Winampのおもひで

かつて、音楽試聴用ソフトウェアとして一世を風靡していたWinampが12/20を持って開発停止、サービス終了だそうで。

老舗メディアプレーヤーのWinamp、15年の歴史に幕 – ITmedia ニュース

15年の歴史のある音楽プレーヤーソフト「Winamp」が12月20日(現地時間)に終了する。Winampのダウンロードページに11月20日、告知が表示された。  この告知は、最新バージョンであるVer.5.66の公開と同時に表示されるようになった。「Winamp.comと関連するWebサービスは2013年12月20日をもって利用できなくなります。Winamp Mediaプレーヤーもダウンロードできなくなります。それまでに最新版をダウンロードしてください。(中略)15年以上Winampのコミュニティーをサポートしてくださり、ありがとうございました」と書かれている。

90年代の思い出がまた1つ消える―Winamp、15年の歴史に幕 | TechCrunch Japan

90年代にパソコンを持っていてMP3で音楽を聴いていた読者ならWinampでプレイリストを作ったことがあるに違いない。NullsoftはWinampをAOL(TechCrunchの親会社)に8000万ドルで売却した。その後オンライン音楽はすっかり様変わりしたが、Winampがずっと健在であるというのはなんとなく安心感を与えてくれた。 しかしそれも終わる。Winampは閉鎖される。ウェブサイトを始め、すべてのWinampのサービスは12月20日に停止される。同時にデスクトップ・プレイヤーのダウンロードも終了する。

あー。 今はもうiTunesさえあれば良いので試聴用ソフトウェアが一つなくなっても別に困らないけれど、でもそうなる前までは、デスクトップPC上で試聴用ソフトウェアと言えばWinampであったわけで、少し懐かしい感じがします。90年代かー……もうホントにネット黎明期ですな。いまはもうそれから20年経ってるんだもんな。個人的にはとにかくシンプルな外見が欲しくて、世界のどこの誰かわかんない人が作った素敵なスキンを求めて検索してたなあ。すげーお気に入りのスキンがあったんだけど、今検索しても見つけられませんでした。さすがにもう開発してないか。 特に「惜しむ」気持ちというのはないですけれど、一時代を指し示す一つのパネルとして、それに付随してくる様々な情景と一緒に、「ああ、そういうのあったよね」と想い出に残しておきたいと思います。ありがとう、Winamp。

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ヲチ不得意なのかも知れないなーとか思う今日この頃

いまさらって感じですけど。

ヲチとは

順を追って説明すると「ヲチ」というのはネットスラングで、語源は「ウォッチ(watch)」。 ニコニコ大百科に良くまとまっているので引用します。

ヲチとは (ヲチとは) [単語記事] – ニコニコ大百科

ヲチとは、ウォッチ(Watch)またはウォッチング(Watching)を意味するネットスラング。ざっくり言えば、ネットの内外を問わず、個人や企業、メディア、サイト、国家などを観察してニヤニヤするという極めて悪趣味な行為。雰囲気としては昆虫観察や野鳥観察のように「対象に気づかれぬようひっそりと遠巻きに見守る」ニュアンスがある

言葉自体は多分、ネット黎明期から存在しているんじゃないでしょうか。大百科には、

ネットウォッチ板とは (ネットウォッチイタとは) [単語記事] – ニコニコ大百科

東芝クレーマー事件についての板として発足した「東芝サポート板」が前身。 そのすぐ後に東芝クレーマー事件以外も広く取り扱う「ネット事件全般を観察する板」としてネットウォッチ板が新設。2ch閉鎖騒動の煽りを受け一時閉鎖されるものの、2週間弱で復活する。初期2ちゃんねるは銃夢騒動などネット事件のたびに名を売り規模を拡大していたこともあり、ある意味主力板の1つであった。

とあって、東芝クレーマー事件は1999年なので、遅くとも2000年には単語として確立していたのであろうと想像できます。はてなにおいても僕がはてなのアカウントを取った2006年初頭には存在していましたし、はてなキーワードの「ヲチ」も2005/02/11にid:anotherによって作成されています。 ヲチとは – はてなキーワード

