Twitterで「微妙な人」をたくさん発見できるようになったのは良いのか悪いのか…
日々Twitterを触ってて思うのは、世の中には「微妙な人」というのがたくさんいるんだなぁと。
単純に頭が悪い人って言うんじゃなくて、
知識もなければ頭も良くないのに、頭良さそうに振る舞う人みたいなの。
まぁ多分僕もその類に属するんだろうなぁと思うんだけど、
微妙な人ってのはそこから、自分の中で練り上げた世界観でもって有名人に難癖付けていって
逆に切り返されてバカを晒してしまうみたいな感じ。よくある光景。
最初は、それで自分に気付いて少しでも成長してくれたらいいなぁとか、
こうやってリテラシーが向上していくのかなぁとか、
むしろバカはバカで隔離して行けて便利だなぁとか思ってましたけど、
最近はちょっとなんだろう、そんなに素直に思わなくなってきました。
最後に残されていたニコニコ動画での公開も始まったし、もう感想書いても良いかな。
日本の我慢と過疎問題: 切込隊長BLOG(ブログ) Lead‐off man’s Blog
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復旧までしばしお待ちください。
原発を推進せよ、とは言わない。怖いし。僕だって嫌だ。
でもその前にきちんと考えてくれ。原発を今全部止めて何が起きるのかを。
言うべきことは、「今すぐ原発を止めるべき」なのかどうかを。
理想を掲げるのは良いことだけれど、現実とあまりにかけ離れた理想が、
本当にエネルギーを持ち得るのか、それが社会を変えられるのかについてもっと考えてくれ。
不自由を強制され恐怖を浴びせかけられる日常は随分とストレスフルだろう。
でも、そのストレスに任せて真面目なふりをして声をでかくすれば物事が解決するわけじゃあない。
ストレスに任せて「原発はもう要らない、今すぐ止めろ」ということと、
今後どうしていくかという話が全く結び付かないんだと言うことを解ってくれ。
それで良いんだったらいくらでも何でも言えばいい。解決にはならないがストレス発散にはなるだろう。
それはそれで大事なことだ。
でもそこまでやる気があるのなら、その一歩先のことも考えよう。
原発を全て止めるためにすべきことは何なのか?デモを繰り返せば止めてもらえるのか?