Steve Jobsが亡くなりました。
…何か、思うことを書こうと思ったのですけど、ないのですよね、正直。
別にApple製品が嫌いとかそういうわけではないのですけど、あまり縁無く生きてきたので、想い出もあまりなく。
自分とApple製品の繋がりって、考えても3つくらいしかない。
数学教室で数学演算の実演のための教材としてMacintoshに触れた(1993-95年頃)
一時、業務を手伝っていた事務所で作業用としてG4(かもしかするとG3)を使用した(2002年頃)
自分自身の携帯端末としてiPhone 4を使用(2010年~)
iPhoneを自分自身で使うようになってから、その製品に込められた文化の奥行きに日々多くのことを感じているのだけど、でもまぁそれが、Appleというものなのか、Jobsなのか、後期Jobsというやつなのか、最近のAppleなのか、むしろ今までとは変節した結果なのか…なんてことはよくわからなくて、今自分自身が持っているこの端末について感動していても、Apple全体やSteve Jobs個人には特に感想はないっていう。
ただまぁ、なんだろう、お悔やみや感慨に満ちるタイムラインを眺めていて「まぁ、俺、Appleに関心なんかないし」とわざわざ書くのも止めよう思ったのですね。本当に関心がないなら書かないし、タイムラインがそれに満ちているからと言ってわざわざ「俺はお前らとは違うぜ」みたいなこと言う必要もないなというね。と言って別に批判があるわけでもないし。それなら黙ってようと。ってああ、ブログは書いてるけど、タイトル避け。
僕の場合、関心は大いにあったんです。でもよく知らないんです。
そうだなぁ…感覚としては、出会いが間に合わなかった、という感じ。昔は主に悪い評判を、最近は主に良い評判を良く聞いていて、自作に拘ることなくMacに全て移行するのも有りだなぁとiPhoneを手にしたときから思っていたのですが、間に合わなかった。思い立ってすぐに買えるなら良いんですけどね。なかなかそう軽やかステップで行けるようなお財布ではないので。財布自体は軽いけど。うるさいわ。
だから、逆説的かも知れないけど、僕はとても残念なのです。Apple社が無くなるわけではないし、MacもiPhoneもiPadもこれからも開発され販売されていきますけど、僕がSteve Jobsに出会うチャンスは無くなるのかも知れないなぁと。いやわかりませんけどね。遺したものが大きくていつでもSteve Jobsを感じるかも知れませんけどね。Apple社さえ元気なら大丈夫とか。それもなんかなぁ。
人が亡くなるのは、人がいなくなるということなのだよなぁ、と最近は良く感じます。
Apple – Remembering Steve Jobs
Perl does not belong to any one of you, or me, or Mr. Tetsuya Kitahata or his company. It does not belong to even Larry Wall himself. Perl belongs to ALL OF US. And I am gratified to find it is now officially acknowledged in Japan.