ヲチするに当たって重要なこと

最も重要なことは「手を出さない」こと。前述のニコニコ大百科から引用しましょう。

ヲチとは (ヲチとは) [単語記事] – ニコニコ大百科

本来、文字通り「見る」「観察する」行為を指すはずなのだが、近年ではヲチを自称しつつヲチ対象に直接攻撃を加えるという、荒ぶる新世代の台頭も懸念されている。 ※凸や攻撃を伴う行為はヲチではありません!

最後の一文が非常に重要です。例えばツイッター経由で絡んだり、ブログコメントで論争を仕掛けたり、はてなブックマークでdisったりと言った行動は、ヲチではありません。ヲチとは、その対象者に悟られないように時にはヲチャー同士で情報交換しながら、あくまでも生暖かく見守っていくことです。安易に手を出してしまうと、自分が観察されていることに気付いて言動を控えてしまったり、証拠隠滅を測ったりと、観察に悪影響が起きるため、特別な炎上物件に昇華するなどの展開がない限りは手出し御法度です。

有事の際には燃料投下の最前線に立つ

「有事」が起きた場合のヲチャーの役割は主に兵站です。 鮮やかな炎上の現場には、それまでヲチの対象であった人間と、それに対して対決を挑んだ人間(こちらもヲチの対象であることが多いですが)とが存在し、お互いにうんこを投げ合うような展開が起きています。炎上は一度起こると、炎自体がそこに存在する可燃性の資材をすべて燃やし尽くそうという意志を持ち、資材を燃やし尽くした時点で炎上は終了します。 兵站の役割は、その炎を絶やさぬよう、場合によっては戦いを繰り広げる両陣営に対し、これまで蓄積してきた各種燃料を継続的に提供することです。それによって、燃え上がる炎はさらに色鮮やかなものとなり、美しき歴史の1ページとして残るのです。どんな強力な軍隊であっても兵站が途絶えては戦えない。ヲチャーはその軍隊を生かすため、日々資材を蓄積しているのです。

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Instagramの画像、動画がブログに貼れるようになったよ

Instagram、写真と動画のWebページへの組み込みが可能に – ITmedia デジカメプラス

米Facebook傘下のInstagramは7月10日(現地時間)、Instagramアプリで撮影した写真や動画をWebページにエンベッドできるようにしたと発表した。  Instagramの写真あるいは動画は、これまではInstagramとFacebook内でのみ公開できた(Twitterでは昨年12月から表示されなくなっている)。

iPhoneで撮った写真を投稿するアプリと言えばやっぱりInstagramです。独自のサービスに投稿出来るほか、Twitter、Facebook、Flickr、Tumblr、mixiにも対応しています。もうホントに素敵。課題があることと言えばスマートフォン限定だったことなんですけどしばらく前にパソコン用のサイトが出来て、パソコンからも見ることが出来るようになりました。 nobodyplace on Instagram で、それが今度はブログに貼り付けられるようになったらしい。

画像

画像の場合はこんな感じ。

動画

動画の場合はこんな感じ。 おお、面白い! いままでブログで使うためには一旦Flickrにアップしていたから、その手間が省けるかも。 これはかなり使いやすくなるなー

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子どもだけでなく高齢者のネット使用もコントロールが必要な時代なのかもな

