「捐」と「援」
「義捐金」と「義援金」は別なものなのかと思ったら、同じものなのですね。知りませんでした。 それどころか「ぎそんきん」って読んでたよ…ATOKで≪「ぎえんきん」の誤読≫と怒られた。 Wikipediaから歴史的経緯を引用するとこんな感じらしい。
出典があるわけではないので合ってるかどうかは不明ですが、もしこの通りだとすると、義捐金と義援金 [編集] 「義捐」(ぎえん)は明治時代につくられた和製漢語である。「義」は、正しい行い、もしくは公共のために力を尽くすことを意味し、「捐」は、すてる、すてさるの意である。すなわち「義捐金」は、正しい行いのため、公共のためにすてる金を意味する。戦後の国語改革で「捐」が当用漢字に採用されなかったため、「義えん金」と混ぜ書き表記する。一部で「義援金」という表記が見られるが、これは新聞協会による独自の基準で定めた代用表記である。夏目漱石の「吾輩は猫である」に、「義捐を取られる」と口にする苦沙弥先生を、猫が「変なことを言うものだ」と笑っている場面がある。
- 「義捐」という言葉が明治時代に作られる
- 戦後「捐」という言葉が当用漢字から外れて公の場面で使用できなくなる
- 「義えん金」と混ぜ書きが正しいが新聞では「義援金」を代用表記とした
- 何となくどれでも良いんじゃないの的な
寄付 – Wikipedia

初めに書いておくと、このエントリは「オワコン」っていう言葉がどうこうではなくて、
合理的に説明できないことってあるよね、というエントリです。
「オワコン」という言葉があります。
これは「終わったコンテンツ」の略だそうで意味としては、「(流行遅れになった/下火になった/人気がなくなったなどの理由で)需要がなくなり商品価値が著しく下がったもの」ぐらいの意味です。今年の夏くらいから流行始めたスラングみたい。
で、個人的にこれが妙にしっくりこない。なんか肌触りが良くない。
気になったので「なぜ自分がこの単語を嫌だと思うのか」を考えてみたのだけど、なんでしょうかね、どんな理屈を持ち出してみてもなんか全然説明できない。例えば「人を見下してるようなスラングが嫌い」「不必要に短縮してるのが嫌」とか言うと「あーあるある」という感じなんですが、でも別に「マジキチ」(マジでキチガイじみてるからやめろ)とかは全然問題ないので、理屈に合ってない。
「言いたいだけで意味がない単語が微妙」も考えましたが、そんなのいくらもあるからなぁ。確かに薄っぺらい英単語を並べる人をバカにしてるところはありますけど、バカだなぁと思うだけで別に嫌な気分になったりしない。この間も社内メールで最近知ったのであろうビジネス用語が、誰もちゃんと把握してない(日本語で訳せない)感じで流れてて大笑いしてしまいましたけど、不快とはちょっと違います。
いやそうじゃなくて「コンテンツに『終わった』と言うこと自体が嫌なんじゃね?」が残る可能性だけど、どうなんだろう。そういうのって実際にあるしなぁ。かつて見ていたアニメや流行ったドラマやゲームが廃れていったように、そして多分「初音ミク」も何年後かにそうなるように、長い短いはあるにせよコンテンツには「賞味期限」があるものだしね(消費期限はないけどね)。そりゃ仕方ないよね。
ま、そんなわけで1行目に戻る。
理由はないんだよなー。だから人に求めることは出来ないんで思ってるだけ。
多分なんかその「語感」が気に入らないんだと思います。
そういうことってあるよね?ないかな。
恥ずかしながら「戦略」(strategy)と「戦術」(tactics)の違いが理解できてなかったのでまとめ。