篦棒(べらぼう)な編集家による、篦棒な一冊。この言葉に偽り無し。
 

まさに。

篦棒な人々を紹介したこの本そのものが篦棒。

この本がどのくらい篦棒かについては、正直正しく伝える自信がないけれども、
個人的には特に康芳夫さんと、糸井貫二さんとに衝撃を受けた。


康さんについては、ネッシー捕獲探検隊やオリバー君、
その他多くの『興業』を手がけてきたその全てのモチベーションが、

『退屈だから』

という点が強く記憶に残っている。

確かに、第二次世界大戦と、その後の混乱し不安定な時代を生きてきた人にとっては、
その頃の時代が最高に面白く感じられ(実際にそうだったのだと思う)、
今の日本は平和で安定しているけれども退屈だ、となるのかもしれない。
僕だって、彼が指摘しているような、退屈を退屈と分からない人間の1人だと思うし、
康さんの衝動は分かるけど理解は出来ないだろうな、と思う。
そして、もし理解できても、康さんほどのスケールで退屈しのぎが出来るかも疑問だ。
せいぜい不平を口にする程度なんじゃないか。

今の時代に康さんのようなモチベーションを持つ人間ているかなぁ…
海外に移住する人なんかは似たような精神構造なのかもしれないけど、
日本で退屈をしのげる人はいないかもしれないな。

まだまだ長生きしていただいて、日本中を騒動に巻き込んで欲しいな。

たけくまメモ : 【篦棒な人々 1】「虚業家」康芳夫・抜粋


ダダカンこと糸井貫二さんについては、もう全く理解できないけれども。

とにかく、一番最初の写真のエネルギーが圧倒的だった。


(筆者サイトより引用)

意図はひとっつも分からない。
時代も場所も状況も分からないから、持っているメッセージの方向性も不確か。

それでも、この写真には明確なエネルギーがあって、
それはきっとダダカンにしか紡ぎ出せない形。
だからその意図何か全く理解できないけれども、
その全体を見て感じるものがあr…いや感じてることは分かるんだけど、
自分が何を感じてるかがよく分からない…

もうなんか何一つとして分からないけど、でもこの人には何かある…そう感じた、のかな。

70年代が本気で羨ましくなったよ。
当時はハプニングっていう表現手法はありふれてたのかもしれないし、
今よりある意味寛容で、ある意味不寛容な社会だったからこそ、
成り立ったのかもしれないけれども…
それでもダダカンが感じていた空気感を共有したかったなぁというのは思った。

たけくまメモ : 【篦棒な人々 4】「ダダカン」糸井貫二・抜粋

まさに篦棒。素晴らしい。

僕も篦棒な人間になりたいと思うけれども、
彼らのようになりたい、というのはきっと彼らとは違うんだろうなと思う。
彼らは彼らとしてそこにあり続けたということなんだよね、って言う。
それなら、僕も僕としてここにあり続けなくちゃいけないよね、って言う。


四人の偉人と、筆者の竹熊さんにリスペクト。

あ、それと絶版になっていた本書を文庫で復活させてくれた河出書房新社にも感謝を。