「ほぼ日ホワイトボードカレンダー2008」をもらったよ。

ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)では毎年卓上カレンダーを販売してるんですが。 ほぼ日刊イトイ新聞 – ほぼ日ホワイトボードカレンダー2008 昨年は、SayHello!のカレンダーでして、 めちゃめちゃ可愛いジャックラッセルテリアの親子と1年を過ごしたんですね。 Say Hello! あのこによろしく。 (ほぼ日ブックス)Say Hello! あのこによろしく。 (ほぼ日ブックス)

続きを読む

ほぼ日の“今日のダーリン”が元に?戻ってた。

先日、『ほぼ日』のデザインが新しくなって、 なんていうか、“モダン”になってたんですけれども。 長年慣れ親しんでたデザインに付随した、閲覧リズム…、みたいのが変わって、 正直なところ少し戸惑ってたってのもあったんですね。 元に戻してくれとかじゃなくて、慣れるまでもうちょっと掛かるなーという。 あと、重要なこととして、“気まぐれカメラ”に絶賛出演中のブイヨンさんを見るのに、 ちょっと手間が増えたなぁと。 ほぼ日刊イトイ新聞

続きを読む

Wii前夜祭@ほぼ日の件

昨日、12/2は任天堂の新しいゲーム機、Wiiの発売日でした。 各地で、様々なことが起きていたようです。 【2ch】ニュー速クオリティ:【Wii】「勝ち組ですから一応」 【2ch】ニュー速クオリティ:ルイージ、マリオを装ってWii販売会場に忍び込むもバレて連行退場。 画像の美麗さでは、PS3には全く敵いませんが(確かにPS3は綺麗)、 DS以来の、フレンドリーな値段とインターフェイスで、 PS3以上に期待されていただけあって、なかなかの盛り上がり。 まぁ、任天堂も必死ですね。 (追記:ネガティブな意味ではなくて、本当に必死を要する戦いだよね、という意味です)

続きを読む

山田玲司 × ほぼ日

ほぼ日刊イトイ新聞 – 山田玲司が語る、永田照喜治。 『永田農法』で有名になった、永田照喜治さんについて、 山田怜司さんが、ほぼ日で語ってます。 例によって、脱線して、『山田怜司のインタビュー』になりかけて、 また戻って、とかしてますが、 まぁなんだろうな、興味深い。 もちろん、永田さんにも相当の興味があるけれども、 山田さんにもかなりの興味がある僕としては、 (そして当然、ほぼ日、および糸井重里さんにも) 思うところのたくさんあるコラムになってます。 安易に抜粋したり、引用したり、理解ると言ってみたり、賛成したり、 そういうことをしたくはないのだけど、 最近ずっと考えていることがちらりと見えたので、 その辺を。 インタビュー自体は、それが主題でも何でもないし、 これから書くことはインタビューとは全く関係ないので、 誤解無きよう。 * * *

続きを読む

本日のブックマーク – 2006/03/12

ちょっと目を離すと、おお、というニュース、エントリが出現してて、 あーこれはなんか書いておきたいなぁ、というモノが溜まる一方で。 そう考えると、何の感想もメモらずに、ブックマークして放置する方が正しい気もするけど、 まぁ、そうも行かないので(自分的に)。 あんまりたくさんピックすると、いわゆる、 『ニュースの柱でエントリ作るサイト』のと変わらなくなってしまうので、 その辺気をつけつつ。 トップニュース。

「読めない土曜の女たち。」(3/11)
なぜコレがトップニュースかというとですね、 途中に掲載されている、野菜の名前リストが面白かったからです。 で、ガーン!と思ったモノがふたつありまして、 ひとつは、『萵苣』。 ちしゃ、と読んで、レタスのことだそうです。 コレね、ついこの間友達にも話したんだけど、 大学にいた頃、近くのもの凄く寂れた建物の2階に、 『チシャの葉』っていう寂れたバーだかスナックだかがあってですね、 もの凄く怪しい雰囲気で、入りはしなかったモノの、気になってて。 一時期、仲間内で噂になってたんです。 で、その時来、勝手にちしゃは朝鮮語だと思ってて。 (韓国料理に良く出てくるよね) そしたらそうじゃなく(チシャの由来は乳草)、 チシャとレタスは呼び方が違うだけという事実…!衝撃でした。 チシャについて ふたつ目は、『陸蓮根』。 おかれんこん、と読んで、オクラのことだそうです。 ここまでは、『あーわかるわかる』と思ったんだけど、 オクラが実は英語(Okra)だという事実!ばばーん。 原産地はアフリカ、主な生産地はアメリカ、だそうです。 思いっきり、和食材だと思ってました… 奥がふけぇ。 オクラ

続きを読む

本日の気になったニュース。 – 2006/02/15

トップニュース…というほどのものでもないけど。

任天堂は公式サイトにて、「MOTHER 3」の発売日が2006年4月20日に決定したと発表した。これに伴い、画面写真も数点が公開されている。
おおおお。 遂に来ましたよ。 やー正直ねぇ、きちんとした発売日が発表されて、 テーマ曲も画面も発表されて、 出るって言われてるんだけど、どっかで、 『やっぱ出ません』 て言われることに構えてる自分がいるんだよねぇ。 まぁそんなことより当面の問題は、 『NintendoDSを買う必要がある』 ってことなんだけどね。 まぁ一緒に買えばいいか。 ちなみにほぼ日のMOTHER3ページも更新されてますよ。 ほぼ日刊イトイ新聞 – ようこそ『MOTHER3』の世界へ!

