帰ってきました。

窓際の会第1回会合?みどり色に染まる?は、無事に終了。 様々な話をしつつ、しこたまお酒を飲みつつ、 うしのほねの料理に舌鼓を打ちつつ。 なかなかに満足です。つうか、眠い。おやすみなさい…。

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煙草と花粉症。

本格的に花粉症になってから、煙草の量が減り続けている。 別にね、禁煙してるつもりはないんだけど、 煙草を吸うと、鼻水がひどくなっちゃって、くしゃみが止まらなくて、吸ってられないの。 去年くらいから煙草の量が徐々に増えていって、 2月には、大体、1日1箱くらい吸ってたんだけど、 今はそうだな、大体1日5本くらい。 1箱が20本入りだから、¼…くらいかな。 この間、出勤前に吸ったら、残り少なくて、 『あぁ、どっかで買わなくちゃな…』 と思って仕事に向かったのだけど、それで1日もってしまった。 だからといってストレスが溜まるわけでもないし、単純に吸う量が減っただけで、 まぁ、健康的、というのだろうな。 花粉症が一段落して、毎日の花粉予報も、やや多い、や、少ないになるに連れて 吸う本数も徐々に増えつつあるから、 結局、期間限定の節煙にしかならなかったんだけど。 なかなか止められないよな、煙草って。 そのうち、止めるとか、止めないとか言いそうな気がするけど、 まぁ、今のところは、健康を害しすぎない程度に、ってことで。

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kimotinoii hi

結局、気が付いたら3時で、目が覚めたら13時半でした。実際に活動し始めたのは16時。うーむ。やはり、休日ってヤツは『消費される』モノになってしまってるなぁ。のそのそと布団から這い出して、珈琲を飲む。一息ついて、外があまりにいい天気なので、散歩を兼ねて御所を走る。夕方の御所は、犬好きにはたまらない環境…特に日曜日は、犬だらけ。八重桜が満開で、花見をしてる人も多く、にぎわっている中を走る。ふう。気持ちが良い。 家に帰って汗を流し、何となく家を片づけつつ、メールの整理などをしつつ、音楽を聴きつつ。

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孤独という環境。

僕は、比較的孤独に強い人間である。 これは、さっき、真っ暗な京都御苑の中をジョギングしながら思っていたことなのだけど。 完全な、孤独、ってヤツは、 日常生きていると、意外とない。 一般的に孤独って言われるようなこと、 例えば、部屋に一日中引き籠もっているとしても… それはあくまで、部屋の外との関係性の上に成り立っているんであって、 全く、完全に、自分だけ、という状況じゃない。 見た目、自分ひとりだけなんであって、孤独なんかじゃない。 昔、よく自転車で旅行をしていた頃(今でもしたいという気持ちはあるけれど)、 全くの孤独、という環境に自分の身を置くことが幾度かあった。 一般人は滅多に足を踏み入れないような山の中、 踏み外すと海へ真っ逆様な断崖絶壁(一応、自転車道ということになってはいた)、 行くも戻るも、大雨の雨粒の中、今日寝る場所も見つけられないような日、 まだ日も昇りきらない、湖畔の遊歩道、 何をどう考えても、半径何キロか以内には僕しかいない。 そういうときに感じる、孤独、という感情は、意外なことに、全く不安や恐怖には結びつかない。 もしかすると、僕自身が特殊なのかもしれないけれど、 誰もいない、およそ人類と呼ばれる生物とは、何の関係性もない、 そんな状況で、自分と『ふたりだけ』の状況というのは、 少なくとも、僕にとっては、この上なく心地良い。 もちろん、そんなときにトラブルが起きることもある。 パンクした自転車を引きずって、重量を減らす為に空気入れを積まなかった自分を恨みながら、 10キロ以上自転車を押して市街地を目指したこともある、 雨合羽が、ただの気休めにしかならなくて、 自分の体より荷物を優先して使ったことも、 そんなときには、誰かが助けてくれれば楽なのに、とも思う、 でも、誰もいなくても、自分はいるじゃないか。 そこで自分が諦めてしまったら、何も動かないし、 切り立った崖の迫るこの奥深い山を脱出するには自分で何とかしなくちゃならない、 それも、自分は心地良い。 完全に、全ては、自分次第なのだから。 僕は、そういう孤独が好きだ。 日常感じる孤独感というのは、決して、個人の孤独には根付いていない。 むしろ、孤独ではない、という関係性の上に成り立っている、 例えば、異国で言葉が上手く喋れないとか、 知らない街で誰も知人がいなくて、しゃべり掛ける言葉がないとか、 イベントで手持ちぶさたになって、音楽もさして面白くないとか、 本来あるべき、または希望する関係性が上手く成り立たないときに感じる孤独、 それは正確に言えば、孤独みたいなもの、孤独感であって、 孤独そのものじゃない。 自分だけしかいない状況ってのは、そんなに窮屈なものではないと思う。 きっと、世の中には、僕よりもっとずっと重い心を抱え、 ずっと深刻な孤独感に苛まれる人や、 本当に孤独である人も多くいると思う。 でも、それは、孤独であることが悪いんじゃない、孤独は悪さをしない、 重い心の内容や、悩みのせいに違いない。 あまり、孤独を責めないでやってほしい。 自分のことを、見てやれる瞬間なんて、実際問題、そうはない。

