【今日のお前が言うな】 細木数子「占い師の手法は『詐欺商法』」

別にわざわざ僕が拡散することでもないんですけどなんつーかもうシュールすぎたので。

2012年02月24日(金) 付の東スポ:東スポWEB-東京スポーツ新聞社

細木激白オセロ中島真相 お笑いコンビ「オセロ」中島知子の“洗脳騒動”について、沈黙を守ってきた占術家・細木数子氏が22日、本紙の独占直撃に口を開いた。六星占術で知られる細木氏は中島を食い物にする自称霊能者で女性占い師X氏を「いい加減なヤツ」とした上で、その手法を「詐欺商法」と断罪。

お前が言うなwwwwwww

痛いニュース(ノ∀`) : 細木数子が自称霊能者を断罪「いい加減なヤツ」「詐欺商法」 オセロ中島騒動 – ライブドアブログ

6 :名無しさん@恐縮です:2012/02/23(木) 21:41:50.49 ID:Qlw10NiD0 お前が言うな 7 :名無しさん@恐縮です:2012/02/23(木) 21:42:17.01 ID:liYolOlj0 お前が言うな 16 :名無しさん@恐縮です:2012/02/23(木) 21:42:52.38 ID:cCyx+Wn7O お前が言うな

今日一番笑ったww

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「恥」について – 「わからない」「出来ない」を如何に受け入れるか

村上龍が『愛と幻想のファシズム』の中で提示していた「恥」という概念について、初めて読んだときからもう何年もずっと考え続けているのですがいまいちよく解っていません。どうやらただ「恥ずかしい」と思うことではないようだということと、能力が劣ることを指しているというわけでもないようだということは解っているのですが。 ただ最近、仕事中に上司の表情を見ていて、ああこういうのを「恥」と呼ぶのかなというのを感じるようになりました。 なんだろうなあ、ストンと落ちているわけではないので上手く言葉では説明できないのですけど、今までワンマンで会社を引っ張ってきた経営者が、自分のやり方を否定されたり自分だけが解らないようなことを話されたりしていて、何とか話題にコミットしようと虚勢を張ったり、自分だけが解る領域のたとえ話に引き込んだり、そういう努力をばっさり行かれたりしたときに浮かぶ表情というのはなんというかもの凄いものがあります。率直に言うと、作り笑いがプライドでぐにゃっと歪んでいてとても醜い。 腹が立つでもなく苦々しくでもなく、恥ずかしいでもこの野郎でもなく、そういうのが全部詰まってない交ぜになって、どう考えても自分の方が置いて行かれてるけどそれを認めるわけにはいかないしでかく出ておかなければ今後に差し支えるし、合理的でなくても意地をはるけど、ちくしょうこいつ解ってるはず無いのに偉そうなこと言いやがってでも痛いじゃねーかいや弱いところを見せるわけには…みたいなシチュエーション。 いや…上司をどうこう言いたいんじゃなくてですね、多分僕もああいう顔をしてるんだろうなぁと言う予感があって。 自分で言うのもどうかと思いますけど、しょうもないプライドを捨てきれない人間ですから。僕ってヤツはね。解らないとか出来ないとか素直に受け入れられないんですね。意地張ったって仕方が無くてどうやらこの道では目的に近づけなさそうだから次の道に行こうってすれば良いだけなんですけど、なかなかそう出来なくて、ある程度戦ってしまうんですね。最悪なのはその戦いで勝ちかねないと言うことで、そこで勝ってしまうと誰も幸せにならないし何も良いことがないという。その必死になって勝とうとしている顔は多分、酷い顔をしているんだと思うのですよ。 そういうことに気付いてから、最近は少しずつ自分ができないことを具体的に考え伝えるようにしています。その件についてここまで解っていてここが解らない。この件についてこうやってここまで出来たけど、これが出来ない。出来るためにはこういうことが必要でそれにはこれくらい時間や費用がかかる。自分では出来ないのだと伝えるのは躊躇もありますけど、それは目的を諦めたことにはならないから。 なんだろうな、そういう、目的を見据えたことではなしに、自分の体裁や意地を優先させて必死に弁解しようとする姿勢がきっと「恥」なんだろなと今は少し思います。自己保身のことを考えるからそうなるんであって、目的と自分とを正しい距離感で位置づけていればそんなことにはならないだろうと。大事なことは何をするかであって…自己保身なんかどうでも良いよね。いや僕にとってはどうでも良くないのだけど…でも、そんなの持ってても面倒くさいだけだから、やっぱり早く下ろしたいかな。うんどうでもいいよね。 そんな道の途上。