続きを読む

価値観への逃避、または同化。

1/21付け、ほぼ日の今日のダーリンにて、 誤解されやすい言い方だけれども、と前置いて、

こういう時期に「額に汗して働く」という価値観に、 逃げ込んではいけないと思うのです。
と書かれていた。 その考え方…というか、書き方が自分によく似ていて、共感した。 働くこと、努力すること、 そう言うことは素晴らしいのだけど、それが目的になると、 全体としては良くないよ、ということを言っているのだろうね。 しんどいこと、例えば残業とかだけど、 最初はこの残業が全体のこの部分を突破するために必要とか思ってるけれども、 そのうち、しないヤツはけしからんとか、 こんなに頑張ってる俺偉いとか、 何かの理由付け、必要な存在として残業があるのであれば、 それは少なくとも一つの意義は見失っているということになるよね。 自分の考え方の拠り所として、 人に聞いた話や文献を上げる人は少なくないと思うけれども、 それをどう消化しているか、という点で見れば人によって全く違う。 そう言う話に、この『額に?』という話は繋がっていく。 無自覚、無意識のまま、大枠の安定を疑問無く受け入れていく、 そういう姿勢で良いのかな、と。 ものごとをマトモに考える場合、 『良いに決まってるじゃない!』という言葉は存在し得ない。 ウィトゲンシュタインの言葉を借りるまでもなく、 例えば、この部屋に象がいることの否定は、 象がいないことの証明にはならない、 ものごとには、何であっても、きちんとした検証が必要だ、ということだ。 もちろん、僕だって経験則や感覚で乗り切れるところはそうしているけれど、 こと生き方に関する部分で、 何かの価値観、 『世間で良しとされているらしい価値観』に、 くるまれて安心することを目的に生きるようなことは、 絶対にしてはいけないと思っている。 結果的に、そうなるのはかまわないけれども、 自分と相談し、自分で決断しなければ、 その状況には命は吹き込まれない。 日本全体が、安定志向、保守化の方向へ向かっている、そういう話を最近よく聴く。 政治の問題ではない、 ひとりひとりの、判断基準の問題だ。 プログラミングに例えて言うなら、意識のモジュール化だ、 状況に合わせて、既に評価の固まっている『思考セット』を導入する。 状況に合わせて、価値観がセットになっており、 それってアリだよね、といえばインストールは完了し、つつがなく生きていける。 何かダメなことがあったら、このモジュールバグだらけだな、 って言って他のものと取り替える。 そう言う人を、もちろん京都でもよく見る。 親しい友人でもその傾向がある人はいるし、あまり関係ない。 でも僕はそれは、意識レベルでの退化だと思うんだよね。 自分の価値観、分かり易く言うと判断基準を、他の何かに頼る。 ニアリーイコールとして、判断を、他の何かに疑問無しで委ねることになる。 そこに不安や不満はないのだろうか。 もうすぐ29になるけれども、29年間、不器用に生きてきた。 遠回りもしたし、いまだってしてるけど、 でもだから、いろんなことを得ていると思う。 自分の言動には責任を持つ。 同じように、きちんと物事を判断できる友人達とも出会えた。 残りの人生が何年あるかは知らないけれども、 僕は判断して生きていく。 そして、『私もそうしてるよ!』と思った人は、 本当にそうか、考えてもらいたい。 僕も考える。 自分は、『糸井重里』と言うネームバリューに負けて、 考え方を微調整してMutterを書かなかったか?と。 『楽に生きる』ことは誰にだって出来る。 でもそれは『楽』しいかい? 作るから、楽しいんだ。

続きを読む

写真と散歩。

ほぼ日で連載が始まった、写真家の菅原一剛さんの新しいコラムの中で、 僕が常々思っていたことが、きちんと言葉になっている。 ほぼ日刊イトイ新聞 – 写真がもっと好きになる。菅原一剛の写真ワークショップ。 第1回「写真の始まりは、いつもお散歩。」 と、少し引用させていただこう、と思ったのだけど、 下手に切り刻んでしまうより、直接読んでもらった方が きっと、より、解ってもらえるようなきがする。 ぜひ。

カメラを持って散歩をしてみよう。 いい写真とは何かなんて考えずに、 発見したものをそのまま写してみよう。 そのとき感じた気持ちを、こめながら。 そのとき感じた気持ちが、かならず写るから。

続きを読む