【読書感想文】 finalvent / 考える生き方 【未満】



読んだあといろいろと心に残ったことがあり、それぞれについてきちんと考えてから読書感想文を書こうと思っていたのですが…無理でした。難しい。感じたことを1つ1つ掘り下げていると時間もスペースも足りないし、何か考えたことを本文を引用しながら書き出すとそれこそ1冊引用しかねないという。かといって全体に対する印象があるかというとそれもまた茫洋としていて、なんとも上手く言葉に出来ない。とある人の半生を垣間見るというのはこういうことなのかも知れないなと、なんだか変な納得の仕方をしてしまいました。書けない。

…といってそれだけで終わるのも悔しいし、だいたい心の整理が出来ません。打開策として感じたことを出来るだけ簡潔に箇条書きにしてみたので、それを書き連ねながら肉付けして「感想」としてまとめていきたいと思います。上手くまとまったら良いな。




読む人の年代によって感じることが違うだろう

finalventさんがTwitterでリツイートされている色んな人の感想を眺めて「ああ、やっぱり」と思ったのだけど、読む人の年代によって感じることが違うのですよね。この1冊は現在55歳のfinalventさんの、20代前半からの半生を描いた1冊で、その中には挫折あり、結婚あり、仕事あり、家族あり、普通の人が生きていく中に含まれているたくさんのことがあって、その人がどんなことを感じて生きてきたかによって共感する部分が変わるというか。4年で大学を終えて大企業に就職した人には、研究に生きようとすることや、線路から外れた就職のことは解らないだろうし、色んな事情で子どもを作る予定がない僕にとっては子どもを4人育て上げるという体験は想像するしかない。

ただでも、どんな人であってもどこかが琴線に触れると思うのです。僕の場合、大学をドロップアウトした時期から就職するまでと、子ども作る予定がない今がすごくマッチしました。finalventさんの生きてきた道がどうこうと言うよりも、それが触媒になるような。他人の一生を聞きながら自分のことばかりを熱心に考えてしまうのは、不思議というか、とても久しぶりな気がしました。10年前だったら毎日考えていたようなことを、この本を触媒にもう一度考え直すことになったのかも知れない。僕にとってその年代が、まだ体温の残る過去だと言うことなんでしょう。


仕事の仕方について「やるべきことを探さなくてはいけない」と焦るほどのことは無いな、と思えた

僕に何かを切り開いていける素養があるとは思えないけれど、それでも「やってみればなんとかなるんじゃないか」となんとなく思えました。何をしたらいいかなんてやってみないとわかんないし、今の歳までこの職業できたけどこれが本当に自分に合ってるかなんて全然分かんないし、意外に農家とか好きかも知れないし、だけど、そういうのって、「なにをすべきか」「生き方の正解はどこか」という視点からでは見えないのよね。

ずっと定職もなくフラフラしてるのが良いとは思わないけど、でも自分はトライしていないな、と。やりたいことをやってみるチャンスはもっといっぱいあったんじゃないか、これからもあるんじゃないか、そういうことを考えるようになりました。もっときっと「やりたいこと」を考えていいはずなんだ。それで生活出来るかどうかは後で考えても何とかなるし、それを何とかしていく方が人生楽しいよ。

そんなこと思って、最近パートナーとよくこれからのことを、夢想ではなくて現実的なスタンスで、話をします。今話していることを現実に出来たら良いなあ……


はてな民としてfinalventさんを意識したのはいつだったっけか

読みながら「自分はいつからfinalventさんを知ってるんだろう?」と気になって調べてみたら、どうやらこの記事を2006年5月22日にブックマークしたのが最初らしい(当時はid:konazeだった)。7年前。

コシヒカリHG: 極東ブログ

多分、当時のはてな住人が「爺」と呼んでいてその流れで読んだのだと思います。

以降、ブログを読むことになるのだけど、ブコメやコメントで見掛ける粘着的な批判が実はあんまりよく解りません。finalventさんの書くことに対して「反感」は持ったことがあんまりないんですよね。それは僕が信者だからとかそういうことじゃなく、finalventさんの論理には彼なりの論理が通っていて、「それを受け入れるか受け入れないか」というシンプルな構造だからじゃないかと。

