NOBODY ORIGINAL
NOBODY:PLACEがblogになって9ヶ月余り。 昔より、過去の文章を読むのが容易になった。 だからたまに振り返る。 1年前の今日は、僕は何を言っていたんだろう… 2年前は?3年前は? 1年前は、失恋の痛みを必死で振り払おうとしていた。 と、同時に、 自分の周りにあるモノを現実的に見つめ始めていた。 2年前は、ひたすらに自分の内的分析と外的関係(コミュニケーション)について考えていた。 3年前は、デザインにはまってましたね。 僕にとってこのサイトはいつでも大きな存在で。 『近況でもお知らせしますよ』なんていう程度のモノでは決してないし、 あらゆること、人間的なことや、自分の技術的なことや、感性的な部分や、 そうした全ての面で僕自身をアピールする、履歴のようなもの。 僕は決してそう望んでいるわけではないのだけど、 僕がその時感じることを、素直に書き記してきたらこうなっていた、 ただそれだけのことだ。 それ以上ではないし、それ以下でもない。 後は、読む人間が決めることだ。 僕にとって、NOBODY:PLACE、そしてMUTTERの本来の姿とは何なのだろう? blogという形態をとることによって生じたもう一つの影響は、 どうでもいいようなことで、サイトを埋めるようになったことだ。 時事問題然り。新製品然り。 もちろん、それ自体に対する言葉は、確かに僕自身が感じたことで、 確かに僕の一部ではある、 でも、その多くは使い捨て、なのだ。 僕自身はそれを読み、そこに息づく自分の感性を感じることが出来るけれど、 これを読む友人達は、どうなのか。 僕は別にニュースサイトなんか運営したくはないわけだし。 僕はこれを読む、『あなた』に対して、 今、ぴったりの言葉を届けたい。 そして、その『あなた』というのは、多くの場合、僕自身のことだ。 このサイトにとって… 本来、読者というのはいないものなのだ。 それは決して、自慰的な、自分をさらすような、メモのような、そういうサイトと言うことではなくて、 見られていることを知っていながら、無視し続ける。 それはある意味で僕の生き方の一つでもあるし、 人との付き合い方でもある。 そして、逆説的になるけれど、 非常に大事なモノは、絶対に無視しない。 MUTTERはそういう考え方、そのものだ。 振り返って読み返すとき、 そうした想いが、今、希薄になってきているような気がした。 全ての人たちに、公平に、愛想良く、明るく、接することが出来る自分がいる。 僕は、そういう自分が、好きだ。 でも、公平というのは、全て同じということだ。 僕は、特別なものを、本当に大事にしているだろうか。 それを感じられない、気がする。 …そうか。 ここまで書いて、少し自分で自分に騙されていたことに気付いた。 僕は、数多くの文章を公開することで、 自分の想いを、隠していたんだな。 そんなことを暴露して良いのかどうか、よく分からないけど、 木を隠すなら森に。 最近の様々な読者の感想を、直接・間接的にいただいて、 果たして自分の伝えたいことが伝わっているんだろうか?と疑問に感じていた、 『is-You』から都合7年ほど続けてきたこのサイトの意味を失っているんじゃないかと、 少し不安になってきていた。 でも考えてみれば、 別に、伝わらない人には伝わらなくって良いんである。 こんな事書いたらまたブーイングだけど、 時事問題や、新製品のニュースを見て楽しんでくれる人もいて良いし、 僕の、本当にコアな、想いに対して、 真摯に反応してくれる人がいても良いわけだ。 ここを見る人が、過去ログをすべて読むような暇人なわけでもないわけだし。 (DIARYと合わせて3,200件を突破した) 楽しんでくれる人には、Helloを。 真摯にとらえてくれる人には、ThankYouを。 ここは、NOBODY:PLACE。 誰のものでもない場所。 見る人によって、見える景色はきっと違う、 見えているものは、その場所ではなく、 あなた自身の、心の風景なのだ。