日本赤十字社で個人の寄付が開始されたようです

これまで法人窓口しかありませんでしたが、個人でも寄付できるようになったようです。 寄付方法は、「郵便局・ゆうちょ銀行」か「クレジットカード・コンビニエンスストア・Pay-easy」で、 「クレジットカード・コンビニエンスストア・Pay-easy」の場合は2000円以上からの受付。 希望すれば受領証も発行されます。

「寄付したいがどこにしたらいいかわからない」
という方はこちらからどうぞ。 【日本赤十字社】寄付・献血・ボランティア|東北関東大震災義援金を受け付けます

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日常に戻りました。

色々と考えることはあってツイートしたりもしていたんですけど、 今日出勤途中に思っていたのは、とにかく社会を回して社会全体が被災地を支援できるように、 自分は自分の仕事をしていくしかないということ。 んでmixi開いたらKochang(悪魔の燻製講座の人ね)が、

被災者の方々が一刻でも早く日常に戻れるよう 日本国の産業を回すため、経済を回すため、オレはいつもどおりに仕事して、通常営業するまでだ。
と書いてて、うん、そうだと思うのよ。それだって「僕らが今できること」なんでね。 日常、平常って忘れるって事じゃないんだよ。 ずっと頭にあるし、心は痛めてるけど、でもしなくちゃ行けないことはしなくちゃ行けないし。 みんなで全員で深刻に眉を寄せ合ってても事態は良くならないし。 こうして働くことが、色んな面で繋がってると信じてる。 そうそう、募金に対して「使途が解らないからしない」という見解もあるけれど、うん、強制はしません。 僕もいつもの街頭募金には絶対しないけど、今回は別。 必要なときに必要なお金がないことを避けたいので、最悪使われなくても良いと思って募金しました。 その辺りは個人の判断で良いと思います。

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走って追い込んでいるときの自分はSなのかMなのか問題

いや別に結構どうでもいい話なんですけど。 いつも走ってる8kmコースの最後の1kmなんかでペースを上げて自分を追い込んだりしてるときに思うんですよ。 これって、サド(S)なのかそれともマゾ(M)なのか? よく自分を追い込むトレーニングのことを「体をいじめる」なんて言う表現をするんですけど、 それだけだとどっちかわかんないよねっていう。どっちもある。 多分人によって変わるんだと思うんですが、僕の場合は…やっぱりSでしょうね。 なんというか、その負荷を受けてる自分よりも負荷を掛けてる自分の方に感覚的な主体があって、 しんどい感覚はそのついでみたいな感じ。 結局のところ、何をしているかではなくて、その状況で何を感じているかと言うところで、 SなのかMなのかが分かれるんだろうなぁと思ったり。 よく、表向きの印象だけでSだMだって言っちゃいますけどね。 案外、違ってるかもね。

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今日の業務連絡

本日より2週間の間、本能寺の河原町通り側通用門は、工事のために出入り禁止だ! 観光で訪れる方は寺町通り側の正門側から入ってくれよな! おかげで遅刻ギリギリだったぜ! # そろそろ、耐震工事のために移動されてた植木が元の場所(本道の南側)に移動するのかも

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ポイントカードがしょぼいとなんかガッカリ

いや別に、ポイント収集に特別熱心というわけではないんですけど。 「ポイントサービス始めました!」という話があったらやっぱり「お?お得なサービス始まったのかな?」と期待するんで、その結果があんまりピンと来ないサービスだと、むしろ何もないよりも残念な気がするというか。レジで「ポイントカードはお持ちですか?」といちいち聞かれるようになった分だけ、面倒になっただけというか。うーむ。

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自動通帳繰越対応機(終日、土日も可)

主に家計に使っている講座は家賃の引き落としの関係上、京都中央信用金庫を利用しているのですが、通帳がいよいよいっぱいになって新しいのが必要に。都市銀行ならともかく京都中央信用金庫だったら窓口に行かなきゃなんないんだろうなーと思ったら、さすがにそんなことはなかった。ショッピングモールなどにあるATMコーナーのATMは自動繰り越しに対応していないけど、支店のATMであれば通帳の自動繰り越しに対応してるみたい。 あいにくとWebサイトには情報が載ってない(もうちょっとWebサイト頑張ればいいのに)けど、 ATMに貼ってあったステッカーによると、

  • 終日OK
  • 土日も可
らしい。ほう。それは便利。やるなぁ。 そんなに頻繁に必要になる機能ではないけど、必要になったときにすんなり出来るのはいいね。 というわけで、出勤前に5分くらいで無事完了。45分も早く出勤する必要なかった。やれやれ。

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「誰が言ったか?」にも意味はある

20代前半の頃はそうは思っていなかったんですけどね。 「確かに俺は駆け出しだし経験も足りないかも知れないけど言ってることは合ってるだろ」そう思うことも1回や2回ではなく……って、まぁ正直言えば今でも思ってるんですけど、でもねーそういう話だけじゃ人は動かないのよね。その言葉の重みを決めるのは話している人間ではないのですよね。 聞いた言葉が重いかそうでないかを決めるのはその言葉を聞いた人間で、そこには話し手の伝え方やシチュエーション、経歴や年齢、現状なんかが関係してきて、そいうのは同時に「詐欺」や「老害」の一因にもなっているけれども、ともかく人ってのはそういう判断の仕方をするもんだし、経験が足りないなどの理由で言葉が説得力を持たないのを言葉を練り、際立たせることで補おうとしても無駄なこともある、という。 もちろん単純に聞き手に分かるように伝えられていなかったとか、言葉を重ねれば分かってくれることもあるけど、そういうことと平行して「話す言葉が自分の思うとおりに相手に伝わる人間にならなくてはならないんだ」という視点もあるのだよね。現状、経験も知識もまったく足りないのに社会がどうなっていくべきかを語ってみたり、遠い過去の栄光を基に「最近のやつらは」という話をしてみたりした場合、言葉は正しいのに、届かないってことはあるわけでね。説得力は無いよ、という。 完全に「誰が言ったかで決まる」「中身なんか二の次」というつもりはないんですよ。中身が大事というのもそうだし、出来れば発言者の貴賤にかかわらず万人が耳を傾けて欲しいとも思うけれども、 答えは③。現実は非情である。 こういうときに何を為すべきかを考えた場合、中身や伝え方にばかり説得力の元を求めるのではなくて、「どういう人間が言ったか?」に目を向けるのも選択肢としてアリかも知れないなと思ったのでした。

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