≪続≫ルー語変換:成長してんじゃん
年始に書いた、Elementary,さんのルー語変換。 その後さらに成長して、終いにはPlaggerプラグインにまでなってしまってる(笑)
年始に書いた、Elementary,さんのルー語変換。 その後さらに成長して、終いにはPlaggerプラグインにまでなってしまってる(笑)
よくデスクトップの整理術、なんて記事を見るんだけど、
いつの頃からか、僕の使用するPCのデスクトップにはアイコンがない…。PCのデスクトップを広く使う方法として、前回はアイコンの間隔を狭める方法を紹介した。この方法では、特別なソフトのインストールなしにデスクトップ上に多くのアイコンを詰めて置くことができるようになるが、アイコンそのもののサイズは従来のままで、劇的に変わるというわけではない。
何となく作ってみたけど、上手く説明付ける自信がないので、 (文章の発想を説明する文章自体が、その発想で書かれるという螺旋形だな、そういえば) とりあえず置いておくだけ。
昨日は、京都クラブメトロにて行われた、
“メトロ大學 ドキュメンタリー 映画『ペダル』DVD発売記念上映会
?バイシクル・メッセンジャー・ライフ in NY?”
に行ってきた。
ゲストに、京都メッセンジャーKAZEの、
半田康之さんと兒玉卓也さんが来られてたんだけど、
仕事が終わってから大急ぎで駆けつけたので、
結局、ゲストトークは殆ど見られず。残念。
ほどなく、上映会に。
…
…
面白いですねぇ…… 今まで取っつきにくかったんで何となくやってなかったんだけど、 ゲームセンター「CX」の、カプコン編(シリーズ1の#3)で、 クリエーターの稲葉敦志さんのインタビューがあって、 気になったのでやってみた、というわけ。
感情や主観に基づいた自分の判断に疑問を抱き、 ふと立ち止まって、違う視点から自分を眺めてみる。 そういうことは、これまでに何度もあるから、このことは別に特別なことではない。 こうあるべきだ、しなくてはならない、というようなことではないし、 自分以外の他人に何かを強制することでもない。 自分を見て、もしかすると自分は今こうなのではないか、と予測を立て、 だとするなら、この件やあの件は説明がつくかなぁ、と、 何となく思いを巡らせる、そんなことだ。 その思いを元にして、その局面の打開を図ろうとするのだけど、 仮にその予測が外れていて、僕の策が当を得ていなくても、 どっちにしろ閉塞感はあったのだから、特に損をするわけでもない。 あ、違ったのか、と思い、次に活かすだけのことだ。
ここしばらく、あるタグのついた動画のアップ状況をチェックしているのだけど、 YouTubeはサービスを利用している限りRSSを配信していないように見えるので、 フレッシュリーダーで無理矢理更新チェックをしていた。 んが、まぁ、MyRssでは結構ゴミも引っかかるし、 Rssそのものに迫るほどは実用的じゃない。 次に考えたのが、APIを使って自分でRSSを配信すれば良いんじゃないかと言うこと。 タグでも、ユーザでも、検索できるなら、その結果をRSSとして書き出せば良いんだと。 しかしここで、致命的な問題。 APIの検索結果は、日付で並び替えて取得することは出来ないのね。 実際に検索した時に表示される、優先順位を加味した結果が得られるだけ。 これでは、更新チェックとして不十分…
『水曜どうでしょう ベトナム1800km』の中で、 そういう大泉さんのセリフがある。 副音声で、大泉さん自身がそれを解説してるんだけど、 なんかもう全然当を得ていなくて、結果的に、藤村Dに、 何言ってるかわかんねぇ、と無視されてしまう。 まぁ、そう言われても仕方がない、言いっぷりなんだけど(苦笑) 別に必要ないと思いつつ僕なりの解釈を書くと、 きっと、『終わってしまう』ということが怖くて、不安だったんだろうと。 終わるってことは、もう二度と戻ってこない、ということだ。 永遠の喪失。 そのこと自体が怖かったんだろう。 でももし、次に復活できたとしたら、 それは、永遠の喪失とは違う形になる。 終わって、復活したら、もし次に終わっても、また復活できる、 それは常に希望を残すことになるし、 完全な終了とは全く違う、別のものになるわけで。 そこには、以前と同じような怖さはない。 まぁそういうことは、69tracksについても言えるんだけど。 あ、そうそう、今年も9月に開催予定ですよ。 (Mixiに書いた方が良いのかもしれないけど)
自分は、自分以外のものに依存しすぎてるんじゃないだろうか? そんなことを最近よく思う。 それは、煙草だったり、酒だったりということもあるだろうし、 恋人だったり、仕事だったりということもあると思う。 何か困ったときには、そっちの方に行っておけば何とかなるだろう、 もしくは、頼り切ってしまってまかせてしまう、そういうような。
最近、『反自民』という政局的な判断に基づいて、 この手のセンシティブな話題に手を出す政治家が多く、 それだけでもうんざりなんだが、 それに加えて、殆ど裏も取れてないのに、ただ『反自民』というだけで、 対局に論陣を張ろうとしている。 いくら選挙年だからってそれはやり過ぎだろ。