一頃、アプリ課金による高額請求なんかを契機として、子どものネット使用をコントロール(多くの場合制限)しようという話が盛り上がってました。今どうなってるか解りませんけど、一応一定以上の請求額になったら課金出来ないようになるんでしたっけ?子ども向けの携帯端末であれば、それ以外にも機能制限やらGPSによる現在地把握やらなんやら出来るようになっているはずです。 もちろんリテラシーを鍛えるためには、そういうリスクがあるものだと教える方が良い、という考え方もあると思いますけれど、「今も目の前で子どもがモバマスのガチャ回してる」みたいな「今そこにある危機」への対処を考えると、コントロール出来るようにシステムを設計したり、使用に当たってのルールの取り決めを行ったりしておくのは必要だよなあと思います。まあ子どもがいない僕が書いても仕方ないんですけど、子どもがいる人の話を聞くとそんな印象。 んで、最近、身内で起きたことを考えてみると、同じようなことって高齢者に対しても同じように必要になるんじゃないのかなと思うのですね。もちろん一口に「高齢者」と言っても色んな方がいらっしゃるので、中には憤慨される方もいらっしゃるかも知れませんけれど、やっぱりね、ネットに馴染みのないまま60歳を迎えたような人を今さら無防備でネットの海に放り投げたらそりゃ溺れるよねという感じなんですよ。成人していてクレジットカードも印鑑も担保すらあるから余計に始末が悪い。 検索して得られた情報に簡単に踊らされたり、たこつぼ化していく狭いコミュニティでの評価に一喜一憂したり、ネットで知り合ったことを過剰に捉えたり、軽い衝動を与えただけで安易にものを購入したり。そういうネット上のリスクに疎くまた弱いというのは、ネットを始めたばかりであれば、子どもも大人も関係なく共通して存在する「リスク」であるなあと。「リテラシー」なんて言葉で片付けがちですけど、それは「ネットに対する知識」と「ネットにおける経験」とを得て初めて軌道に乗る性質のものであって、その2つを実社会のもので置き換えて「リテラシーはあるだろう」と考えると、大きな間違いを犯すことになります。 自分が病気になったとき、ネットで検索して自分把握し安心したいという気持ちは解らなくもないですし、同じくネットを検索して「医療関係者は信用出来ない」という煽りをたくさん浴びて「医者は信用出来ないし自分の体調は自分で見極める」となる状況も解らなくはないですけれど、だからといってそこから、自分で勝手に抗生物質を変えてしまったり、抗生物質を飲むのを止めてしまったり、体調が良いからと雨に打たれて放って置いたり、胃痛と独断してキャベジンだけ飲んで寝てみたり、もしくは癌だと勝手に騒いで医者の診断を受け入れなかったり。 ネットにいるバカ共が何を信じてようが勝手にすれば良いと思いますけど、そのバカが自分の父親だった場合のだるさといったら。仕方がないから1つ1つ、声を荒げない程度の厳しさを保ちながら丁寧に論破していくんですけど、実際の話、論破したところで悲しみしか残りませんしね。 健康問題以外にもあれこれトラブルを起こしてるみたいで、もうな、お前いくつになるんだよ今年。いい加減ちゃんとせえよ、常識的に考えて自分がおかしいことくらい解るだろう、そう思っていたのですけど、冒頭に戻って、そうか子どもと一緒なんだよねと考えると腑に落ちました。そもそも「常識」が自分の中に醸成されていない。リテラシーが十分でない可能性があるのを知っていながら、「多分大丈夫だろう」と思って野放しにしてた僕らも悪かったのかもなあ。ちゃんと見てやるべきだった。今さら手遅れではあるけれども。 20年とか30年とか経って、僕の世代が年金を受け取るような時になれば、どの高齢者もネットに触れた時期があるような、そんな時代に移り変わっていくだろうと思いますけれど、それまでの20年くらいはネット上にカモが溢れている状態であり、そのカモとは卑近な例を出せば例えば自分の父親であり母親であり、ネット上のリスクから彼らを守るために考えるべきことというのはあるんじゃないか、これから大事になっていくんじゃないかと感じています。 もちろんすべての子どもが高額請求されるわけでないのと同様、すべての知識の乏しい高齢者がリスクにぶち当たるわけではないのですけれど、何かあってからでは遅いので考えくらいはしておいた方が良いんじゃないだろうか。いや、良いと思います。すごく面倒なことになります。マジで。

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思わずKickstarterで出資してしまった:iPhoneのヘッドホンジャックに差さる小さな温度計「Thermodo」