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きちんとしたエンジニアと話をするとき、僕はとても緊張する

「きちんとしたとは?」という話はあるけれども、 「コードとはどうあるべきか」を知っていて、コードを読んでそれが巧いか拙いかわかるという普通のレベルのエンジニアの人と話すとき、僕はとても緊張する。とある流れで面接的なものを受けたときも、それで酷く緊張して頭が真っ白になり「自分の得意な言語でループを効率的に書け」と言われただけなのに関数どころか書式もなにもかもが全く出てこなくなってしまって、お互いにこれは困ったねという顔をするしか無くなってしまった。もちろん、その話はそれで無しになった。書面だけでお祈りされることもなくせっかく京都から浜町まで行ったのに。ガッデム。ガッデム俺。 なぜとても緊張するのか?と言えばそれは要するに自信がないからだ。 自分なりに勉強しコードを読み、やり方を年々変化させてなんとかプログラマらしくなってきたけれど、他人にコードを読んでもらう機会がほとんど無く、自分のやり方が妥当なのかどうなのかという自信がない。コンプレックスと言ってもいい。良いとされるもの(例えば:アジャイル)を求めてしまって、それと自分の差を見てまた自信がなくなってしまう(本当はそれが今の自分のプロジェクトにとって最適かどうかの検証が必要なのだけど)。そんなの気にしなければいいじゃんといつも思うのだけど、きっとプライドが高いんだ。「ダメだこいつ」と思われたくない。つーか怖い。 だから、きちんとしたエンジニアの人と話をすると、ダメ出しを恐れてとても緊張する。 でも最近少し学んだことがある。 自信がないことや、もしかして本当に能力が足りないことや、緊張することは仕方がないけれども、緊張しながら言うべきことをまとめて丁寧に伝えることは出来る。 最初に大事なことは「聞かれたことだけを考える」。先回りして補足しておこうとかしても話が錯綜するだけだ。それよりもまず質問に回答を用意することを優先する。 次に「解らないことは解らない」と答える。なんでもかんでも解らないのはダメだが、解らないことを説明するのはあとでいい。全体としてはっきり掴んでいるわけではないことについて言及するときは、解っている部分と解らない部分を分けて解るところだけ明確に答える。解らないところを曖昧に答える必要はない(と考えておく)。 最後に「ゆっくり話す」。考えながら話さなくて良いから、いつもよりゆっくり話すことを心掛ける。早口で話すとその自分の口調に煽られてさらにテンションが上がってしまう。ゆっくり話すとだんだん周りが見えてくる。周りが見えたところで僕が優秀なエンジニアに化けるわけでは全然無いけれど、言いたいことは言えるようになる。 もちろんベースとしては、自信のなさを何とかしないことには根本的な解決にはならなくて、そのためにはコードを読んでもらう人を確保するとか、コードを公開するとか、もっとソースコードをたくさん読むべき。他の言語の実装ももっと見るべき。そういうことは解っているのだけど、そして努力を始めているけれど、今現在足りないという場面に対面したときには、上に書いたようなことを心掛けながらその時の100%を出せるようにしたい。 こういうの、意識しなくても出来る人もいるんだよなぁ…それは素直に羨ましい。いやまじで。

