどできあがってるんだけど、 それがこう、形として落ちてこない。 落ちるときは、すっと、出てくるんだけどなぁ。 まぁまたね、機会があれば書きます。 何より、僕自身が読みたいんだよねぇ。

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本日の気になったニュース。 – 2006/02/12

トップニュース。

【テヘラン11日共同】イランのアハマディネジャド大統領は11日、「欧米が核拡散防止条約(NPT)に基づくイランの権利を侵害しようとするなら、国民は(NPTの下で続けてきた)これまでの政策を見直す」と述べた。具体的な見直しの内容には触れなかったが、欧米がウラン濃縮放棄を求め、圧力をかけ続けた場合、NPTを脱退する可能性もあることを示唆したとみられる。  イラン革命から27周年を記念する集会の演説で語った。  大統領はイランの核政策が原子力の平和利用に基づいてきたと主張。「他国が核燃料を供給すると言うが、信じられない」とし、自国での核燃料生産を目指す方針を確認。「(欧米は)イランに何も売らないと脅すが、やってみればいい」と述べ、経済制裁にも屈しない姿勢を強調した。
アフガニスタンや、イラクの二の舞になるのは嫌だけど、 かといって、確証のないまま、核保有国の権限で制裁を加えるのもどうかと… イランという国が信用ならない…ということに関しては、 取り立てて反対する理由はないけれども、 そればかり言っていては、結局はイラクと同じことになるんじゃないかという気がする。 不勉強のため、イランの主張の中の、 『核拡散防止条約(NPT)に基づくイランの権利』という部分が よく分からなかったので、調べてみた。 東奥日報の用語によると、
核拡散防止条約(NPT) 核兵器保有国を米国、ロシア(発足当初はソ連)、英国、フランス、中国に限定し、これら5カ国以外の国が核兵器を保有することを防ぐことを目的とする多国間条約。1970年3月発効。非保有国に「原子力平和利用の権利」を認める一方、核保有国には「誠実に核軍縮交渉を行う義務」を課す。約190カ国が加盟するが、事実上の保有国であるイスラエル、パキスタン、インドは未加盟。また、北朝鮮やイランの核問題では有効な対策が打ち出せず、NPT体制の空洞化が指摘されている。
とのこと。 なるほどね。 平和利用は認められており、軍事利用するつもりはないと言っているのに、 原子力の開発そのものを規制するのは納得できない、ということか。 うーん、 軍事利用でなく、平和利用である、ということは、 誰がどうやって判断するんだろ? まさか、日頃の行いで判断されるわけじゃないよね? 小学校教師の優等生贔屓と同じじゃん。 そのために、IAEAがいるはずなのでは…(実質的にどうかはともかく) 凄く不安を感じるニュースだと思う。 オリンピックの裏だけに一層。
IAEAに関して追記 :: そうだ、確かIAEAが手に負えないからってんで国連安保理に付託したんだっけ。 うーむ。

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ATOK2006をインストールしてみました。

昨年夏のATOK2005体験版以来、 最近の日本語入力・変換の成長度合いを目の当たりにして、 これはそろそろ買わなあかんな…と思っていたんですが。 遂に買ってしまいました。 最新版、ATOK2006。 発売日は今日2/10。(*) ずっと使い続けてたのが、ATOK13で、発売は1999年。 そういうわけで、およそ、7年ぶりのアップグレードになったんですが… やー、いいすね、やっぱり。ATOK。 アピールされてるような機能や便利な機能、たとえば、

『昨日』で変換
郵便番号変換
話し言葉変換 『いかへん?』 → 『行かへん?』
なんて言うのも魅力的(かつ便利)なんですが、 それよりも、変換エンジンそのものの精度が上がってるのが 一番嬉しいこと。 圧倒的なシェアを誇るであろう、MS-IMEとの差を上げるとすれば、 結局は文章を書いているときのストレス、これに尽きると思う。 操作系はカスタマイズできるけど、これは学習機能でもなかなか最適化できない。 MS-IMEを使ってると、ある程度の長さのセンテンスを書いたときに、 そのままEnterを押せるということがあんまり無いような気がする。 合ってるかどうか…その確認作業は、 別に意味を読み返しているわけでもないし、結局は単純に『余計な作業』でしかないし、 これを気にせずに書けるというのは本当に、いい。 (まーだからといって誤字が無くなるわけじゃーないんだけどね(苦笑)) こういう作業環境のことって、結構、適当にしてることが多いと思うけれども、 小さなことの積み重ねが、最終的に快適かどうか…なんていうことに 大きな影響を与えるはず。 変換精度のアップって、もの凄くアピールしづらい点だと思うけど、 (使ってもらわないとわかって貰えないようなことだから) いろんな変換が出来る、とか、機能をがんがん増やしていく、とかいうことではなく、 例え愚直であっても引き続き、日本語の変換に対して、 より深く取り組んでいって欲しいな、と思った。 ワープロソフトや、表計算ソフトに関しては、 正直既に時代遅れかなとも思うけど、 ATOKに関しては、大事な財産だと思うよ。 本当に。 ATOK 2006 for Windows あなたの日本語入力環境がもっと快適になる。
[*] 注文したのは、昨日の午後15時頃。 到着したのは朝の8時…凄いな、Amazon。 知ってたつもりだったけど、改めて舌を巻きました。

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確かに、この写真はあんまりだ!

朝の日課って事で、RSSチェックなぞしておるとですね、 CHEEBOWさんのブクマのところに、 『この写真はあんまりだ!』 というコメントがありまして、 はて…何かな?と思ってみてみたんですね… JOC – トリノ2006 日本代表選手団:スキー・フリースタイル 確かに、この写真はあんまりだ! 誰かわからん! むしろ、フリースタイル過ぎ!(爆笑)

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