自分の状態がよく分かんない

こんにちは、isです。 このエントリは「元気?」というぼんやりした自問自答をテキストに書き起こしてみたものなので、まああんまり読んでもねえという感じのテキストです。僕にしかわからない心象描写をなるべくわかりやすく書き換えたりしてはいますが、あんまり読んで面白いものでは無いような気がします。楽しくなるもんではないのでー

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「何もやる気が起きない」って大事なのな、と思いました。

昔から「真面目だね」と言われる反面、とても怠惰な人間であることを自覚していまして、放っておくと油断してなにもしないとか夕方まで寝てるとかしてしまう人間であり、どうしても必要でそれを実行しないと自分が凄い困るという場面でもヤケになって放り投げてしまうことがある、そんな不可解な人間であります。自分。 これまで幾度もそういう自分に困らされてきたので、「そういう思考=怠けている」と判断してきたのですけど、なんというかなー、確かにその通りである可能性が7割あるとしても、それが自分からの「サイン」であることもあるのですよね。怠けようとしている自分を叱咤激励して前に進むことが良いときもあれば、「やりたくない」「やりたい」という感情を優先させた方が結果的に良い結果に近付くこともあります。頑張って突き進むことに合理性があったとしても、自分自身が「やりたくない」と感じることには幾ばくかの自分的「直感」が含まれていて、そこには単に「めんどくさい」「怠けたい」だけではない、自分の経験に基づく自分の資質や性格に対する判断もあって、すべて「どうせお前怠けたいんだろ」で排除出来ることではないのだと。 要は何を前にそう感じているのかを考えることが大事で、自分を律して努力し続けることは大事であったにしても、常にそれを強要するのはしんどい。それが「怠惰」に見える感情であっても根本的な部分では自分を信用してあげるべきで、その上で必要かどうかを考えると良いかなあと。自分を信じることをせずにムチを打ち続けると、感情が理性から独立していってしまって、逆に自分を律するのが難しくなってしまう。「やりたいかどうか」というのはすべての根本にあってそれを騙したり変えたりすることなく、それでいてうまく社会で暮らすようになっていかないとなーと思いましたです。 当たり前の話のように、自分で書いていても思うんですけどね。 自分としてはこの話が「一周回った話」であることが大事だったりします。

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毎日散歩をしようと思う。料理をしようと思う。

というわけで、休業生活2日目です。 昨日は家事あれこれやら、心の準備やら、物理的な片付けやらなんやらで過ぎました。ただ貸与PC内のプライベートな情報やら、作業場に残していた私物やらを無事撤収出来てだいぶ気が楽になった感じがします。行くのは相当気が重かったんですけど、パートナーに同行してもらいつつ、その後に知り合いのお店に行って乾杯するという餌で自分を釣ることで何とか。 心の状態ですが、正直言ってそんなにきつい状態ではないと思います。日常生活に支障を来しているわけではないし。ただ混迷を深めている「プロジェクト」のことを考えるとやはりぐぐぐと来るものがあり、そこに接点があるものから逃げたくなるので、もし、あのまま続けていたらば、酷いことになっていたろうなあとも思います。会社自体にはそれほど嫌な印象はないのですけど、あの「プロジェクト」が社内に残り続ける限りは復職は難しいなあ。やっぱねえ、窓のない9畳の部屋で毎日叱られ続けるとか、そんなことしたらあかんよ。死んじゃう。

さて、何をしようかな?