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お前はテンションを上げていくべき

なんかどうもモヤモヤした感じが2週間くらい続いていて、なんだかなぁと思っていたのですけど、久々にいつもの8kmコースを走っていて(調子に乗って長い距離を走って膝を痛めてしまったので1ヶ月くらい控えていたのです)、なんだかそんなことを感じたので。 なんか最近、しっかり抜けないように気持ちを張りつつ、テンションが上がって暴走しないようにテンションを抑えて極力冷静に冷静に過ごしていこうとしていたのですね。仕事の時も、私生活の時も。それで得るものというのは確かにあるのですけど、それよりも自分を抑えてしまうことが多いんじゃないかという… 仕事の上ではね、ある程度自分を抑えるのは必要なのですよね。 滅私奉公するつもりは全くないですけど、自分が泥臭い役目を背負って、結果会社の利益が上がって自分の給料が上がるのなら、そりゃ犠牲も負うよねと言うね。 でもなんだろう、そいう仕事するときの自分に平常の自分が侵されて言ってる気がしたのですね。だってさ、仕事終わったら自分を冷静に保つ必要なんかないはずですよね。でも、なんかそういう気になってしまって。テンション上がったらそれを抑えて、極力冷静に冷静に行動する…とか自分らしくないよ。暴走して猛省する方がよっぽど自分らしい。そりゃ一般的に見て「良い」のは冷静な方だけど、それが自分にとってもいいかって言うとまた別問題。 もちっと、やりたいようにやらなあかんよね。いやもうほんと。 俺はもっとテンション上げていくべき。 ですよねー まぁ、そういうことを考えていたとき、「No Life Queen」を聴いていたので、若干割り引いて考えないと行けないんですけどね(苦笑) 【 SOUND HOLIC × 亡き王女の為のセプテット 】 −No Life Queen−

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作り笑いだって良いんだ、そういうときだってある

基本的に作り笑いは好きじゃないです。 感情表現は出来るだけ自分の感情に素直に。 他人に大して不快感をあらわにする必要はないけど、作り笑いで誤魔化すのだけは絶対にしたくない。YesならYes、NoならNo、したくなくてもYesと答えなければならないときは納得した笑顔でYes。それが信条です。 ただ、最近思うんですよね。 そういう信条は大切にしたままで、作り笑いの効用ってのもあるよなぁと。 それはあれです、僕が好きな言葉、「カラ元気でも元気」(©山本正之 / via 機動警察パトレイバー)にも通じること。他人に対する作り笑いじゃないんだよ、確かにしんどくて面倒で笑えそうにないけど、とりあえず笑っとけ、そしたら何か良いことが起きるかも知れないじゃないというね。 なんかさー笑えないからと言って笑わないままでいると、どんどん笑えなくなるんだよ。そんなの嫌じゃん。確かに作り笑いには無理もあるんだけど、前を向くための活力が必要なときもあるじゃんね。そういうときに、作り笑いはエネルギーを前借りすることになると思うんだよ。前借りが嵩むとそりゃ悪い影響が出るけど、企業の融資と同じように、それが必要なときだってあるんだよね。 だから、最近は思ってます。 作り笑いだって良いんだ。自分の感情を誤魔化しているのでなければ。その笑顔から始まることだって多分あるよね。

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精神的に不安定になったとき、

精神的に不安定になったとき、

どうしていつもと違うのか?
と聞かれるのが一番きつい。 そんなことわかるわけもなく、というか、わからないから混乱しているのに、 自分でも説明できないことの説明を求められるのは本当にきつい。 そもそもわかってたら自分で何とかするなり相談するなり出来てるっちゅーねん。 次いで、
どうしたらいつも通りになるのか?
と聞かれるのもきつい。 そんなことわかるわけもなく、というか、わからないから混乱しているのに、 たぶんで語らされるのはマジきつい。 ただ時間や気分転換やふとしたきっかけが必要なだけかも知れないのにね。 んで、そう言うときにどう答えたらいいか本当によくわからない。 大事な人に答えるときに限ってよくわからない。 どうでも良い友達だったら、適当にニコニコ装ってれば時間が流れて終わるけれど、 大事な答えを用意しなければならないときは嘘がつけないから本当に困る。 困るから余計わからない。 一言、
まぁしょうがないね。
といってもらえればすべてほっと落ちることなのだけど、 そう言うのはきっと解る人と解らない人とがいるんだと思う。 同じ人でも解るときと解らないときとがあるんじゃないかなあ。 すこし、我慢して待ってくれたらそれで済む話なのに。 俺は、そう言うとき、ずっと、辛抱して待ってたのにな。

