「はてなって煽る系の人多くないですか」

シェフが「落ち着いたらブログでもやりたいな、離れて暮らしてる二人の娘のためにも。なんか良いブログある?」と聞かれたので、機能より更新しやすさを考えて「はてなブログですかねえ」とオススメしておいた。以前書いた記事の繰り返しになるけど、今現在でもやっぱり何も知らない人が入りやすくてかつ長く使えそうなのははてなブログだと思います。まあ、ホントのこと言うとなれてしまえばどこでも使えるようになるし、友達が出来ればYahoo!ブログでも楽しくブログできるとは言えますけど、まあなるべく要らぬ苦労はさせたくないので。 そしたら、店のスタッフの女の子が。 「あーでもなんか、はてなって煽る系の人多くないですか?」 ファッ!? 「なんか、こうコメント書いて返信するスレッドみたいな奴とか……」 ああ、それ「はてなハイク」だよね。 「ああそう、そんなのとか日記とか」 はてなダイアリーとかはてなブックマークとかかな。 別にその女の子はネットに特別詳しいというわけではない(当然はてな界隈のことも知らない)、23歳の女の子なのだけど、その女の子から見て「はてな」というのは「煽る系の人たちがいるところ」という認識であると言うのを聞いて、一人でひたすらにやにやしてしまいました。説明しても多分解んねーだろうなーと思いながら、「まあ、昔はそう言うんだったけどはてなブログはもう少しフレンドリーな感じで違うよ」と答えておきましたが、いやまあ。 古参ではないけどある程度殺伐としていた時代も知ってる人としては、ニヤケを禁じ得ない。 そしてこう答えざるを得ない。 だ い た い あ っ て る だよねー。だよねー。 まあ、はてなダイアリーだってピースフルに利用していた人はたくさんいるけれどもさ。 はてなブログは参入障壁の低さもあって、そういう特別なムラ感は薄いけどさ。 まあでも、もう一回言っとこう。 だ い た い あ っ て る 俺だけ、超面白かったです。

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神様と災害の話

なんだかシリーズ化しつつあるスペイン人シェフとの会話ですが。 キリスト教カトリックの敬虔な信者であるシェフにとっては、震災とか災害とかが結構心に来るみたいで、「神様がいるとしたら、神様はなんでたくさん人が死ぬのを救ってくれないのだろうか?なんで無視しているんだろうか?今度神父様に聞いてみようと思ってる」というようなことを以前言っていました。確かに全知全能の神様がいるのであれば、その能力で災害を回避することも出来るかも知れません。 個人的には、

  • 人間を救うことが世界のためになるとは限らない
とか、
  • 神様はもっと遠い未来のことを見てるのかも知れない
とかも思うけれど、まあそれを日本語で説明するのは難しいし、そもそもとして僕にはキリスト教の神様のイメージがよくわからないんですよね。だからまあ、それについては説明するのは止めて、キリスト教ではなくて自分の「神様」観から見るとどうなるかなあということを考えてみました。 僕の考えたことを簡潔に書くと、
  • 神様にも出来ないことはあり、震災や災害は避けられなかったんじゃないだろうか
宗教に関して詳しい知識があるわけではないの、単なる民間信仰みたいなものだと思うんですが、なんというか、「全知全能の唯一神」というイメージが僕の中にはないんですよね。神道も(日本の)仏教もそんな感じですが、神様は1人ではなくたくさんいて、それぞれに役割がある。台風を呼び込む神様もいればそれを諫める神様もいて……それぞれ役割を果たしているだけではないのかなと。 災害を食い止めることが出来なかった神様は、その復興に力を注いでくれているのかも知れないし、次の災害を防ぐために頑張ってくれているのかも知れないし、それはわからないけれど……でもきっと、ただ無視して見ないふりしてた/してるわけではないんじゃないかなあ。 僕のイメージでは、世の中には神様はたくさんいて、今もってるこのスプーンにも神様はいると思うんですといったら、あまりにイメージが違いすぎて笑われました。まあそうなるよねー。理解は出来るよ、と言ってたけど。しょせん、神様を熱心に信じてるわけでもない日本人の言葉だしね。 宗教観の違いって難しいな、と思いましたです。

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「中国人の仕事」と「日本人のストライキ」

スペインにはそういう表現があるそうです。面白いなーと思ったので紹介。

中国人の仕事(Los chinos completa Shishi)

