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【近況】 1ヶ月間、休職することにしました。
なんとなくの精神的な不調は3月頃から続いていたのですが、最近いよいよしんどくなってきていて、質問されても答えられない(頭の中が真っ白になる)、要求を満たした成果物を作れない(能力が低いだけでなく集中力も無い。これまで以上にミスが多い)といった仕事面だけでなく、仕事のことを考えると胸が苦しくなったり冷や汗をかいたり、家に帰って気がつくと何時間も経ってたりといったことが起きていて、パートナーの「心配だから一度病院に」という勧めで近所の病院へ。
なるべく大げさにならないように事情説明したらば先生一言。
「なるほどーこれは鬱ですねえ。原因はっきりしてますし、一度仕事離れて休んでください。診断書書いておきますね」えーと、自分的には、そこまであっさり言われると思ってなかったんで「えっいいの」って感じ。休んでもいいんだろうか。みんなに超絶迷惑掛けるけど。いいんだろうか。 まあでも強がってみても、仕事のことを考えるとなにも考えられなくなるのは変わってないし、ていうかもう作業場方面に行ける気しないし、このまま働き続けても良くなりそうに無いし、結局その診断書を持って会社へ。上司、というか社長に相談したら、「ああ、気づけなかった…」みたいな感じで了承され。「あとのことは大変なこともあるけど、どうしても困ったときに聞けるような連絡先だけ教えてくれればこっちで何とかする」と言ってもらえて、あっさり決定。 あー…プロジェクトのリーダーなんかじゃなく、さっさと社長に相談すれば良かったよ。社長と話してて、プロジェクトのリーダーが保身のために結構「ふいてる」ことがよく解ったし、会社と僕をお互いに分断することで、それぞれに都合のいいことを吹き込もうとしてたのもよく解った。僕への明らかに能力を超えると解る要求には、一部、自分自身の作業の遅れに対するスケープゴート的な面もあったのね。あいつのせいで遅れてるんすよ的な。ひでえな。 ともあれ、決めたのでね。1ヶ月お休みです。しなくてはいけなかったこととか、やっぱり考えてしまうけど、もうそれは考えないようにして。「復職出来るようであればすればいいしして良いけど、復職ありきだとしんどいからとりあえずゼロベースで様子見たら良いよ」とも言ってもらえたんで、すこしゆっくりしようと思います。自分がこんなことになるとは思いませんでしたけどね…なにが起きるかわからんもんです。 ※写真には特に意味はありません。なんか自分が癒やされるものを置きたかっただけです。
丁寧に。丁寧に。
ネガティブなことばっかり書いてても仕方ないので、仕事で言われて最近大事にしていることを。 「丁寧に。」 やっぱりねー、前々から思ってはいたんだけど、僕ってもの凄く「迂闊な性格」なんですよね。なんかこう、ついものごとを雑に扱ってしまうような。見た感じで「神経質そう」「細かそう」何つていわれることも多くあるんですけど、そんなんでは全然ない。全くない。子どもの頃から折に触れ「だらしない」って怒られてたクチ。だらしないし…油断するし。熱心にやっていることに割り込みがあるとつい、雑に片付けて元に戻ろうとしがち。本当は、ひとつひとつそれぞれをきちんと片付けていかないといけないのにね。 そういうことを、働いている中で厳しく指摘されて、それは人間性に関するダメ出しではあるのだけど、実際に悪影響も出ているし自分でも自覚があるので「そうだなあ……」と思った次第。 例えば……トイレ掃除の時とか。 「きちんと全部ブラシでこすって汚れが落ちたか確認する」というのがミッションなんだけどやっぱり面倒だからさ、「だいたい全部こすった」みたいなとこでOKにしてしまいがち。いや、一応「そんなことは今までしたことないよ」といっておく必要があるけれど(僕の個人的な信用に関わる)、まあともかく、そんなことが頭をよぎったときに「いや、丁寧にやろう。丁寧に」と思うのね。そう思って確信を持てるところからやり直す。これって性格に根ざした感覚だし意識しないと変わらないと思うから。丁寧に。しめじの石突きを落としているときも。玉ねぎをみじん切りにしているときも。歯みがきのあと口をゆすいでいるときも。DJで次の曲に繋ぐときも。何か感想を書くときも。 残念ながらそれでも仕事ではやっぱりミスすることややり直すことが多くて、すぐに変わることは出来ていないけど、日常生活においては少しずつ丁寧に出来るようになってきたかなあと思います。別にね、時間を掛けることがすなわち良いことだとは思わないし、無駄に時間を掛けるべきで無いときもあるだろうとは思うけれど、そういうのを考えるのは時間を掛けずに丁寧に出来るようになってからかなあ、まず1つ1つを丁寧に扱うことが、僕にとってとても大事なことだよなあと、最近改めて思うのです。 丁寧に。丁寧に。
