日本語にも「否定語」を先頭に出す強調構文があればいいのに

ふと思った、程度の話ですが。 英語の文章を読んでいると例えばこういう感じの文章に出くわすことがあります。

Never believe a person who says, “I never lie.”
日本語に訳すと、
「私はうそをつかない」と言う人を信じるな。
となるのですが、見た(もしくは聞いた)感じでは英語の方が強い否定を感じます。 この例文は命令文っぽいので倒置といっていいのかよく解りませんけれど、 先頭に否定の副詞を置くことでまず否定し、理由を述べるという構造がはっきりします。 日本語にはこういう言い回しは多分なくて、否定は必ず語尾で行います。 それはそれで試行経路に素直で構築しやすく便利ではあるのですけど、 責任範囲や自分の意見をはっきりさせておきたいときにはあんまり向いていません。 もちろん話す人の性格も反映しているのでしょうけど。 ただ「あれば便利なのになぁ」と思いつつ「現実的に無い」というのは、 歴史的にそう要望された結果のことなのだろうなぁという気もします。 本当に必要だったら作るだろうし、無くて済む社会だから今もないんだろうなぁ。 どうしてもというなら短い否定文(無理です、など)のあとに理由を述べることで、 目的が果たせないこともないですしね。考えてみれば。

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自宅に掛かってくる営業の電話に出て話を聞いてる暇など無い、というか暇があっても聞く気はない

出勤前の邪魔されたくない時間に2週連続でNTT西日本から電話が掛かってきて、 非常にうざかったので、腹立ち紛れに書いておくと、 今どき営業の電話なんか掛けられても話を聞く気すら起きないので、金輪際そんなことは止めていただきたい。 会社で受ける仕事の話ならともかく、自宅への電話で得るものがあったことなんか無い。 そんで多分これからもないし期待してもない。 今日の電話も、

  • フレッツ光ご契約2年が経過された方にお電話しております
  • また、割引のお知らせもございます
という内容なのだけど、そもそも月に600円とか支払ってないNTTの割引なんか興味もないし、 大体これに続くセリフ、
  • 5分か6分程度、みなさまお時間を頂いております
  • 今お時間の方、大丈夫でしょうか
みなさまが頂いてるかどうかなんかかしらねー! そんなもんメールででも送っておいてくれ。 お前らの都合で人の貴重な時間を自由に切り取れると思ってんじゃねえ! いやまぁ本当のことを言うと、「電話で案内のお知らせを伝える」とか「電話で売り込みをする」とかいうのは 社会的に見て「ごく一般的なビジネス形態」であり、 それをしたところでたちどころに怒られるような種類のものではない、と言うのはよく解ってます。 僕が嫌いなだけで。 でも、うざいものはうざい。 うざいと思うことすらうざい。 そんなことを気にしてたら商売なんか出来ないんでしょうけども、 しかし電話での売り込みに対する嫌悪感、年々大きくなってる気がします。個人的に。

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「断った」理由(ほぼ日刊イトイ新聞 今日のダーリンから)

・「ほぼ日」をはじめたばかりのころから、  「断られる」ということについて、考えていました。    仮に、小笠原くんが、なにかを提案したとします。  もう一方の東野くんが、それを「断る」としましょう。  小笠原くんは、その「断られた」理由を説明してくれと、  東野くんに強く言う、とします。  このとき、東野くんは、小笠原くんに対して、  「断った」理由を説明する義務はないのです。  ぼくは、そう決めました。  よくわかんないけど「断った」とか、  うまく言えないけど「断りたかった」とか、  「断った」理由をあなたに言いたくないとか、  ぜんぶ、オッケーなのです。    それは、つまり、理由はわからないけれど、  小笠原くんの提案には、東野くんが賛成するだけの、  「なにか」がなかったのです。
 
あーなんかその発想はなかったな。目から鱗。 続く文章も。
 「断られる」ことを考えに入れたプロポーズとは、  相手の自由を大事にすることだと思っています。  「相手を自由にさせすぎていたら、成立しない」  なんていう場合は、成立しないほうがいいくらいです。  ぼくは、そういうふうに思ってやってきました。  だから逆に、わりと「断る」ことも自由にしています。
カジュアルに断ることで、カジュアルに提案し、またカジュアルに受諾できるという好循環を生むのかな。 確かに、仕事でもプライベートでも、
  • 「頼んだらやってくれるはず」
  • 「少なくとも前向きには検討してくれるはず」
という心づもりでプロポーズすることは多くて、その分、断られると感情的になってしまうとことがあるかも。 まぁそんで「なぜ断るのか」の説明を求めるんだけど、別に理由を聞いても大して良いことなんか無くて、 あるとすれば自分の気持ちが多少は落ち着くだけと言うね。 そんなことしてないで、次案を考えればいいのにね。 感情的な部分が大きいので、そうだよねと思ってすぐにそうはなれないけれど、 何か大事なことを読んだ気がしました。そうだよね。 あと、糸井さんの凄いところは、合ってるかも知れないし間違ってるかも知れないけど、 自分がよいと思うことを、
ぼくは、そう決めました。
と決めて実行していくところだなぁと改めて。 間違ってるかも知れないから決めない、というのが世の中多すぎて、 だから間違っても後戻りできないことが多いんだけど、 それでもとにかく決めてしまえば、その先を見ることも、また止めることも出来るんだよね。 そうかそうか。

