今日の夢二本立て(2011/07/03)
1本目。 彼女の実家から電話で、トイレを借りたときにどうやら僕が汚したようなので掃除をするようにという連絡。 いや、おかあさんは全然そんな人ではないので、完全に僕の創作なんですけど、 しかしなんだろう、どこかでそういうのを気にしてるんだろうかという。小心者だなぁ。 2本目。 会社からメールで連絡で、有休が余ってる人は返却するようにと言うお達し。 特に僕は普段からよく有休使ってるしこれ以上使うと立場上アレだから返しておいた方がいいんじゃね?的な。 もちろん、うちの会社はそんなことを言うような会社ではなくて、きちんと自分で仕事に整理つけてれば、 ある程度きちんと有休も取れるのだけど(実際には周囲との交渉が面倒で採ってない人は多い)、 どっかで自分的にきにしてたんだろうかという。小心者だなぁ。 それで目が覚めて、ちょっとぼーっとしていて、 いかん、もう1時間も経った(ような気がする!)と思って飛び起きたらば、 全然そんなことはなくて15分しか経ってなかった。 小心者だなぁ。
Tumblr Thumbnailsを更新しました。
というわけで本日(6/28)、Tweet ATOKの2.5.0がリリースされました。
Instagramのおかげで色んな人の色んな綺麗な写真が見れるようになったのは嬉しいし、
楽しいことの方が多いのだけど、率直に言ってフィルターそんなに掛けなくて良いよ。
確かにフィルター掛けるとお洒落っぽく見える気がするのだけど、
料理で言うと、印象を際出せるためにとにかく味付けを濃くしている状態。
塩を足したり砂糖を足したりみりんを足したり…そして最後に旨み調味料たっぷり。
それで何でもかんでも美味しくなるわけではないし、大体の場合、くどい。
写真には本来の味ってのがあり、日常のポートレイトにはふんだんにそれがあるはずで、
フィルターがなければそれを表現するために構図や明るさや色んな工夫をするんだけど、
あとで印象を上書きすればいいやとなるとそういう工夫をしなくなっちゃう。
で、写真は一見お洒落だけどその実、ただ色調だけが際だつバランスの悪い写真に。
「フィルター」自体は銀塩時代からあるものだけど、
とりあえず撮って見られるようにすると言う発想ではなくて、あくまで表現方法の選択だったはずで。
Instagramのフィルターをそうやって上手く使っている人もいるけれど、大体は、
あまりにフィルターが便利すぎて、逆に表現を考えなくなっているなあと。
まぁ考え方としては、「構図を考える」ということ自体がもう時代遅れなのかも知れないけどね。
写真の出来は、撮ったあとに整える時代なのかな。
(ピント合わせをあとから変える技術も発表されてたし)
僕は違うと思ってるんだけどなー