言葉の持つ力、その怖さ
最近、仕事における自分の不甲斐ない成果に対して毎日怒られ続けるという生活をしています。「人間性の話ではなくて仕事の結果だけの話だから」という前置き付きで、人間性を延々となじられるという生活です。 自分の能力に問題があるとは言え、正直しんどい。 僕をなじる言葉の半分くらいは、僕という人間を理解したと誤解して一方的に組み立てられた言葉で、それに対して反発するとなじる時間が倍になることが解っているので僕は黙っています。そうではないよ、と心の中で呟きながら黙っているのですが、繰り返しぶつけられる言葉の力は決して弱くない。そうではないよ、と思っていても気がつくと僕の心の中に侵入しています。その通りの人間に思えてくる。
天一の下水道不正利用のニュースと下水道料金への素朴な疑問
これね。
確かに徴収された料金は下水道使用料なんで、下水道不正利用で合ってるんだけども、手続き的には「上水道」の手続きを(意図ではなくミスだったと天一は言ってる)していなかったという話なのよね。 なんでそういう話になるかというと、下水道の使用料金が上水道の使用量に合わせて計算して請求されるようになってるから。水道料金の明細見れば解るけども。上水道の使用量はメーター取り付ければ解るけど、下水道の使用料なんかぶっちゃけわかんない。だから「だいたいで多分だけ流してるでしょ」ということで、上水道の使用量で計算した下水道料金を請求するという理屈。まあそうか。 で、今回の天一のように市の上水道を使わずに(つまりメーターを回さずに)水を入手して使用する場合には、メーターを回さない代わりに使用量を水道局に届け出る必要があります。水道局では届けられた内容に従って下水道料金を計算して支払うわけですね。対象になるのは井戸水だけではなくて、わき水や川の水、雨水の再利用なんかもあります。上水・下水どちらもメンテナンスの必要がありますし、ただで使用出来るもんではないってことですね。そんなの日常あんまり意識しませんけど。 たまにビルとかサービスエリアとかで「雨水をトイレの水に再利用しています」ってのを見掛けますけど、ああいうのもきちんと量を計測して届けてるのかしら。大きなビルだったら必ずやってるでしょうけど、小さな店だとどうかな。ていうか、よくよく考えたらすげえめんどくさいなあ。いちいち溜めた雨水の使用量なんか測ってられなくないか。下水道の理屈は解るんだけどさ。大津市は19日、中華そば店「天下一品」を展開する天一食品商事の本社工場(大津市大江8丁目)が、2009年4月から今年1月まで井戸水の利用を市に届け出ず、支払うべき下水道使用料約1億5774万円を不正に免れたとして、過料を含む約4億7324万円を支払うよう同社に請求したと発表した。市の下水道使用料では過去最大の不正額という。 市によると、同工場は1996年9月に水道水と井戸水を使って操業し、下水道に排出する認定を受けたが、2009年4月から使い始めた井戸は市に届け出ていなかった。
ふとした疑問
飲食店とかだと、蛇口から出たものの下水道には流してない水ってのも結構な量あるんじゃないですかね?つまり飲み物や食べ物でお客様のお腹に収まって店外へ出て行くようなそういう水分(大都市圏の飲食店が水道の水を料理に使っているのか?はさておき)。飲食店は元々水をたくさん使うから、全体の割合からしたら大きくないのかも知れないけど、量だけ考えたら結構バカにならないのでは。もちろんそんなの計測出来ないから、それで下水料金を減免してくれることになったとしても届けようがないけど…… それともあれかな、お客様が店外から持ち込んでトイレで排出する水分とで相殺みたいな感じだろうか。まあそれも考えられなくはないけど……やっぱり、その辺は誤差だから大人しく払ってと言うことなんでしょうな。なんかもやっとする。すげーちっちゃなことなんだけど。もやっ。父親と病気