これは、面倒くさくてやりたくない仕事。例えば、白ごまと黒ごまが混ざった中から黒ごまだけを選り分けるとか、お皿にあけた米粒の数を数えるとか。使い方としては、
そんな中国人の仕事、やりたくないよ
みたいな感じ。 なんで中国人なのかはよくわかりませんけど、イメージで言うなら、移民として世界で苦労してる華僑の人たちは、人が嫌がるような仕事もどんどん引き受けていくことで、社会に溶け込んでいったんだろうなあという感じかな。アメリカでクリーニング屋というと韓国系とか、そういうのと同じことなのかなと。その結果としてなのか、スペインは中国資本が幅をきかせているわけで、中国人てすげえよなと思います。好きかどうかはともかくとして。

日本人のストライキ(Huelga de los japoneses)

一方、こちらは日本人のイメージの話。 ストライキというと通常はボイコットのことですね。「こんな給料じゃやってられないから、今日の午後はもうみんなで休んじゃおうぜ」とかそういうのが普通のストライキです。大規模になると、交渉の間業務を停止したりしますね。まあ日本では最近あんまり聞かなくなりましたけど。 で、「日本人のストライキ」というのはどういう表現かというと、「もっと働く」。 最初聞いた時は意味が解らなかったんですが、どうやら、会社が望む以上にもっと働いて給料を払わせて、会社を困らせてやろうみたいな抗議の仕方のことを言うらしいです。「俺らがストライキって言ったらさぼるだけだけど、日本人だったらこうするぜ」みたいな感じか。 この辺も日本人のイメージがあって面白いですね。中国人の目立ち方とはまた違いますが、ヨーロッパで基礎を築いたかつての日本人も、周りの人間の何倍も働いて成果を出し貢献することで、自らの価値を高めていったんでしょう。現代の日本人にそれが出来るのか僕はあんまり自信が持てませんけど、僕らが世界で働くとき……というか僕のように外国人と仕事をするような時でも、先人のそういった努力の恩恵にあずかっているんだなあと少し感慨深く思いました。 ちょっとしたスラングにも、文化的な背景があって面白いですね。

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昔々のそれはねーわ的な話

どこまでも晴れてるなぁ… 超個人的な思い出話。 大学の時の気の迷いとしか言いようのない恋愛感情をふと思い出したので。 友達の恋愛相談を受けてたんですよ。まあ相談というか、それぞれに抱えた恋心があって、僕は先輩、友達は後輩。僕の方は少し前に決着が付いていて、彼の方は現在進行形みたいな感じ。で、いろいろ話を聞いていたんだけど、今考えてもそれはねーよと思うんだけど、友達の話を聞いているうちに、その友達が好きだった後輩に感情移入してしまい、なんか可愛く思えてきてしまい。なんかの飲み会で話した時に踏み込みかけて、ハッと我に返ってねーわお前それはねーわ…… なんだろう、何をどう考えても、大事な友達が「好きなんだが」と相談してきた相手の後輩に感情移入するとかありえない。今見たら殴り倒したい感じ。どれだけ寂しかったんだ俺。誰でも良かったのか?まあ確かに可愛かったけど、それはねーわ。 まあね、今は関係者それぞれ別々の相手とそれぞれの人生を生きていて「そんなこともあったね」という感じなのですけど、そういえばこれ誰かに話したことなかったなー、でも過去の自分の過ちとは言え墓まで持っていくほどのことでもないなと言うことで書いてみた。 ……今でも、あのときの自分の感情はよくわからないです。 まあ、そういうこともあるか……

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出来ることと、出来ないこと ―― 指導するときの「見積もり」、指導される時の「整理」