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営業の人の作り笑いが苦手で

仕方がないことだとは思うんですけどね… 営業に従事してる人全員がそうというわけでは全くないんですが、 一定の割合で笑いが全て乾いている人というのがいますよね。アレが苦手で。 本人は別に悪気はなくて雰囲気のために一生懸命やってるんだと思うんですけど、 聞いてる方としては、

  • 「あー聞いてないなー」
  • 「言いたいことあるんだろなー」
とかわかってしまうし、白けちゃう。 片方が一生懸命で片方が白けてるから、その雰囲気の苦さと言ったらもうね。 特に苛烈な営業を繰り返してる人は笑ってるのが音だけでちょっと怖くすら。 営業を受けてる人間の立場としては、別に笑ってくれなくて良いんですよ。 相づちをもらえるのは嬉しいけど、声出して笑ったり大袈裟に同意したりは要らなくて、 中身のあることを返してくれればそれでいいという。 …でもやってみるとその辺大変なんだろうなぁ。 自分では出来る気しない(苦笑) 魅力的な営業の人が作り笑いをめったにしないことを考えると、 作り笑いをすることなく会話の中身で雰囲気を作るのは、多分上級テクニックなんでしょうね。 んで、使えない人にとっては基礎テクニックである「作り笑い」(Lv2くらいで習得可能)を駆使して なんとか契約を勝ち取れるように頑張るしかないんだろうなぁ。

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地元が大好きな女の子たち

去年の末に友達の結婚パーティがあって実家の静岡に帰っていました。 友達は結婚して3年経っていたけれども多忙で結婚式の類をしていなかったので、 友人一同集まってサプライズになにかやってやろうじゃないか、という話で。 迷惑かな…と少し気になりましたが、結果は大成功で随分喜んでもらえました。 やってよかった。 んで。 その時にあった地元の女の子(新婦の友人)が、地元大好きで。 彼女たち曰く、

結婚するんだったら静岡出身の人じゃないと絶対嫌。
しかも1人は静岡に住むことに拘って、 結婚後も、静岡から羽田、成田、関空に出勤する鉄人ぶり。 (柔軟な契約のフライトアテンダントみたい) そんなに良いか静岡人。 確かに良い人が多いのは認めるけど、 他の土地の人にだって良い人はいっぱいいるもんだぜ…

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愚痴を言う

あんまり友達の特定のツイートにブログで言及したくはないんですが、結構気になっていたので。 先日ある友達が次のような趣旨のツイートをしていました。

仕事の愚痴を言うくらいだったら辞めちゃえばいいのに。 辞めちゃって自分が楽しいと思えることをしようよ。
「楽しいことをすべき」ということについては同意しますけど、 でも愚痴とは少し性質が違うのではないかなと。 むしろ、仕事を辞められないからこそ愚痴を言うんじゃないのかな。 恋愛の愚痴と同じで…「そんなに嫌なら別れちゃいなよ」といわれて、 「はいそうですね」と別れられるくらいなら、愚痴を言う前に別れてるよね。 もしくは、その一言のために愚痴を言うか。 それでも別れられない複雑な心情があってこその愚痴だと思うし、 通り一遍の内容ではないんじゃないかな。 人の心情ってそんなもんだと思うのです。

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コミュニケーションの方法がどうとかじゃなくてそもそも望まれてない場合もあるのよ、お嬢さん。

「お嬢さん」って書いてますけど別に特定の誰かに向けて書いてるつもりはないです。 何となく職場での自分の感じを考えるとそんな感じだなーと思ったので。 職場での僕は雑談というものをすることがありません。 出社して退社するまでの11時間ぐらいの間、ほぼ喋らない。 周囲の人間が嫌いとかそういうことではなしに、PCを使った作業全般に集中していたいし、 自分の望まない形で集中力を乱されたくないのです。 集中力を一旦失うと取り戻すのにある程度時間掛かるしね。 程度の差こそあれ、技術系の人はそういう集中したい部分があると思うんですけども、 職場には技術職が僕だけしかいません。だからまぁ何というかあんまり理解がないというか、 ちょっと話しかけるというような事もイヤフォンで「拒否」している僕は、 相当に気むずかしいと思われてるみたいです。僕としては公私の時間で態度を使い分けているだけで、 全然そんなこと無いんですけどね。 で、大体の社員はそのうち「ああそういうことね」と理解して合わせてくれるようになるんですが、 慣れない人は「なぜこの人はちょっとした雑談もしてくれないんだろう?」とかなるみたいです。 コミュニケーション能力がある人だとより一層。 自分はあんまり好かれてない、なんとかしなければならない、みたいな感じで。 でもねー僕はそれを望んでないのよねぇ。少なくとも、「今」は望んでない。 休憩時間とか飲み会とかなら全然違うけど、仕事中に作業を途中でぶった切って、 最近読んだ本の話に花を咲かせるとかありえないんすよね。 大体の人はどっかのとこで諦めてくれるんだけど、諦めない人がなんか空回ったりしてどうも見てらんない。 というわけで、