14_01.png 温度や湿度といったデータをだらだらととり続ける、小学校の百葉箱当番みたいなのが好きです。温度や湿度に限らず継続性のあるデータのあるものであれば好きで、詳細に解析する技術や、解析結果を活動にフィードバックする能力まではないけれど、単純にグラフを眺めてあーだこーだ考えるのが好きです。「ああ、3年前の秋はいきなり涼しくなったんだなあ」とか。それが実生活に役に立つかって言うと1ミリも役に立たないけど、好きなもんは仕方ない。 先日、TechCrunchにこんな記事が出てました。

Thermodoは、iPhoneのヘッドホンジャックに差さる小さな温度計 | TechCrunch Japan

デンマークのスタートアップ、RobocatはAppleのiOSデバイス向けに数多くのソフトウェアを開発してきたが、今日(米国時間3/7)同社は新分野に手を広げ、iPhone、iPad、およびAndroidデバイス用に新しいハードウェアを発表した。Thermodoは、非常に小さな温度計で、デバイスのヘッドホンジャックに差すと、本物の温度データをアプリに送り込む。 Thermodoのハードウェアは、受光式温度センサーをオーディオジャックの中に組み込み、少さな円筒状のキャップで保護したもので、デバイスからわずか1/4インチ[6~7mm]しか突出しない。専用の電源を必要とせず、気象データを音声信号にして端末に送信し、API経由で対応する温度に変換される。同APIはThermodoの専用アプリで最初に利用される他、同社が過去に発売したHazeとThermoの両アプリでも使用できる。 Thermodoはオフラインで室内でも室外でも動作し、付属のキーホルダー型ケースを使えば、使用していない時にもこの小物体をなくさずにすむ。Robocatは、同社のオープンソースSDKを使えば、究極的には、Raspberry Pi、Mac、ArduinoベースのガジェットなどどんなデバイスでもThermodoを利用可能だと言っている。

簡単に言うとiPhoneに取り付け可能な温度センサー。アプリケーションではなく、ハードウェアなので、iPhone端末で温度を測定して記録することが出来ます。よくInstaweatherなんかで温度が表示されてますけど、あれは気象情報発表による温度であって(それこそ百葉箱的な)いまここの温度というわけではありません。でもこれで計測される温度は今そこでそのセンサーが感じた温度です。外は冬でも、暖かい部屋にいればその温度が出るわけです。 わーお。 そんな機械を待っていた。

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ウェブ検索の発達によって我々は自らの馬鹿を認知できなくなっている

y_bb7c4cb9.jpg 昨日の続き、みたいな感じ。 ウェブ検索を通じて情報を収集するには特別な技術を必要とする | mutter ウェブ検索を正しく利用し正しい情報を収集するには一定以上の教養や知性、文章に対する読解力が求められ、見た目の簡単さとは裏腹にウェブ検索は「誰でも簡便に行えるようなもの」では無い。その能力が欠如している人間の多さから考えるとむしろ正しくウェブ検索を利用する技術そのものが特別と言える、というのが昨日のエントリの骨子。ウェブ検索は難しい。

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ウェブ検索を通じて情報を収集するには特別な技術を必要とする

02_04.jpg つねづね、ウェブ検索なんて誰にでも出来るだろう、だから今この時代は誰でもすぐに正確な情報を収集できる時代になったのだ、なんていう風に考えていたのです。だってウェブ検索は同じ単語を入力すれば誰に対しても大体同じ検索結果を返しますし、結果であるサイトの内容にしても読む人によって文章が変わるようなものでは無く固定されたテキストなわけなので、欲しい情報にたどり着く時間の長短はあれど最終的には誰でも情報にたどり着けるのだろうと思っていました。 間違ってた。