新しいことに挑戦しているとき、次のような葛藤が生じることがあります。

  1. 自分自身が作る「そんなことは自分には出来ない」という壁が成長を邪魔しているのではないか
  2. 出来ないことを要求されすぎて、どれを最優先にやっていけば良いのか混乱しているのではないか
一般的には、「モチベーションが高そうに見える」という理由で1が支持されることが多いでしょう。すなわち、「自分には出来ない」という壁を作らず、なんでも積極的に新しいことにトライしていくべき、と。それが出来ないのは歳を取って色んなことを知りすぎているからだ、というのも事実であろうし、年を重ねてから始めることの成長が遅い理由の1つでもあろうと思います。 ただ、大学時代の人馬の調教から始まって、色んな指導する人/指導される人のコンビを興味を持って見てきた僕の経験で言うと、その「なんでもトライしていく」姿勢をポジティブに捉えることが出来るための一番の要因は、本人ではなく、その指導者が状況をきちんとコントロールできていることです。与える課題が多すぎず少なすぎず、本人の能力を少し超えたものをちょうど良く与えているという状況があってはじめて、無心でトライしろ、ということが可能です。 逆に言えば、指導者が適切に状況をコントロールできていない状況での「なんでもトライしていけ」というアドバイスは、それは単なる戦術無き精神論であり、成長のための指針ではありません。本人に「混乱の芽」が生じていることを見て取って、課題や優先順位を整理し、状況をよりシンプルにしてやることが必要です。 「これが出来るべき」「出来て欲しい」という要求も大切ですが、大事なのはそれが本人にとってどれくらいのレベルの課題であるかを測り、要求を我慢すること。上手く行っていない指導の過半はその要求が過大で、指導される側が混乱するか、自信をなくすか、モチベーションを落とすかという状況になっていると感じます。もちろんレベルの見積もりを誤って課題が甘過ぎても(要求が過小すぎても)それは良くないわけですが、指導者には通常「よく出来る人」がなることもあって、要求が過大になることが多いです。「これが出来たらあれも出来るようになる」と考えたくなる気持ちは解りますけどね。でもそれは出来る人であるから見えることで、目の前のことを1つずつ処理している人間には見えないことです。 指導される側に回ってみると、自分に課されている課題が1なのか2なのかはっきりとは自覚できないのですが、それでも指導者が状況をコントロールできているかどうかは、少し見えます。真面目な人であればあるほど、自分の状況を無条件に1だと判断して、闇雲に頑張ってしまいがちなのですが(僕もそれで疲れてしまったことがこれまでに何度も)、出来ることと出来ないことをきちんと整理し、自分にとって必要なことを取捨選択しながら、1つずつ課題をクリアしていくようにすることが大事だな、そう思う日々です。

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味噌の仕込み 2013

アルコールで消毒しラップをしてビー玉でラップを抑えて蓋をして完成。直射日光の当たらない風通しのいい場所へ。 ここ最近2年間、自家製味噌で過ごしています。赤味噌など、特定用途のために味噌を買うこともありますが、日常的に使用しているのは自家製味噌。これがなかなかの出来で美味しく、原料は自分が好きなものを選べ、またコストも安いので、「もう味噌は自分で仕込めば良いよね」というのが我が家の共通見解になりつつあります。まあ多少は時間が掛かりますがその時間が捻出できるのであれば自家製味噌、オススメです。

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「シエスタ」のある生活に対する印象の違い

ヨーロッパではランチに1時間とか掛けるし、スペインではシエスタ(午睡/昼寝)の時間があるし、朝から晩まで場合によっては昼休みも切り詰めてきりきり働いてる日本に比べて優雅で良いよね、なんて思っていたのですけど、スペイン人の働き方をあれこれ聞いてみた結果、別にそれで労働が楽ってわけじゃないっぽい。 昼休みが3時間ある場合の1日のタイムスケジュールは、こんな感じ。

  • 朝9時 …… 出勤
  • 昼13時 …… 午前中の仕事終わって帰宅、昼食、シエスタ
  • 昼16時 …… 再び出勤
  • 夜20時 …… 定時、退勤
昼休みが3時間ある分、単純に拘束時間が長くなるんだね。それだけ。 実際に働いてるときには、間にシエスタが入ることで「4時間ずつの仕事になるから気分的にはすごい楽で、まだかまだかと短い感じしてた」と言ってたけど、うーん、習慣の問題ではあるんだろうけど、僕だったら昼休み1時間で良いからさっさと終えて家に帰りたいなあ。あとにやることが残った状態でのんびりするのはあんまり好きじゃない。でもスペイン人はそうじゃないんだな。シエスタ込みで、その長い仕事の時間を楽しむということなのかしら。 僕ら日本人はシエスタのことを「余り働かない」という印象で見ているけれど、スペイン人のシエスタの印象はそうではなくて、シエスタは「よく働くこと」の証。労働時間が短くなるわけじゃなく、「朝から晩まで一日中よく働くからそのために昼間少し休む」んだと。昼寝ってなんか優雅な印象があるんでいまいちピンと来ないけど、そういう文化なのだろうなあ。シェフに「今の君はスペイン人みたいな働き方だね」と言われて褒められてるのか注意されてるのか解んなかったんだけど、どうやら朝早く起きて別の仕事して、仮眠取ってレストランに来るっていう長時間労働を「スペイン人みたいに頑張ってる」と言ってもらってたみたい。 ああ、感覚が違うなあ。

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