でで、とっても暇な無職生活(労災おりるか解らんので暫定無給)なんですけれど、毎日なにをしようかなーと思うのです。1ヶ月なんてあっという間だし、何もしなければ何もしないまま過ぎます。復職するにせよ転職するにせよ、パワーアップして戻りたいじゃないですか。以前の自分ではなくて新しい自分で復帰したい。サッカー選手の場合だと、例えば足首の故障で離脱中に体幹を鍛えてフィジカルを成長させてピッチに戻るなんてのがあります。ドルトムント時代、怪我から復帰した後の香川真司とか。半月板損傷後の本田圭佑とか。 もちろん焦るのは良くない。パワーアップったって「何をどうしたいんだ?」と言う自分の気持ちがベースになるわけで、そこんところが上手く回転しないんだったらパワーアップもへったくれも無いわけでね。ただ空回りするだけ。でもせっかく、小学校の夏休み以来の「手放しで許可された休養1ヶ月」なわけで、慌てながら無為に過ごしたくもない。そういうわけで、自分に2つだけ課題を課すことにしました。
  • 毎日、散歩をして色んな場所で読書をする
  • 毎日、何か新しい料理を作る
読書の方は幸い、積ん読が随分溜まってます。持って出る本には事欠かない。まあ、こういうときって大抵、1冊持って出て3冊になって帰ってきたりするんですけど、まあとにかく読む本はある。時間と気力が無かったけどそれも今はある。 料理の方は「共働きである」という家庭の事情もあるのですけど、それが自分の趣味の1つでもあるし、同時に「たまに料理する人」の領域から出てないというジレンマもあり、ちょっと気合い入れてやってみようかなと。「生地を練る」とか挑戦したいと思いながらしてなかったけど、それも今ならできるし。 「あの1ヶ月がね」とポジティブに振り返れるような時間にしたいですね。うん。

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【近況】 1ヶ月間、休職することにしました。

「廣川」の鰻 なんとなくの精神的な不調は3月頃から続いていたのですが、最近いよいよしんどくなってきていて、質問されても答えられない(頭の中が真っ白になる)、要求を満たした成果物を作れない(能力が低いだけでなく集中力も無い。これまで以上にミスが多い)といった仕事面だけでなく、仕事のことを考えると胸が苦しくなったり冷や汗をかいたり、家に帰って気がつくと何時間も経ってたりといったことが起きていて、パートナーの「心配だから一度病院に」という勧めで近所の病院へ。 なるべく大げさにならないように事情説明したらば先生一言。

「なるほどーこれは鬱ですねえ。原因はっきりしてますし、一度仕事離れて休んでください。診断書書いておきますね」
えーと、自分的には、そこまであっさり言われると思ってなかったんで「えっいいの」って感じ。休んでもいいんだろうか。みんなに超絶迷惑掛けるけど。いいんだろうか。 まあでも強がってみても、仕事のことを考えるとなにも考えられなくなるのは変わってないし、ていうかもう作業場方面に行ける気しないし、このまま働き続けても良くなりそうに無いし、結局その診断書を持って会社へ。上司、というか社長に相談したら、「ああ、気づけなかった…」みたいな感じで了承され。「あとのことは大変なこともあるけど、どうしても困ったときに聞けるような連絡先だけ教えてくれればこっちで何とかする」と言ってもらえて、あっさり決定。 あー…プロジェクトのリーダーなんかじゃなく、さっさと社長に相談すれば良かったよ。社長と話してて、プロジェクトのリーダーが保身のために結構「ふいてる」ことがよく解ったし、会社と僕をお互いに分断することで、それぞれに都合のいいことを吹き込もうとしてたのもよく解った。僕への明らかに能力を超えると解る要求には、一部、自分自身の作業の遅れに対するスケープゴート的な面もあったのね。あいつのせいで遅れてるんすよ的な。ひでえな。 ともあれ、決めたのでね。1ヶ月お休みです。しなくてはいけなかったこととか、やっぱり考えてしまうけど、もうそれは考えないようにして。「復職出来るようであればすればいいしして良いけど、復職ありきだとしんどいからとりあえずゼロベースで様子見たら良いよ」とも言ってもらえたんで、すこしゆっくりしようと思います。自分がこんなことになるとは思いませんでしたけどね…なにが起きるかわからんもんです。 ※写真には特に意味はありません。なんか自分が癒やされるものを置きたかっただけです。

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言葉の持つ力、その怖さ

最近、仕事における自分の不甲斐ない成果に対して毎日怒られ続けるという生活をしています。「人間性の話ではなくて仕事の結果だけの話だから」という前置き付きで、人間性を延々となじられるという生活です。 自分の能力に問題があるとは言え、正直しんどい。 僕をなじる言葉の半分くらいは、僕という人間を理解したと誤解して一方的に組み立てられた言葉で、それに対して反発するとなじる時間が倍になることが解っているので僕は黙っています。そうではないよ、と心の中で呟きながら黙っているのですが、繰り返しぶつけられる言葉の力は決して弱くない。そうではないよ、と思っていても気がつくと僕の心の中に侵入しています。その通りの人間に思えてくる。

