乗り越えるとメンタルも強くなるのかな

何度も書いている話題だけれども(それだけ自分の中で消化し切れていないと言うことなのかも知れない)、メンタル的にやられてしまった去年の4月を境にそれまでとそれ以降とでは色んなことが変わってしまっていて、特に安定した仕事と収入を失うことになったのは本当に痛かったのだけれど、今振り返って思うと、5月から7月くらいの鬱々とした時期を経験して、以前よりもずっとポジティブな自分になれたような気がする。その経験があって良かったとは決して思わないけれども、追い詰められても早めに発見できればあの程度で収まるし、そこから復帰する道もあるし、楽ではなかったとしても多少の困難なら人生は何とかなるもんだということが解った。もちろん、もっとシリアスな、もっと強大な不幸や困難にぶち当たったとき同じことが言えるかというと全く自信は無いけれど、でも自分の力が回復するのを待ちながら前を見て道を探れば、きっとどこかに通じる道は見つかるんじゃないか。 いや、この僕の考え方を自分で気に入っていると言う話ではなくて、それが正しいかどうか解んないし、そうじゃなく、そういう考え方を持つことが出来るようになった分、それ以前と比べてポジティブな人間になったなーという感慨。前はそういう考え方が出来なかったと思うのよね。言葉でどう言っているかはともかくとして、根元の部分ではそこまで「何とかなるんちゃう」とは思えてなかったなあと。 こういうメンタルを持てたのもやっぱり早期発見、早期解決だったからかなー。「やばい!」と思ったときに全力で逃げる後押しをしてもらったおかげか。もう1ヶ月頑張ってたら、復活するのにもう何ヶ月か余分に掛かっただろうなあと思うし、その場合生活に行き詰まってただろうし。人生は微妙なバランスで出来ているのかも。

まとめ

  • 以前より少しポジティブな考え方ができるようになった
  • 早期発見、大事

追記

たまたま見掛けたこれ。ああ…… 【閲覧注意】精神的にまいってた時の奇行を聞かせて | うましかニュース

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年末大変

いまだかつてこんなに忙しい年末があったろうか…… 帰って色々して布団に入ると4時過ぎてる。ていうか、閉店から退店までの掃除の時間長すぎ。 今日なんて朝ご飯食べたら眠くて動けなくなって昼間でまた寝てしまった。 午前中は作業するつもりだったのに…… そういうわけで午前中の作業は全然出来てないし、ブログも全然更新できてませんが、ご容赦を。 明日くらいには少し余裕出来るかなあ。せめて1時には店を出れると楽なんだけど……

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仮眠に慣れて来た

少し前まで「仮眠」が苦手でした。「15分眠るだけで脳はすっきりするんだよ」と言われても、15分とか30分とか、いや1時間であっても、そういう短時間の睡眠が出来なかったのです。もともと眠りにつくのに時間が掛かるし(寝る直前までいろいろやってるからだと思うけど)、いざ眠ったら十分に睡眠を摂るまで目覚めたくなくなってしまうので。脳はすっきりしてるのかも知れませんけど、体の抵抗が半端なくて再起動に時間が掛かる感じ。 ただ最近はそれも慣れて来ました。 というのも昼食のあとに1時間くらいの仮眠をとらないと深夜まで集中力が持たないのですね。体力は何とかなっても頭が回らないのはいかんともしがたく、かといって午前中寝て過ごすことも深夜帰宅してすぐ寝ることも出来ず昼食後のわずかな時間に睡眠時間を積むしかないというどうしようもない状況で、体が少しずつ順応してきたというか。環境が変われば体も変わるもんです。 ……とか言ってたら今日はちょうど仮眠しようと布団に入った瞬間に上の階でDIY祭が始まって、電気ドリルと金づちのハーモニー。昼間のDIYに文句を言えるわけもなく、「この騒音下で眠れたらもうどこでも眠れるってことだし頑張って眠ってみよう」と自分に説得された振りをしたけど、、まあ無理でした。さすがに。 はわわ。

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味噌の仕込み 2013

アルコールで消毒しラップをしてビー玉でラップを抑えて蓋をして完成。直射日光の当たらない風通しのいい場所へ。 ここ最近2年間、自家製味噌で過ごしています。赤味噌など、特定用途のために味噌を買うこともありますが、日常的に使用しているのは自家製味噌。これがなかなかの出来で美味しく、原料は自分が好きなものを選べ、またコストも安いので、「もう味噌は自分で仕込めば良いよね」というのが我が家の共通見解になりつつあります。まあ多少は時間が掛かりますがその時間が捻出できるのであれば自家製味噌、オススメです。

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「シエスタ」のある生活に対する印象の違い

ヨーロッパではランチに1時間とか掛けるし、スペインではシエスタ(午睡/昼寝)の時間があるし、朝から晩まで場合によっては昼休みも切り詰めてきりきり働いてる日本に比べて優雅で良いよね、なんて思っていたのですけど、スペイン人の働き方をあれこれ聞いてみた結果、別にそれで労働が楽ってわけじゃないっぽい。 昼休みが3時間ある場合の1日のタイムスケジュールは、こんな感じ。