父は63歳。今年64歳になります。 1日2箱くらいの喫煙者で、酒は飲みません。 父は昔から殆ど病気をしない人で、10年に1回くらい風邪を引いて「鬼の霍乱」なんつて言ったもんでしたが、去年、胆嚢炎(胆石)をやりましてね。といっても命に関わるようなものでは無く、少し入院しただけで退院出来たのですが、そこで睡眠の不規則さや食生活の不摂生さを強く指摘されたのが応えたのか、それまでがあまりに健康だったからなのか、途端に弱気になってしまいました。以来、少し体調が良くないと「病気じゃないか」。 今年の年明けにも少し風邪をこじらせたことがありました。同居しているわけではないので詳しい症状までは解りませんが、電話越しには元気そうでしたし、母親の話では大したことないとのことだったのであまり心配していませんでした。ところがなかなか咳が治まらない。そして曰く「癌じゃないか」。自分の父親(祖父)を肺がんで亡くし、自分自身も喫煙者であるという「負い目」や肺がんに対する「恐怖」のようなものがあるのかも知れません。 病気し慣れない人が急に病気すると弱気になったりするもんなんでしょうか?母親の方は僕が子どもの頃からずっと喘息を患っている上、血圧など良くないところもたくさんあって苦労しているので、自分自身のことであってもそれほど慌てないのですが、慣れてないというのはそういうことかも知れません。いや、健康であることに越したことは無いので、どっちが良いのかは微妙なところではあるのですけど。 結局、MRI、血液検査を行った結果、肺がんでも結核でもなく、抗生物質を投与されて2週間ほど禁煙したら治りました。抗生物質が強すぎて肝臓に負担が掛かり、医師に変更してもらうというハプニングはありましたが、まあ「大したことはない」。入院もしなかったですしね。父親ももう若いわけではないので1つや2つ病気の経験も出来て当然だし、そういうことが起きたとしても冷静でいて欲しいなあと思うのですが…なんかこう、突発的なことが起きたとき、それに慌ててしまう、パニックになってしまう、ネガティブになってしまうというのがそのまま自分を見ているようにも思えて、少し苦笑い。仕方ないんだろうなあ。 いつまでも若いと思っていた父親も、歳を取ったのだなあ、と少し寂しく感じた出来事でした。
追記:病気で弱気になっているときの精神状態
単純にネガティブに、鬱になっていくのかなと思っていたら案外そうでもなく、父親の場合はどちらかというと「躁鬱」っぽい感じになっていくようです。暗くふさぎ込んでいたかと思ったら、「精を付けるために焼肉食べに行こう!」と言いだしてみたり。機嫌が悪くなったり、良くなったり。原発のことについてよく解らないネガティブなことを書いていたのもこのせいかもしれないなあ。母親に禁煙を促されて「今までに見たこと無いくらい」怒ったのも、そのせいかも。 まあ、煙草は単純に止めれば良いと思いますけどね。胆嚢にも悪いし。京都には「地方局」が1局しかなくて寂しい ── 地方局って大事じゃないかなあという話
静岡から京都に来て思ったことの1つに「テレビ局の存在感の無さ」というのがあります。 大都市圏から出たことが無い人にはあまり実感出来ないと思いますが、地方道県では4大ネットワークに対応したテレビ局がそれぞれ1局ずつあるもんなんです(一部例外を除く/詳しくは記事下部の参考リンクを参照のこと)。 例えば静岡であれば、こんな具合。
- 日本テレビ系列 → 静岡第一テレビ
- TBS系列 → SBS(静岡放送)
- フジテレビ系列 → テレビ静岡
- テレビ朝日系列 → 静岡朝日テレビ
- 日本テレビ系列 → 読売テレビ
- TBS系列 → 毎日放送
- フジテレビ系列 → 関西テレビ
- テレビ朝日系列 → 朝日放送
レモンバームは砕けない
【読書感想文】 finalvent / 考える生き方 【未満】
読んだあといろいろと心に残ったことがあり、それぞれについてきちんと考えてから読書感想文を書こうと思っていたのですが…無理でした。難しい。感じたことを1つ1つ掘り下げていると時間もスペースも足りないし、何か考えたことを本文を引用しながら書き出すとそれこそ1冊引用しかねないという。かといって全体に対する印象があるかというとそれもまた茫洋としていて、なんとも上手く言葉に出来ない。とある人の半生を垣間見るというのはこういうことなのかも知れないなと、なんだか変な納得の仕方をしてしまいました。書けない。 …といってそれだけで終わるのも悔しいし、だいたい心の整理が出来ません。打開策として感じたことを出来るだけ簡潔に箇条書きにしてみたので、それを書き連ねながら肉付けして「感想」としてまとめていきたいと思います。上手くまとまったら良いな。
今年は花粉症が大したことなくて助かってる件
「昨年より50%増しとか死ねる」と思っていたのですけど、
花粉症の季節がいよいよ始まって、もうなんというか | mutter
これまでの3週間、とりたてて大きな発作も起きずに過ごしております。関西は関東に比べると比較的花粉量が少ないというのもあるのかも知れませんが(特に東京は排ガス的な要因も大きいらしいので)、やっぱりね、真面目に対策取ったら楽だったという話であります。対策と言っても大したことではなくて、
- 室内では空気清浄機
- 室外ではマスク