家族の話続き
ここ1ヶ月ぐらいで気になる発言が違う人から立て続けにあったので、こんな記事書いてました。「こだわりが強くて考えを曲げない男」
なんかねー昔からあるんですよね。
家族だけに限っても母親の中では今でも「だらしない長男」だし、妹の中では「偉そうにしてるけどだらしないお兄ちゃん」だし、父親の中では「なかなか社会にコミットしないだらしない長男」だし、まあ46歳になってだらしなくなくなりましたと胸を張って言う自信は無いけれど、自分が納得できることをしてきて自力で仕事を見つけて20年稼いできて、家も建てて、そのお祝いで奥さんの両親にお会いした場で「この子は何も出来ませんから」みたいなこといまだに言われるとさすがにクラクラするわけです。お前さあ。しょうがないけど。
僕が悪くいわれて怒っているのではない
奥さんと奥さんの両親は、僕の家族よりずっと近い場所で直近の15年を見てくれているわけで、もちろん奥さんは僕のだらしない部分もたくさん見つつ知りつつ、それでもそれと異なる部分も見て接してくれていて、仮に2人の生活にだらしない部分があったとして、どこからどこまでかが誰のだらしなさでどこからどこまでは2人で許容しただらしなさか、お互いにある程度把握し共有してるわけですね。簡単に言えば僕だけではなく奥さんにもある「だらしなさ」を2人で補ったり許容したりして今の生活が出来上がってるわけですよ。そこに「この子のせいで」と言及していったら、まあわかるよね。
遠慮とか謙遜とかそういうつもりなんだろうけど、必ずしもそうはならんのよ。だって実際の話、僕も生活を支えてるから。毎日買い出しに行き、週の半分はごはんを用意し、洗濯を一緒に干し、分担して掃除をしている中で「何も出来ない」といったらね。2人の生活の良くない部分を指摘したとき、それが全部僕のせいとは限らないということなのね。僕が批判されてイラッときてるというよりは、その謙遜が相手のためになってないということなんよね。
(本人にそのつもりはなくても奥さんを批判することになってしまっているのです)
そういうときはポジティブ方向でいって欲しかった。僕を褒めて欲しいというより、こっちを下げて相対的に向こうを上げるやり方ではなくて、素直に全体を上げてほしい。お祝いなんだから。この子がこうなれたのは奥さんのおかげです、だったらまだわかる。事実だし。そしてそれならポジティブをみんなで分け合える。僕がポジティブになった中の僕が自分で出来た部分以外は全て奥さんのおかげです。目の前の息子を見て話すというのはそういうことだと思うの。
この話をもし母親にしても、「ああこの子はプライド高いから自分のことを悪くいわれて気分を害してるんだな」以外の感想をもってもらえそうにない。ちゃうんやって。先方に失礼やろって。向こうは知ってるんだから。全部。
まあ、母親ってそういうもんなんでしょうけどね。
無意識かもしれないけど長い時間掛けて「復讐」されている
妹に関しては、お互いにお互いを面倒くさいと思っているだろうから、そもそもあんまり接点を持ちたくないんだけど、彼女がどう思っているかはわからないけれど、僕の側の印象としては長い時間を掛けて「復讐」されてるんだなあと思っています。子供の頃の妹に対する僕の態度はきっとすごく偉そうだったと思うんだよね。自分で考えてみても今と性格全然違うからなあ、わかる。兄妹の上の方ってたった数年先に産まれてきただけなのになぜかすごい優越感あるよね。そういうのが態度として出ていてもおかしくないし、18歳以降接点が殆どなかったからそれを軌道修正するタイミングもない。
で、大学をリタイアしたり仕事を辞めてみたりしている僕に対して、有名私立大学をきっちり卒業し一流企業に就職した彼女は社会的にも僕より遥かに成功した人間なので、「しっかりした妹」が「お兄ちゃんこうした方がいいよ」といいたくなるのもそれもわかる。もちろん僕の中には「うるせえよ」というのはありつつ、それとは別に、例えば「東京の感覚で喋られても地方都市では通用しない」というのもあって、文句を言いながら聞き流すというのが常。
完全に良かれと思って言ってる人には何言っても「こいつ話聞かねえな」と思われるだけだからなあ。特に妹には「お兄ちゃんはプライド高いから、何かいってあげても反論して聞いてくれない(でも私は言う)」みたいなことまた言われるんだろうな。前提間違ってるから話が全然通じてないだけなんだけど。彼女なら前提さえ合ってれば正しく指摘できるはずなんだけどなあ。兄として妹を買いかぶりすぎかしら。
まあ、妹ってそういうもんなんでしょうけどね。
決めつけて喋られるのはしんどい
書きやすいのが家族の話なので家族のことだけ書いたけれど、別に家族が嫌いだとかそういうことを言いたいんじゃなく、つまりはこういうこと。決めつけて喋られるのはしんどい
なんですかね、わからないことはわからないっていえよと思うんですけど、なぜだか「わかってる」と思うその「思い込み力」がすごいと思うのね。
母親にしても妹にしても「イッペイのことだからこういう暮らしをしているんでしょう」という想像上の僕に対してものをいっていることがすごく多くて、ここ10年ぐらい聞き流すのが面倒になるぐらい聞き流してきたんだけど、まあ結局は決めつけて喋られるのがしんどいって話。もう書いてた。
僕なりに人生設計した上で仕事を選んだり保険に加入したり貯蓄をしたり運用したりしてるし、生活環境や仕事環境に合わせてエアコンを買ったり室温をコントロールしたりしてるし、皆さんの知らない(ブログにもSNSにもわざわざ書かない)僕の生活ってのがあるのに、よくもまあ想像だけでそんなに偉そうなこと言えるなあと。
知らないことには基本的に口を出さない
僕はこの20年間、両親や妹の言ったことややったことを否定したことはないはずなんですよね。両親が(持病を心配して)新型コロナウイルスのワクチンを打たなかったとき、それでも打つべきだと電話口で言ったことぐらいかな。なぜなら僕は彼らのことを知らんから。妹がプライベートでいろんな騒動を起こしたときも、まあ僕は知らないので「お前が悪い」も「相手が悪い」も言いませんでした。今のご主人と職場の居酒屋に食事に来てくれて「良かったね」と言ったぐらいか。今も別に言うつもりはないです。詳しいこと聞かされてないし。聞かないし。わからないことをわかるために聞き取りをするのはわかる、でもわからないことを本人に確認してもないのに本人に何か言うのは、僕の中では無いんですよね。失礼じゃん。普通に。
さすがに僕も「失礼ですよ」とは言わないけれど、ま、距離取りますよね。わかってないことを自覚せずに、その上良かれと思って言ってくるのって人生においては完全にノイズで。Twitterの「FF外から失礼します」みたいなのと同じ。そりゃまあ「ツイッタラー」ならそれが行動原理だから別に良いけど、近しい人間は違うだろと思うんだよなあ。
今後も変わらない
家族の話を例にとって考えると、人はそんなに「わかってること」と「わかってないこと」を峻別して生きてないってことなんでしょうね。「わかってると思ってるみたいだけどそれほんとにわかってること?」みたいな疑問を自分に対して持たないのかもしれない。僕のそれは性格や育ちだけじゃなく職業的な癖もあるかもしれないし、誰もがそうじゃないんでしょうね。だからまあ今後も聞き流したり距離を取ったりしつつ「もう少しリアルな相手を見て喋ってほしいなあ」と思い続けるんでしょう。こりゃもう仕方ないんだなあ。
ということを、もう既に書いてたけどもう一回書いてみました。もう書かん。
連載再開!