そりゃ僕は別の人間だから受け入れられないこともあるけれど、別にどちらかが正しいと言うことでは無くて「違う」と言うこと。「なるほどそういう見方もあるのかー」と思い、納得がいけば採用するし、解らなければいずれ別の機会に解るときが来るまで、正しいかどうかは決めないままで、ストックに挿しておく。

finalventさんのブログは僕にとって、僕にとても不足している分野の見識やその見識を得ようとするためのきっかけを与えてくれる、大事なブログでもあります。ときおり掲載される、料理エントリや、創作エントリも好きよ。


普段好んで読んでいるブログの中の人がどんな人なのかを知るのは単純に楽しかった

誤解ないように書いておくと、別に知りたかったわけではないんです。どちらかというと、webで知り合っている人たちがリアルで何をしているかは知らないでいたい。id:wetfootdogさんがどんな職業なのか、フモフモさんの普段の生活はどんなのか、フミコフミオさんの容貌がどんななのか、加藤ハイネさんがどんな顔で仕事されているのか……そういうことは、なくていい。僕が好きなのは彼らが描き出す虚構込みの世界であって、リアルと地続きの何かが知りたいわけではないのです。

finalventさんにしても、そうしたリアルの事情を知りたいか?とだけ聞かれれば「いや……微妙かも知れない」というのが事前の感想でしたが、でも読んで知ってみて良かった。沖縄の生活なんかも含めて読んでいてとても楽しかったです。そうかー、こういう状況でもってああいうテキストを書いているんだとおもうととても違う。55歳で孤独な男性が「恋愛」について書いていると思うのと、情熱的な恋愛の末に結婚して4子をもうけた男性が「情愛」について書いていると思うのとでは違う。

僕は、これまで書かれていたことと、本書で書かれていたことが裏表なくスムースに繋がった感じを受けました。それが「楽しかった」と感じた要因なのかもしれません。ブログの延長として、もしくはバックグラウンドとして、「ああ」と思うこともいくつかありました。


子どもが、それも4人もいらしたことには素直に驚いた

孤独だと思っていたわけではないですが、そういうことを書かれることが全くなかったので、素直に驚きました。ええ、そうだったの!と。勝手に堅物だと思っていたので「自然に生殖可能な男女が避妊もせずに暮らしていると、こうなるという実例みたいなことになった」なんていう言い回しは、とても体温を感じて微笑ましく思いました。僕の場合僕自身が36歳、パートナーが2歳上で体も余り強くないので、子どもをもうけるということは今後もないと思います。でも、もし生活できる見通しが立てば子どもをもらってもいいかなとも思っています。4人は難しいですけどね。


病気について、思っていたよりも重くてとても驚いた

体調が悪いようなことをたまに書かれていたので、50歳を超えたら一つ二つ体の不調はあるもんですよねと思っていたのですが、それどころではない重さでとても驚きました。指定された難病で、湯船にゆっくりつかれず、お酒も止めて…ああ。飲酒については何か道徳的な理由で止められたと勝手に思っていたので、少しショックでした。自分にも起こりえることというのもあるし、最近父親の病気がちというのもあるし。

身近にやってきた病に恐怖を感じ、それを受け入れて側に置いておくような生き方を得るのに、僕だったらどれだけの時間が掛かるだろうとしばし。父親に出来るだろうか、としばし。こうして「しばし」をしながら読んでたから時間が掛かるのですが。


勉強をすることについて疎かにしてはいけないと感じた

勉強すること自体にコンプレックスはなく、むしろ好きな方であろうとは思うけれど、継続しているかどうかという点で言うと必ずしもそうとは言えないなあとも思います。自分の専門しか学ばないとかね。だけど「興味を持つことがあったらそれを勉強すればいいんだ」ということに今さらながら気付きました。論文でも専門書でもいいけど、興味を持ったことがあるなら少し深く掘ってみればいいというね。掘った結果気に入らなかったら埋め戻せばいいだけだしさ。

