44歳になりました(2021年)

44歳になりました。



「44」という数字を見るとなぜだか思い出すのはランディ・バースです。僕は人生において1回も阪神ファンになったことはありませんが、それでもランディ・バースの付けていた「44」という背番号にはとてつもなく強い印象がありました。彼が阪神タイガースで活躍した年代(1983年~1988年)の僕は完全なる巨人ファンであり、槙原が3連発を食らった試合(1985年4月17日@甲子園)も恐らくテレビで見ていたんじゃないかなと思います。8歳だしあんまり覚えていませんが。


僕にとっての「44」という数字はなぜだかそういう印象です。





今の日本、世界がどんな状況かは改めて書くまでもないでしょう。何かを書こうとするたびに出てくる言葉はネガディブな現状とそれを受け入れてポジティブに進もうという言葉ばかりであり、実際にそれがとても大事なのでしょうけれど、でもなんだろう、そういう傾向に少しちょっと飽きてきたかなあと思う今日この頃です。仕方ないんですけどね。現状はネガティブだし、ポジティブに考えないと何も出来ないし。でもポジティブを志向しようとしすぎるとどうしても焦りが出てきますよね。こうしたいのに、こうすべきなのに、いつまでもその環境が整わない。影響が収まったらあれをやろう、あれをしたい、でも出来るのはいつになるんだろう。


仕方がないと思うんですよ。いやほんとに。


ポジティブに考え続けるのもそれはそれで疲れるし、それもちょっと休んで良いんじゃないのかなと最近は思っています。僕自身の人生を振り返ると「空白の1年間」と呼べるような期間が何回かありました。名古屋で浪人生活をしていたとき、大学に4年を超えて在籍していたとき、心が折れて仕事を辞めたとき。あのときもう少し「きちんと」生きていれば、もう少し違った人生になっただろうなという想いはあるし、正直いって後悔だってあるけれど、でもそういうときに何を考えてどう行動したら良いかはわかっているつもりです。


答えはとてもシンプルで、やれること、やりたいことをやるだけなんですよね。


他人と比較してベストな人生を送っているかどうかはわからないけれど、浪人生の時の苦悩は大学生活に生かされたし、大学在籍時の活動はその後のwebエンジニアとしてのキャリアを切り拓いてくれたし、仕事を辞めた後の思いは今、やりたいことに集中する気持ちに変換されています。何が、将来どう返ってくるかなんて誰にもわからないし、もっというと、人生に無駄なことなんかないと思うんです。今いる状況で目を開いて色んなものを見聞きしておく、それがきっと将来の自分の血肉になる。たぶん、今もそういうことなんじゃないかと思って、僕は街中を走り、歩き、見て、聞いて記録しています。それは別にポジティブな活動ではないけれど、今を受け入れるというのはそういうことなんじゃないかと。





43歳から1年が経ちましたが、正直に言って43歳がなんだったのかはさっぱりわかりません。良かったのか悪かったのかも。当然44歳がどうなるかもさっぱりわかりませんが、僕にとって今やりたいことと今やるべきことははっきりしています。問題は目的地との間に距離があることですが、旅は目的地に着くまでその過程自体が既に喜びですよね。自分が行く先をきちんと見つめた上で、将来どうなるかを過剰に心配することなく、今この瞬間を大事に楽しんで生きていきたいと思います。


今年もすべてを楽しんで生きられる1年になりますように。