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父親と病気

父は63歳。今年64歳になります。 1日2箱くらいの喫煙者で、酒は飲みません。 父は昔から殆ど病気をしない人で、10年に1回くらい風邪を引いて「鬼の霍乱」なんつて言ったもんでしたが、去年、胆嚢炎(胆石)をやりましてね。といっても命に関わるようなものでは無く、少し入院しただけで退院出来たのですが、そこで睡眠の不規則さや食生活の不摂生さを強く指摘されたのが応えたのか、それまでがあまりに健康だったからなのか、途端に弱気になってしまいました。以来、少し体調が良くないと「病気じゃないか」。 今年の年明けにも少し風邪をこじらせたことがありました。同居しているわけではないので詳しい症状までは解りませんが、電話越しには元気そうでしたし、母親の話では大したことないとのことだったのであまり心配していませんでした。ところがなかなか咳が治まらない。そして曰く「癌じゃないか」。自分の父親(祖父)を肺がんで亡くし、自分自身も喫煙者であるという「負い目」や肺がんに対する「恐怖」のようなものがあるのかも知れません。 病気し慣れない人が急に病気すると弱気になったりするもんなんでしょうか?母親の方は僕が子どもの頃からずっと喘息を患っている上、血圧など良くないところもたくさんあって苦労しているので、自分自身のことであってもそれほど慌てないのですが、慣れてないというのはそういうことかも知れません。いや、健康であることに越したことは無いので、どっちが良いのかは微妙なところではあるのですけど。 結局、MRI、血液検査を行った結果、肺がんでも結核でもなく、抗生物質を投与されて2週間ほど禁煙したら治りました。抗生物質が強すぎて肝臓に負担が掛かり、医師に変更してもらうというハプニングはありましたが、まあ「大したことはない」。入院もしなかったですしね。父親ももう若いわけではないので1つや2つ病気の経験も出来て当然だし、そういうことが起きたとしても冷静でいて欲しいなあと思うのですが…なんかこう、突発的なことが起きたとき、それに慌ててしまう、パニックになってしまう、ネガティブになってしまうというのがそのまま自分を見ているようにも思えて、少し苦笑い。仕方ないんだろうなあ。 いつまでも若いと思っていた父親も、歳を取ったのだなあ、と少し寂しく感じた出来事でした。

追記:病気で弱気になっているときの精神状態

単純にネガティブに、鬱になっていくのかなと思っていたら案外そうでもなく、父親の場合はどちらかというと「躁鬱」っぽい感じになっていくようです。暗くふさぎ込んでいたかと思ったら、「精を付けるために焼肉食べに行こう!」と言いだしてみたり。機嫌が悪くなったり、良くなったり。原発のことについてよく解らないネガティブなことを書いていたのもこのせいかもしれないなあ。母親に禁煙を促されて「今までに見たこと無いくらい」怒ったのも、そのせいかも。 まあ、煙草は単純に止めれば良いと思いますけどね。胆嚢にも悪いし。

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頑張ってるのに頑張れって言われたら

昨日の深夜、TLにそんなツイートがあったので。 「圧力になるから言うな」「応援は感謝すべき」など、 この件については色んな人が色んなことを言いますが、僕はこう思っています。

