相手に丸投げする魔法の言葉としての「よろしくお願いいたします」

挨拶をしているサラリーマンのイラスト
以前、こんな記事を書きました。


これ昔からすごい不思議だったんですけど、昼間行っている会社にはメールのやりとりでは最後に「よろしくお願いいたします」を付ける習慣があります。別に社内ルールがあるわけではなく、誰かがそうしようと言ったこともないはずなんですけど、今やみんながやってます。

何でも「よろしくお願いします」で締める文化 – NOBODY:PLACE


確か友達から説明的なコメントをもらったような気がするんですが、理由はどうあれ、たいして重要ではないのに無意識に付与している現状が気持ち悪いのは変わらないし、誰も疑問に思わずに今でも続いてます。ビジネスメールであっても、必要な言葉を必要なだけ書けば良いと僕は思うんですけどね。自分が書いている言葉の意味を考えなくなるのは、仕事する上であんまりよくない。記事内で書いたとおり、僕は本当に依頼したいとき以外は極力省くようにしてるんですけど、特にぞんざいな感じにもならず普通にやり取り出来てます。実際問題として送られてくるビジネスメールにだって書かれていないわけだから、というか、「よろしくお願いいたします。」より適切で丁寧な言い回しはいくらもあるわけだから、必要ないんですよ。無駄じゃん。わかってもらえないけど。



気付いた必要性:丸投げするため

とはいえ、今や別に会社を変えたいという気概もないし、やりたければ好きにやればと思ってほったらかしてたんですけど、最近受け取ったメールである意味「意味のある」使われ方をしていることに気付いてなんか「モヤ度」が上がりました。

メールの内容を詳しく書くわけにはいかないけど、メールの内容としてはある意味不具合の報告。緊急性はそれほど高くない。本来の手続きで言えば、そういう報告をまとめる担当者という人がいて、その人が開発部とのやりとりの窓口になっているのだけど、その報告メールは関係しそうな人を全部宛先に入れた上で、特に人を指定することなく、対応期限その他のリクエストも書くことなく、最後に「よろしくお願いいたします。」とだけ書いて終わり。

これってつまるところ、

なんか不具合あって上手く行かなくなっちゃったんですけど、よく分かんないんで報告しておきます。あとは任せるので誰か何とかして下さい。


っていう意味合いですよね。


報告くれた人は無責任な人ってわけではないので、そこまでの意図は無かっただろうとは思うんですけど、複数の宛先をつっこむのであれば誰にどんな対応をして欲しいか明らかにしないと、それを確認するコストが掛かるわけですよ。そういう意味で主体性がなくて、あとはよしなにお願いします感が否めない。言葉自体は丁寧なんですけどねえ。「よろしく」じゃないって。自分も当事者なんだから。

本来「よろしくお願いいたします。」は責任の移譲を示すための言葉だと思うんですよ。私はここまでやりました、この先はあなたがやってください。だから、責任の対象が曖昧だったり相手が曖昧だったりするとわけのわからないことになる。今回だって責任の所在を曖昧にしてるだけだから。やっぱり無意識に付けるの、良くないと思うんだよなあ。整った気になっちゃうけど全然整ってないからね。


仕事をする上でそういうの、大事だと思うんだけどなあ。