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人体は奥が深い。

先日より、ウェイトコントロールを再開した、ということはMUTTERでも書いているのだけど (途中経過は日記などをご覧下さい…いや見なくて良いです、結果だけ見てくれれば) その後のGUESTBOOKでのやりとりを通して、やはりダイエット、 というか、人の体というのは不思議なものだなぁ、と思った。 僕は、体重の問題について、 自分で理屈がはっきりしない形で納得するのはあんまり好きじゃない。 別に西洋医学至上主義というわけじゃないのだけど、 体がこういう風になる、というようなことをあんまり考えたくない、 なので、つい、『正しい食生活→体が正しくなる』という図式を否定したくなりがち。 そういう僕が支持できるのは、結局、 極めてシンプルな足し算と引き算、運動などによって、 取り入れたカロリーより、消費するカロリーを大きくすれば痩せるわけだろ? みたいな考え方。 在る意味で、それが体でも、コップでも同じというような見方。 一方で、そういう無機質的な見方ではなくて、 もう少し体側に立って、生命の維持を見つめるという見方もある。 それが要するに友人の主張なのだけれど、 食生活(特に夕食)に気を付けていれば、体に蓄積される脂肪が減り、 また同時に脂肪を蓄積しにくくなる、という主張。 (なぜ蓄積しにくくなるかが分からないのが僕は嫌らしい) 僕自身は納得しないけど、でも、明らかに経験にも裏付けられたことだし、 実際、筋肉を付けて、『燃費を悪く』しなくても、脂肪の付いていない人はたくさんいる、 そうしたことを考えると、やはり認めざるを得ない。 まぁ、あくまで僕は、体を動かすのが好きなので、 そして、自分に何かを課す、ということが好きなので(熱中している間は全く苦にならない) そういう視点で見がちなのだけど、世の中はそういう人ばかりではないしねぇ。 一つの目標に対しての方法論もいくつもあって当然なんだよな。 僕はあまりに自分で納得していて、あんまりそれに気付いてなかったんだが。 今回は、まぁ、民間療法的ないわゆる『ダイエット法』は、相変わらずスルーするとしても、 とりあえず体に良さそうなことは実践していく方向で。 まぁ、限界はあるけどね… (毎夕食を魚中心とか絶対無理だし)

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おまえら、おh…こんばんは。

ここが、一日にエントリが一個だと心配されるNOBODY:PLACEだ。 今日も色々頑張ってました。ええ。ひたすら、地味ーな仕事が続いて業務日報に書くことが無くて困ったんですけど。僕の場合、他のスタッフと違ってルーティンがないから、何か書かないとさぼってると思われるんじゃないかと、結構心配なんだけど、まぁ書くことがないのは仕方ないなぁ。淀に行っとけば良かったかなぁ。 まぁそれはそれとして、8時半頃帰宅。朝走れなかったので、着替えて走りに。気持ち良いなぁ、やっぱり。夜の御所は暗いんだけどね。不思議と、怖さがない。帰ってきて、風呂に入って、汗を流し、出てきて夕飯。ふう。一息入れようか。 明日は休み、夜は、職場の『窓際の会』(注:別に迫害されているわけではない)の飲み会で、うしのほねへ。それまでゆっくりしよう。髪切りに行きたいけどなー…

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