コミュニケーションの方法がどうとかじゃなくてそもそも望まれてない場合もあるのよ、お嬢さん。
まぁそう直接言ってあげれば良いんでしょうけども、めんどくさいんで思ってるだけ。 そのうちわかると思うよ。うん。

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言葉が見つからない

最近、言葉が見つからないことが多くて困る。 ああいや、歳を取ったという話ではなくて。 色んな人が辛い状況に面しているのが何かを通して見えているのだけど、かける言葉が見つからないというような。 僕は別に文筆家でもグルメレポーターでもないので、 言葉が見つからないことに特別に危機感を覚えるということはないのだけれど、でもそういうことじゃなくて、 声を掛けたいのに掛けられないもどかしさ。考えれば考えるほど言葉が出てこない。 書いては消し。消しては書き。 言葉が無くても思いやってあげられる距離なら良いんだけど、 何らかの事情があって画面越しになってしまう場合には、やっぱり言葉がなければダメで。 その状況では、言葉が見つからないことはすなわち「リアクション無し」になってしまうわけで… 力になってあげたくてもどうやって力になってあげたらいいかわかんない。 やっぱり歳を取ったという話なのかな。 グダグダ考えないで、相手が怒っても良いからスパッと言葉にしてみたら案外気持ちが届くのかも。 大丈夫じゃないだろうと思っても「大丈夫?」と声を掛けてあげることが、とか、 既に十分頑張ってると解ってても「頑張れ」「頑張ろう」とか。 何も考えていなければ、逆に上手く転がるのかも知れない。 わかんない。

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「名将」にも種類がある

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Numberは各ライターの方針が統一されているようでされていないので、あんまり1冊を1冊と捉えても仕方がないんだけど、つらつら眺めていて、「名将」と紹介されているリーダーは例えば次のような種類分けが出来るなと思った。
  • 己の理念がたまたまその時のチームに合致しただけの人。一発屋。
  • チームを成功する組織に変える人。対象によってコミュニケーション方法を変える人が多い。
僕が最初にこれを感じたのは、渡辺久信監督率いる西武ライオンズが優勝し、その理念を著書として出版した2008年末のこと。同書を読んだ感想は率直に言って、正解かも知れないし正解ではないかも知れない程度でした。「寛容力」による統率を良しとする選手もいれば良しとしない選手もいるわけで全てが同じではないし、そもそも「こうやってコミュニケーションを取ればチームを勝利に導ける!」なんていう大法則などあるわけない(全チームが優勝することはない)し、たかだか1年成功しただけで持ち上げるのはあほくさいなぁと。渡辺監督が悪いわけでは全然無いのだけど、監督が優秀なのか西武というチームが優秀なのかは微妙なところだし、有り難がって本を買ってる人はみんなダメな人間だろうなぁと思ってました。

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「誰とでも解りあえる」そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。

定義:

「解りあえている状況」とは
相手がなぜそう考え行動するのか理解でき、それに対して賛同できるような状況。
立ち止まってよくよく考えてみるとそれは幻想であることに気付くわけです。 同じ日本人であっても好き嫌いや生きる上での最優先事項や環境の違いや性別や年齢やイデオロギーが違うわけなので、それらが一致したり無視できるほど小さかったりするような「解りあえる状況」ってのはそうそうないわけです。実際問題「誰とだって解りあえるはず」と思っていたとしても、別に解りあえてはいないと思うんですよね。単純に相手が譲歩してくれているのを「解りあっている」と誤解していることはあるかも知れませんが。 だからどんなに言葉を尽くしても意見が一致しないことはままあります。人によってはそれが満足できずに「全てを」一致させたいという欲求を持ち、それが満たされないことにストレスを感じるようですが、共通していない部分さえも同一になるように変えていこうとするのはそもそも無理があると僕は思うし、まず解りあえないというところを受け入れるべき。 そんなことをこれまで何回か書いて自分に言い聞かせてきたような気がしますけど、それに加えて思うことがあります。1つは「解りあえなくても楽しく接することくらいは出来るしそうするとみんな幸せ…も無理」。もう1つは「解りあえない?だとしても何の問題もない」。

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