自分で調べるということ。

英語の勉強をする上で最も大事なことは、自分で調べること。
それも、ただ辞書と首っ引きではなく、その単語の意味を想定し、
文意をきちんととらえた上で辞書を引いて、正しい意味を選び出すこと。
受験勉強の中で学んだことの一つだ。


何か解らないことが出てきたとき、人はどのような行動を取るだろうか?
基本的には、3つに絞られる。

1) 書籍やネットで調べる。
2) わかってそうな人に聞く。
3) 特に何もしない。


ものをよく知っている人というのは、別に最初から知っているわけではなくて、
好奇心と、疑問に思う感覚から、調べて知っている。
片っ端から人に聞いて回るというのも、手段としては正しい部分もある。
自分一人では限界もあるし、正しいとは限らないから。
でも、何かがわからないときに、『何?』って聞くんではあまりに芸がない…

常々感じているのだけど、
安易に人に尋ねる人ほど、そのことをすぐに忘れてしまう。
今目の前に誰かがいて、その人が話題にしていることがわからないとき、
それは、疑問を持ち帰るより、その人に聞いてみた方が良い。
場合にもよるけれど、大抵はそのことを話したくて仕方ないわけだし、
そのことについて、きちんと説明してくれる。
それ踏まえて、相手が言いたいことも良く理解できるようになる。

聞くにせよ、何にせよ、意図がないとダメってことだ。
隣の人間に何となく尋ねることと、
有識者に会いに行くこととでは、同じ『聞く』でも全く違う。
後者はむしろ、調べるに近い。
大きなこと、例えば結婚式を挙げるのにいくら掛かるんだ、とか、
そう言うことに関しては、一生懸命調べる人も多いだろうけど、
日常ふとしたことに対してはどうだろう?
2)や、3)のような接し方をする人が多いような気がする。
それは、結局、気付いていないのと同じだし、
ぼんやり生きてるなぁ、っていう人は、そんなところが違うんじゃなかろうか。


楽しくコミュニケーションするコツのひとつは、
相手の話題とかぶらない話題をたくさん持つこと、だと思う。
もちろん、同じ話題で一致することも重要なのだけど、
僕は、これを持ってる、君はそれを持ってる、と、
お互いに見せ合うことが大事で、
君はそれ持ってる、それ何?それ何?それ何?それ…
では、コミュニケーションは成り立たないし、あまり楽しくはならないかもしれない。


世の中に、調べる人と、調べてもらう人がいるのではなくて…
調べてもらう人は、調べる人のおこぼれをもらっているだけなのだと。
自分で、少し動いてみるだけで、
本当にいろんなことを知ることができるのに、
それをしない人はもったいないなぁ、と思う。