ウエスタンコナーズ号について僕が語るたった1つのこと

1998年から1999年に掛けて僕は「ウエスタンコナーズ号」という馬に乗って馬術大会に出場していました。



ウエスタンコナーズ号は1978年生まれの元競走馬(セン馬)で、現役時代は3歳時に京都4歳特別(ダービーの前哨戦)で2着になって将来を嘱望されたものの、屈腱炎を発症して4歳で引退しました。


ウエスタンコナーズ | 競走馬データ – netkeiba.com


僕が責任者になった時点で既に20歳と高齢であり、古傷の屈腱炎のために並足の歩様が固いほか、長年の乗馬生活によって腰を痛めていて無理をするとすぐに跛行するという状態でした。ダイナミックさには欠けるものの器用で歩様が綺麗でかつ騎手に対して従順、コンディションが整い騎手がしっかりしていればそれなりの成績を残せるということで長く期待されていた馬だったのですが、春はコンディションが良いけれど冬場と夏場は調子を落としやすく、歴代の名手が担当しても満足に試合に出場出来ない、良い成績も収められないということを繰り返していた馬でした。

現実的に考えれば担当者として「旨味」のある馬ではありませんでしたが、僕はなぜか彼と入部時から文字通り「ウマ」が合い、自分が最上回生で乗るならウエスタンコナーズ号と決めていて、その通りになったのでした。決まった時は嬉しかったなあ。



僕が語るたったひとつのこと

油断すると長く思い出を書いたり、偉そうに何かを語ったりしてしまいそうなので本題に入ります。僕が責任者のときに考えていたただ1つのこと、それはこれです。


  • ウエスタンコナーズ号で練習をしない。極力、動かさない。


通常、馬乗りというものは馬に乗った回数をもって比較されます。個人差はありますが、特に大学入学後に馬術を始めた人間にとっては、とにかく数に乗ることこそが上達の早道です。最上回生になり自分の担当馬を持ったときに誰もが考えることは、「この馬と一緒に成長して良い成績を収めること」です。もちろんコンビによって馬の方が上だったり騎手の方が上だったりしますが、ともあれ毎日ともに汗を流すことによってお互いに能力を上げて行き試合を目指すわけです。それを疑う人はいないでしょう。

また、人間に置き換えるとわかることですが、ずっと馬房の中にいると馬はどんどん動けなくなります。乗馬運動をしないまでも引き馬をしたり、調馬策を使って運動させたりといったことが必要です。高齢の馬の場合には油断するとすぐに筋肉が固くなると言われており、長い引き馬や、長い並足運動が推奨されていました。これも疑った人は恐らくいないでしょう。


で、僕はそれを信じませんでした。


僕よりはるかに上手な騎手も含めた過去の成績を振り返ってみると、騎手の実力を確かめるような練習試合や、春先の前哨戦で良い成績を収めながら、本番直前にコンディションを崩して本番では数字を落とすということの繰り返しでした。どの先輩も決して良くないことをしたわけではありません。真面目でしたし、馬術のことを熱心に考えて熱心に行動するタイプでした。でも最後には必ず失敗する。結局のところ、僕ら人間が普通だと思っている普段の練習が高齢の(そして古傷がある)彼にとっては負担だったということだと思うのです。

「筋肉が固くなる」とも言われましたが、実際に試してみてそれが運動不足によるものか、冬の気温によるものかは判然としませんでした。もちろん人間で言うところの「フレイル予防」は必ず必要で完全に寝たきりはNGですが、でも例えば1週間かそこら本運動を休んだところで馬の実力はもう下がりません。乗馬の調教というのはとてもセンシティブで本来は毎日のメンテナンスが超重要です。でも彼はそんなめちゃくちゃセンシティブな高みにいるわけじゃないし、肉体的にも精神的にもかなりの高齢。動けないぐらいの痛みがない状態でハミをしっかり受けられれば、いつも同じ実力が出せました。毎日外に出すのは、言ってみれば精神的な健康のためであってフィジカルの増進への寄与は少ない。