そんなことを思いながら、最近は町家の建築技術的な知識について学んでいます。
あと、今年中にタイ文字が読めるようにもなりたい。


沖縄に住みたい。とっても住みたい

毎年行ってると言っても所詮は夏の1週間くらいで、ビジネスホテルに泊まるだけ。沖縄のことは殆ど知らないと言っても過言ではないです。だけどなんかこう、馴染んでしまいそうなぼんやりした予感もあるんですよね。ああいうリズムが合う。上手く言えないけど、安心出来る。多分僕、「沈没型」の人間なんだろ思う。

どうしても仕事、収入という点がネックになって具体的に考えられないのですけど、沖縄に住みたいなあということは割とよく考えます。そのためにどんな収入を得るべきかとかも。老後はタイに移住してるかも知れないけど、それまでは沖縄にとかも。


「誤解される、理解されるのを諦める」という感覚について

finalventさんほど切実に感じてはいないけれど。

昔から上手く理解してもらえない、誤解されるということがよくあったのです。説明が届かないと言うだけでなく、勝手に解釈されることはたくさんありました。誤解され勝手に不快に感じられることもあれば、勝手に過大評価され期待されることもありました。

そういうことについてずっと長い間、自分の理解してもらうための努力が足りないせいなんだと思ってきたのですが、ここ何年かで「理解されなくても別に良いんじゃないか」と思うようになりました。理解されないよりは理解された方が良いですが、理解されなくても付き合いようはあるわけです。人1人丸ごと理解出来る/出来ないなんてことはない以上、「誤解される」「理解されない」なんてのは日常至る所にでてくる事案なわけだから、いちいち悩むほどのことじゃないんだなと。理解出来ない人は放っておけばいいし、ああ、キミはそうなんだねと思っておけばいいし。

finalventさんが感じてらっしゃることとは違うだろうけど、連想してそんなことを感じていたり。


まとめ

まとめるの無理。やっぱり。でも読んだあとに思ったことは。

人生ってもっと自由に生きたっていいよね。

自分自身、保守的だって言う意識はなかったんです。子どもの頃は無謀に突っ込んで怒られるタイプでしたし、突然決断して周りに驚かれると言うことは良くありました。でも、自由ではなかった気がします。「こうでなければいけない」と言う縛りを感じることは多かった。それをすることの意義や、それをすることで将来何に繋がるか、そんなことを考えて自分の人生の次の一歩を決めてばかりはいられないよ。計算無しで、単純にそうしたいからという理由ですることも多々あるし、それで失敗して苦労するというのも自由と言えば自由。

そういう彩りのある人生にしたいな。まだたっぷり30年はあるんだからさ。



本書は、「普通の人生」を描きながら、読んだ人によっていろいろな要素で背中を押してくれる、そんな1冊であろうと思います。最近独立した友人が読めばまた違う点に引かれるだろうし、3人娘を育てた友人が読めばまた違った感想を抱くだろうし。少なくとも僕にとっては、そんな景色が見えました。



追記:読了後に読むべきエントリ

finalventさんがいくつか、後書き的なものを書かれているので、そちらを読むとより楽しめると思います。

『考える生き方』に書かなかったブログ論の一部: 極東ブログ
「さとうきび畑」の歌は、本土側の「沖縄幻想」だったか?: 極東ブログ
「風の音にとぎれて消える母の子守の歌」は怖い: 極東ブログ
からっぽな人生を生きてきた |考える生き方 空しさを希望に変えるために|ダイヤモンド・オンライン
からっぽな人生を書いてみた|考える生き方 空しさを希望に変えるために|ダイヤモンド・オンライン
finalvent著『考える生き方 』に書かなかった「あとがき」のことなど: 極東ブログ
シノドス・インタビュー on 『考える生き方』(finalvent著): 極東ブログ


僕はこの「読書感想文未満」を書き上げるまでとっておいたので、まだ読んでません。
これから読みたいと思います。



追記(2013/04/02)

深夜に書いたせいか、記述が不明瞭な部分、変換ミス、誤字・脱字が目立ちましたので、全体的に改訂しました。
見出しは変更していませんので、全体の主旨には変化無いと思います。