  • 朝9時 …… 出勤
  • 昼13時 …… 午前中の仕事終わって帰宅、昼食、シエスタ
  • 昼16時 …… 再び出勤
  • 夜20時 …… 定時、退勤
昼休みが3時間ある分、単純に拘束時間が長くなるんだね。それだけ。 実際に働いてるときには、間にシエスタが入ることで「4時間ずつの仕事になるから気分的にはすごい楽で、まだかまだかと短い感じしてた」と言ってたけど、うーん、習慣の問題ではあるんだろうけど、僕だったら昼休み1時間で良いからさっさと終えて家に帰りたいなあ。あとにやることが残った状態でのんびりするのはあんまり好きじゃない。でもスペイン人はそうじゃないんだな。シエスタ込みで、その長い仕事の時間を楽しむということなのかしら。 僕ら日本人はシエスタのことを「余り働かない」という印象で見ているけれど、スペイン人のシエスタの印象はそうではなくて、シエスタは「よく働くこと」の証。労働時間が短くなるわけじゃなく、「朝から晩まで一日中よく働くからそのために昼間少し休む」んだと。昼寝ってなんか優雅な印象があるんでいまいちピンと来ないけど、そういう文化なのだろうなあ。シェフに「今の君はスペイン人みたいな働き方だね」と言われて褒められてるのか注意されてるのか解んなかったんだけど、どうやら朝早く起きて別の仕事して、仮眠取ってレストランに来るっていう長時間労働を「スペイン人みたいに頑張ってる」と言ってもらってたみたい。 ああ、感覚が違うなあ。

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今日の夢(2013/10/27)

晴れ #sky #イマソラ 心と体を病んでいる女の子のお見舞いをする夢。自分の母親が体を壊して入院していた病院(註:お母さんは元気です。夢の話)に、その女の子はたまたま入院していて、話を聞く感じ。アルバイトで少しリスクの高いテスターをやったら、副作用で症状が出てしまった……みたいな設定だった。 一番心にきつかったのは、その女の子が大学自体に付き合っていた女の子をモデルにしていたことで、確かに当時の彼女は低体重で余り健康でなく、ときおり精神的に不安定になることもあって線の細い感じの女の子だった。生理もなくて、自分は子どもなんか作れないし、自分が好きではないから子どもを作るのは怖い、なんてことも言っていた。 夢だとわかってとても安心した。 現実の世界でのその女の子は、素敵な旦那様に巡り会って結婚し、妊娠して無事に出産し、子育てしながら自分の仕事にも少しずつ復帰していて、とても幸せそうに暮らしている。夢で本当に良かったし、彼女が今とても幸せそうで本当に良かったと思う。 ……ところで、夢の世界で入院していた母親の具合はどうだったんだろう。。

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そんな世界は嫌いだ。

個人の好みを押しつけられるのが嫌いだ。相談があるのならまだいい。個人の思い込みや「良かれと思って」を笑顔で押しつけられるのが嫌いだ。それを正義として説教されるのが嫌いだ。多少それからずれたことで、鬼の首を取ったように正論を語られるのが嫌いだ。正しいことに100%沿うのは素敵かもしれないけど、それが80%や70%になったところで死ぬわけじゃないし、例外が2件続いたとしてもベースが変わらなければどうということはない。たった直近2件の出来事で未来永劫、状況が悪化するような血の上り方を見ているとうんざりする。別に3件目で死ぬわけではなかろう。我々は密林でゲリラとして政府軍と敵対しているわけではない。 10代の頃、親からされる説教が嫌いだった。これは「親が嫌いだ」という意味ではない、親のことは大好きだ、反抗期だったというのもあるだろうけど、理屈として正しいことを子どもはそうすべきだという理路で延々語られるのはとても苦痛だった。「それは正しいが今の私には100%は受け入れられない」それが私の今の現状であるのに、その現状を見もせずに説得するために、延々と正論を語ること、要するに自分にとって大事なのは「私」では無く「正論」の方だ、ということに気付かないことが嫌いだ。もちろん大人になってからは親の説教も流せるようになったので、あまり気にならなくなった。実家と遠く離れているというせいもある。 それでも今でもそういう押しつけ、相手のことを考えている風で大して見ていない態度が嫌いだ。そういうことを繰り返されると心底うんざりする。そしてそういう押しつけが受け入れられないことに対して、「この人にはこれは受け入れられないのだ」と捉えられないことにうんざりする。誰もが他人の言うことをすべて受け入れて生きているわけじゃないし、自分が正しいと思うことを受け入れてもらえなくても仕方がなく、「相手が受け入れないこと」それ自体に文句を言うのは嫌いだ。自分の考えが通るかどうかは、相手が「うん」と言うかどうかだけに掛かっているという過信が嫌いだ。相手にだって好みと思い込みがあると想像できないことが嫌いだ。それを尊重できないことが嫌いだ。 そういう他人との違いと、「我慢する」と言う表現でしか共存できないことが嫌いだ。それは要するに相手が受け入れないから自分が被害を被っているんだぞ、という押しつけの上塗りでしかない。自分のスタイルならハッピー、そうでないなら我慢でアンハッピー。そういうモノクロ世界に生きるのが嫌いだ。正しくないだろうことを、それでも、それだからその人なんだと愛でることが出来ない世界は嫌いだ。正しくなければ明日死ぬ世界では、好き嫌い関係なく正しく生きなければならない。そういう場所も世界にはたくさんある。でもここはそうではないし、そんな世界は嫌いだ。

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