ウエスタンコナーズ号に対する僕の捉え方はこの通りで、実際、その通りだったと思っています。


正直言って誰にも理解されなかったし、今でも理解されないと思いますが、同じ課目(学生章典 1997)で試合に挑んだ先輩・後輩の成績と比較すれば最適なコンディショニングとはなんだったかというのは明らかなんじゃないかなと。めちゃくちゃに層が厚い年だったおかげで全国大会には届かなかったものの、翌年であれば関西4位に相当する成績でしたしね。



もう1つ誤解されていたこと

馬場馬術をこなす上でウエスタンコナーズ号には出来ないと思われていたことがありました。


  • 踏歩変換ができない
  • ピルーエットができない


前者は加齢による筋肉不足で高くジャンプすることができないため、後者は後足の足さばきが不器用だったためですが、でも実際にはどちらも加点を期待できるほどではないにせよ、出来ました。

ただ彼独特のコツがあって、踏歩変換に関しては実際に踏歩を変える1歩半前に扶助を開始すること(普通は1歩から半歩前ぐらいですよね)。どこで踏歩を変えれば良いかは馬が知っているので、そのポイントに向かってジワッと圧を掛けながら準備の時間を取ってあげれば、彼はすんなり踏歩を変えることが出来ました。先輩には「出来ないから」と言われており後輩にも伝えていないので、たぶん、僕しか知らないんじゃないかと思います。僕は試合で失敗したことがありません。

ピルーエットに関しては試合でもよく減点されましたが、ようは扶助の問題、騎手の問題です。ピルーエットはその場で止まって回転するのではなく、あくまで足踏みなので、基本的には並足と同じ扶助です。それをハミ受けとバランスで調整するわけですけど、並足があんまり得意じゃないウエスタンコナーズ号は扶助を弱めるとすぐサボったので、減点されているときは大概それでした。じいさんに見えて案外足は器用だったんです。騎手の技術不足を馬のせいにしてはいけない。



今にフィードバックできることがあるとすれば

人間本位で動いて良い結果になるとは限らない、ということです。


人間が不安の解消のために取る行動を、「真面目に考えた結果」「やらなければならないことをやっている」などと考えるのが常に正しいとは限りません。僕自身は決して褒められた馬術部員ではなく、騎手としての実力も大したことありませんでしたが、それでも考えることだけは必死にやったつもりです。そしてそれは今も同じです。実力が伴わない、周りよりも劣っている中で自分に出来るベストは何なのか?「正しい」とされていることが本当に正しいかどうか、正しいとしてもベストなのかどうか。本当に見るべきものは何なのか?


ウエスタンコナーズ号が亡くなってからもう20年近くが立ちますが、彼とは周囲が思っている以上にたくさんの会話をしました。僕以上に彼を理解していた人間はいないと、僕は今でも思っています。



付記

このテーマはこれまで何度も書こうと思っては止めてきたテーマでした。それは僕の4年間には褒められた態度ではない時期や責任を放棄した(ように見える)時期があって、先輩、同輩、後輩から馬乗りとしてリスペクトされていないとずっと感じていたからです。今思えばその時期は僕の人生における最初の「抑鬱期間」だったような気がしますが、当時は周りも僕自身も「やる気のないヤツ」という評価であり、実際それが間違っていたとは思いません。相手が生きものですからね。

そんな僕が偉そうに何かを書くことは間違っていると考えて長いこと避けてきたのですが、最近ふと当時の話にまつわるものに触れる機会があって、馬術部員として何かを書くことは止めつつも「周りに違和感を感じて自分を貫き成果に結び付いた唯一のこと」に関してだけは少し書いても良いのかなと思うようになりました。そこに何か汎用的なことがあるわけではないし、人間としての実生活にフィードバックできる何かがあるかもわかりませんが、20年以上心に留め置いてきたことのうちひとつぐらいは書いても良いんじゃないかなと。


この記事はそういう極私的な感情の発露です。