「けいおん!でバンドブームとかやめてほしい、おたくキモい」と友人は言った
古い友人と久々に再会した場合、同窓会とかでたくさん人がいる中でちょっと会話するくらいだったら違和感を感じないのですけど、ある程度深いところまで知るとなると自分が知っていた友人とは全く違う姿が見えて驚くことがあります。いや、小学校以来って20年以上ぶりなんだから自分の記憶の中の友人と結び付かなくったってなんの不思議もないのですけど、やっぱねそういうのあるじゃないですか。会わない間は進まない時計、みたいな感覚。 僕が小学校、中学校の頃というとバンドブームが終わり頃で、学年の突っ張ったヤツがバンド組んで盛り上がったりしてたもんですけど、そういうのは実際にバンドを組んでいたヤツ以外にも結構影響をもたらすもので、後年になってバンドを組んで活動してるって人が結構たくさんいます。もちろん殆どはアマチュアですが、セミプロ的な人もいたりとか。その中の1人がタイトルのようなことをがっつりmixiの日記かなんかに書いてて、色んな意味でクラクラしたのでした。 まず1つ目、その友人が小学校時代はとても大人しい友人だったのですね。気弱とか物静かとかそう言うのとは違って、どちらかというと優等生側にいるような感じ。常に生徒会に入ってるとかそういう系統の。常に良識があり明るくまっすぐな感じの印象を持っていたので、久々に見たテキストがそれであれこんなやつだったっけと。 次に2つ目、「今どきの若者は」的なおっさんの痛さ。確かに僕らの年代では「アニメをきっかけに音楽を始める」なんて事はなかったです。人間的にどうこうじゃなく、そもそもそういうアニメが存在してなかったですからね。その代わりに僕らにはちょっと有名になったバンドとかアイドルとかが存在してました。ああ、楽器弾いて人前で演奏するのって格好いいなあという感覚。自分もちょっとやったらやれそうな感覚。形式が違うだけで音楽を始めるのに必要な、音楽の素晴らしさや演奏の楽しさは同じように含まれてるわけです。偶像崇拝的な意味も。それを立て付けが違うだけで「きもい」と描写してしまう感受性の低さ。自己認識力の低さ。 最後に3つ目、自身の感情を超えた他人に強制する嫌悪感を公に書いてしまうと言う見識。「けいおん!でバンドブームとかやめてほしい、おたくキモい」と思うのは勝手ですよ。それは止められないですし。だけど、その思いからバンドを組むのは止めろに結び付く過程がよく解らない。それは単純に傲慢なのでは?キミはどんな立派な理由があってバンド活動をしているの?きっかけはどうあれ、音楽が好きで演奏することが歌うことが好きなんだったら、自由にバンド活動をすれば良いじゃない。大体、他人がどんなきっかけでバンド活動を始めるかなんかどうでも良いことじゃないか。 僕自身が「けいおん!」が好きだというのも、僕がその友人の日記に嫌悪感を抱いた理由ではあるけれど、仮に方向性として「けいおん!」のどこが音楽漫画なんだよとか、「ガールズバンドならともかくお前ら関係ないだろ」とか、だったらまだ解るのですけどね。だって認めざるを得ないし。だけど「サブカルチャー」に属するものが「メジャー」に影響を与えた、その結果に対して「オタクきもい」としか反応できないヤツはやっぱり脳の退化が始まってると思うのですよね。 それで嫌悪感を抱いてそれ以来その友人の日記は見ていませんが、今もドヤ顔で書いてるんでしょうかね。と気になって見てみたら8月までで更新は止まっててときおりバンド活動の報告があって、日々の生活のリフレッシュになってたり「バンドの方向性」について悩んでたり、自分の好みの音楽について考えてたり、なにやら楽しそう。ああ、キミが解ってないだけで、僕らの20個下の子達も、同じように好きな音楽に足を踏み入れたんだよ。「アニメがきっかけで」なんていう立て付けを気にしてそんな子達の喜びに目を向けられないのは不幸なことだと思う。音楽は楽しいんだよ。知ってるだろ?