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選手は大人だなぁ(Sports Graphic Number 773号「名将の言葉学。」)

Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2011年 3/10号 [雑誌]Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2011年 3/10号 [雑誌]
文藝春秋 2011-02-24
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Number最新号を読んでるんですが、なんというかかなり熱いです。 「選手には表向きこういってるけどこれはこういう意図を持ってわざと言ってる」みたいなことを 指導者が公言しちゃって良いのか心配になりますが(苦笑)、 多分それも全部考えた上でインタビューに答えてるんでしょうねぇ。それだけの思慮がある人が並んでますし。 普通にインタビュー集として読んでも十分に読み応えのある特集で、凄く面白い。 何度も読みたい一冊だなぁと感じてます。

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「なんのために」を考えない

昨日書いたエントリ「追い込まない」の関連。 「追い込まない」 – nplll 「追い込まない」の中で書いていたことは、

  • そもそもの目的を意識して努力そのものを目的化しないようにしよう
ということなのだけど、矛盾するかも知れないけれども、それと同時にタイトルのようなことも成り立つんじゃないかなぁと思ってます。「なんのために」を考えない。例えばジョギングをしている目的がダイエットだとすると、距離や時間を設定してノルマを課すことは止めてダイエットが進んでいればそれで良いじゃないか、というのが「そもそもの目的を意識して」ということなのですけど、場合によってはなかなか体重が落ちないこともあるでしょう。そうすると、走ってる間に「これで何グラム減るのか」「もっと落とすためにはもっと走った方が良いのか」なんてことを考えてしまいがちです。 それは目的達成のためには正しいことではあるのですけど、根本的な問題があります。何か?そんなこと考えて走ってたらジョギングが楽しくないんですよね。細かく成分を分析しながら食べる食事が美味しくないのと同じ。コードの展開とか音の構成を考えながら聴く音楽で盛り上がらないのと同じ。そんなことをいちいち考えなくても、「娯楽」はそれそのものが快楽になってると思うんですよね。 始める前には色々考えることもあると思います。でも、始まってしまったらそういうのを全部忘れてその快楽を受け入れることだけを楽しむ。終わったら、また考えを再開する。そういうリズム、そういうバランスで何かをやれたら、同じことをするんでももっと楽しく(そして結果的に効率よく)やれるんじゃないかなぁと思っています。バランス取るのが難しいんですけどね。

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「追い込まない」

「追い込まない」という概念って結構大事だよなーとジョギングしながら思ってたりするのです。安易に書くと誤読を招くのでなかなか難しいのですけど。趣味でジョギングをしているときにそれを台無しにしてしまうのは、目標を意識しすぎたり必死になりすぎたりしてそれが楽しくなくなってしまうことだと思うのですよ。僕の断絶のうちの何回かにはそれがありました。頑張り過ぎちゃってそれ自体が嫌になっちゃうの。 誤読回避のために書いておくと、頑張ることや努力すること、生活の全てを注ぎ込むことなどを否定しているわけではないんです。そうではなくて、頑張るにしても努力するにしても嫌々やるのではなく自らの意思でそれを行うという前提があって、その上で積み上げていくというのが大事だよなと思う話。

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難しい表現を使う人と教えること

友人がその知人のこんな言葉をリツイートしてた。 (自分は知らない人なのでソースは伏せてます。返信とかではないので気にしない方向で)

時々、難解な文章書く人がいる。難しい感じや単語を使って書いてある。それを子供向けにしてもらうと全く書けず実は本人がわかっていない事がわかったりする。人に教えるとはそういう事。わかったふりが浮き出てくる
いやー真理だと思います。ただまぁ人に教えるって難しいよね… 特にこれをリツイートした友人は毎日悩んで、僕なんかが及ばないくらい悩み考えてるんだろうなぁと思うんですけど、「教えるのが難しい」のと「難解な文章を書く」のとは実は全く関係がないのではないかなぁと思ったり。文章上の装飾として、「平易な表現では書けない」の強調として「普段難解な文章を書く」が出てきているのだろうなと思うのだけど、普段平易な文章を書いている人であっても、誰か向けの文章ってのはなかなか書けないもんだと思うよ。それが不特定多数向けならより一層。

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