頑張ってるのに「頑張って」と言われたときに取るべきリアクションはオリンピック選手が教えてくれたと思うんですよね。オリンピック選手、それから一流選手(特にメジャースポーツのプロ選手)、彼らのドキュメンタリを読むとやっぱり同じことで悩んだ経験があるみたいです。彼らは頑張っても頑張っても「頑張れ」って言われる。頑張って大舞台に出れば出るほど多くの「頑張れ」をもらう。もうこれ以上頑張れないというほどの努力をして臨んだとしても。 じゃあ彼らはそれに毎回反発しているか、それで負けてしまうかというと、そうじゃないですよね。彼らはそんな「頑張れ」に対して「ありがとう」と返します。その「ありがとう」は無視じゃない。上っ面な取り繕いでもない。単純な「応援してくれるのはありがたい」ということとも違う。何か「ありがとう」と伝えることで「頑張れ」をエネルギーに変えられる魔法のようなものだと思うんです。 だから「頑張れ」と言った相手とは関係無く、自分のためにも「ありがとう」って返そうと僕は思っています。オリンピック選手やプロ選手は「頑張ってるのに」の先にある何かを知ってるんですよきっと。それがきっと彼らのエネルギーになっているんだと僕は思います。 ありがとう。

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システムを便利にすればするほど作業者の能力が劣化するというジレンマ

肉中心のお総菜 至極当然なのですけれどね。 今現在、すべて頭で記憶しその記憶を元に手を動かしてしている作業があったとします。例えば特定のお客様を記憶しておき、そのお客様からの注文の場合には必ず領収書を封入するとか、昼間は受け取ってくれないことが多いので何も指定が無くても夜指定で出荷するとか。もっと単純に「今日のランチメニュー」がなにか把握するとか。こうした作業は、担当者が十分に優秀であり、かついつも通りのパフォーマンスを発揮できる状態であれば特に問題は起きませんが、どちらかが欠けた場合には必ずミスに結び付くため業務フロー上のリスクとなります。 このリスクを減らすためには、自動化するなりリマインダ機能を付けるなりして人間が記憶しなくてはならないことを減らし、誰がやっても滞りなく作業できるような形へ持って行くことが必要です。業務フローの設計としてはそれで合格点であり、完了であり、計画通りに進めば確実に良い結果に到達するはずなのですが、機械とは違って人間相手の最適化ってのはなかなかそう上手くいきません。

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【蛇足】 農業や漁業、畜産を論じる一部の人たちに感じる「視線」

一つ前のエントリのおまけです。 蛇足として書いていたのですがあまりに蛇足なので一つのエントリとして分けました。 農作物や海産物、畜産の安全性について調べていると現行システムを否定する人の中にある種の「視線」を感じることがあります。それは何かというと、

あいつらどうせ学もないしアホだから儲かるためには何でもやるぜ
という差別思想です。 本人達が気付いているかどうか解りませんが、どうも、一次産業に従事する人間に対して、こいつら信用できねえと思っている節があります。どうせ高卒だろとか、安全性よりも利益率を優先してるんだろとか、自分が何を餌にしているかも解ってないんだろとか、そういう概念というか前提というか。ステレオタイプだけで「信用しない」と決めてしまっている。 自分が付き合いのある漁師さんを考えると、まぁ確かにそういう人もいないことはないですよ。漁から帰ってきて午後イチには酔ってることもあります。でも自分の仕事に対しては、どの人も真面目により良いもの(安全で美味なもの)を食べる人に届けようと一生懸命です。自身に化学的な素養は無いかも知れませんが、漁協が講習会を行うなどして知識の共有を図っていて、自分が何をしているかは知っています。 現行システムを批判することに熱心な人に、そういう差別思想が根付いてしまっていることに(そんでそれに気付いていないことに)すごい不安を感じるんですよね。そんなことで良いんですかね?根拠のない不信を批判に繋げるようなことは、止めた方が良いと思うのですけどね。感情がそれをせよと働きかけてくるのならば、努力してその感情をコントロールできるようになって下さい。話はそれからでしょう。

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「最近の若者」はクールで大人しく言葉が足りないのか

先々週(5/10)発売になったNumberは「若者特集」。今期ドイツで大活躍した香川真司(23)を切り口に、多くの若者が世界を目指している姿を描いたもので、「またサッカーか」という思いはありつつもそれでもやはり面白い。自分ももう35歳だし、社会に出ている人間にも自分より下の人間がかなりの割合になってきて(しかもうちの会社は平均年齢が30未満だ)、「自分とは違う」と思いつつあるので割合に興味深く読んでいます。 で、このエントリはNumberの「読書感想文」ではありません。 そうではなくて、Numberの中のある1つの記事を読んでとっても違和感を感じたので。

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