  1. ── これがわからないんだけど
  2. 検索すればすぐに解りますよ
  3. ── 解決しないんだけど
  4. 検索して出たこのページを読んでください
  5. ── 解決しましたありがとう
みたいな流れがあって、これを理解するには「ウェブで検索できない人や検索しても正しい結果にたどり着けない人というのは存在して、それはどうやら訓練してもなかなかかわらない」んだということを了解する必要があるみたいです。誰でも簡単にできることじゃない。 上のパターンであれば、まず1の時点でそれを言う前に「ググれ」と言わざるを得ない。もし既にググってるならどんな検索結果になって何を試したかを言ってくれないと。で、検索してみても正解にはたどり着けない(3)。理由は検索語の選択が出来なかったり、検索結果を正しく読み解くことが出来なかったり、検索結果に書かれていることを実行できなかったり。大体の場合は検索語と読解力の問題。検索語は試行錯誤するしかないし、読解力は解るものを探せば良いor解らないところをまた検索すれば良いだけなんだけど、そういう複雑なことは出来ない。 仕方が無いから代理で良い感じの検索結果を引いてあげると(4)、結構問題なく解決に至る(5)。 つまり解決する能力がないんではなく…単純に情報を収集する能力が無い。昔であれば情報が無いならそれを教えるしかなかったので、「検索してください」という指示そのものがなく、聞かれた時点でいちいち教えていくことになったと思うのだけど(もしくはバイブル的な本を示すこともあるかも)、現代では検索できることを前提にして「検索してください」という指示を出してしまう。聞かれた方は楽だけど、検索結果は検索をする人によって十分・不十分が曖昧だから、実行結果の方もなんとも曖昧になってしまう。これは良くないなぁと。 上のバリエーションとしてはこんなのもあります。
  1. ── これがわからないんだけど
  2. 検索すればすぐに解りますよ
  3. ── 検索してやったら動かなくなっちゃった!どうしよう!
  4. あー…何やったんですか…じゃあちょっと預かります
  5. ── ありがとう!
例えば「液晶ディスプレイが映らなくなっちゃった」という事態があったとして僕だったら当然「液晶 ディスプレイ 映らない」で検索するところ、「ディスプレイ パイナップル果汁塗る 効果」とかで検索しちゃう人もいるってことです。いねーよ。いやでもそういう的外れな検索語でヒットした検索結果を鵜呑みにして試してしまうことも容易に起こります。結果、事態は悪化する方向へ。

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YouTubeの動画を貼り付けて「Video Player is too small」となる場合があったらしい

23_01.jpg YouTubeのプレイヤーを貼り付けた際に「Video Player is too small」と表示されるようになっていたらしいです。自分の仕事のサイトについて人から連絡を受けて初めて気づきました。(画像はこちらからお借りしました) なぜ「なっていた」という表現かというと、今現在はきちんと再生出来るので。 試しに貼ってみるとこんな感じ。 ちゃんと再生出来ますね。 検索してみても「貼れなくなった!」と言うブログばかりが見つかり(そして記事内に掲載された動画は今は見られる)、YouTubeやGoogleのリリースは確認出来なかったので、実際の話どういう対応になったのか、今後どうするつもりなのかについてはよく分かりませんが、Facebook他サイズを制限されるようなサイトからの反対意見が多くて一旦巻き戻しみたいなことかなと妄想。わかりませんが。 業務としては自体は流動的と捉えて必要であれば対策が取れるようにしておこうかなと思います。

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ネットで再会したリアル友人との付き合い方は難しい

photo collection Facebookもいよいよ一般的になってきたのか、いわゆる「昔の友達」にたくさん「再会」するようになりました。小中学校がほぼ持ち上がりの附属だった上にその半分くらいが高校も同じだったので古くから知っている友達がホントに多く、1人が見つかると次々に芋づる式で増えるという。でも高校卒業してすぐに地元を離れ、以来15年以上ほとんど誰とも連絡を取っていないので「よく知っていたけど今何やっているかは全く知らない」という感じがもの凄い。向こうから見てもそうだろうけど。コミュニケーションを取れないということはないものの…率直に言って距離感が解らない。何をどこまで言って良いもんなのか…その発言には突っ込んで良いものなのか…あって良かった「いいね!」ボタン。

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