子供の頃から同居していた叔母が亡くなって暴れる親戚がクズ過ぎる件について

教会・チャペルのイラスト
事実に反するまたは事実関係が曖昧な部分があったのでひとまずボツ
ボツにしていたが曖昧だった部分も結果的に事実になったので再編集して公開



先日亡くなった叔母を巡って、姉妹がやりたい放題暴れているらしい。以前ぼんやり濁して書いたことはあるんだけど、思うところもあるし1度ざっくり書いておこうかなと思う。






僕らにとって叔母とは

父にとっては姉であり、僕にとっては大学に進学して家を出るまで同居していた叔母であり(二世帯住居だったので正確には隣に住んでいた)、祖母が亡くなるまでは実家に帰ったらそこにいる存在だった人。子供の頃に罹った病気がもとで長く身体障害者であり、社会で働いたことがないことで世間知らずな面はあったものの、情緒豊かで純粋な人であり熱心なキリスト教徒でした。彼女から僕ら兄妹が受けた影響は小さくない。

愛称は「おばちゃん」。

なので僕にとっての「おばちゃん」という単語は一般名詞ではなく、固有名詞。



おばちゃんは長女、たかってたのが次女、三女、四女

で、そのおばちゃんが亡くなりそうだとなったタイミングで次女、三女、四女が大暴れ。


うちの実家にわざわざ電話を掛けてきて「血が繋がってないからあなた(母)は遠慮して」といってきたり(母がおばちゃんに対してどれだけ心を砕いてきたと思っているんだ)、まだ亡くなっていないのに神父を病院に呼んだり(おばちゃんは身体障害者であったためか親戚一同の中で唯一のクリスチャン)、葬儀は姉妹と父の4人だけでやるから部外者は来るな(一緒に住んでいて家族同然だった僕や妹も部外者になるらしい)、とにかくやることなすことめちゃくちゃで大騒ぎしていてうちの父親とクソ揉めているらしい。

最期の10年は介護付きアパートで独り暮らし。直接的に面倒を見ていたのは彼女らではあったけれど、その世話をしたのは弟である父であり、それまでの数十年間の生活を支えてきたのも父。にもかかわらず会わせようともしない。ほぼ軟禁状態。最後の数ヶ月は一言も喋らなくなり、最期の言葉は「(父の名前)ちゃんは元気かしらねえ」。そもそもお前らうちの父親抜きで何か出来んのか?今まで何か出来たか?相変わらず厚顔無恥が過ぎる。だいたい、亡くなった人を前にしてお前ら何をやってるんだ。


僕個人は法律上、特に相続の関係にないし父母が健在でいる以上口を出す場面ではないのだけど、数十年にわたって話し相手になり/なってもらい、一緒に食卓を囲み、誕生日を祝い、多くのものをもらい一緒に旅行にも行ったおばちゃんに、献花の1つぐらいさせてくれても罰は当たらないのではないだろうか。



合法的「生活保護ビジネス」

まあそもそも罰が当たるべきは、10年以上にわたって人道にもとる行為を実の姉に対して行ってきた姉妹の方ではある。しかも葬儀の席で取り沙汰されたのは残された財産の「分け方」だったらしい。今かよ。

彼ら曰く、


  • 預貯金は、次女、三女、四女の3人で分ける(父は?)
  • 実家の土地(祖父母がなくなったあと大部分を父が相続し売却して税金を払った)に一部あるおばちゃんの土地は売って金に換えて私たちによこせ
  • 父が預かっているおばちゃんの株も売って分配しろ


祖母の死後、「面倒を見る」という名目でおばちゃんの通帳を奪い(父からの「給料」と障害者年金を長年貯めてきたおばちゃんの唯一の財産だ)、名義上はおばちゃんだが実質的に父がやっていた印紙の販売業務の通帳も奪い(後に取り返した)、おばちゃんの体が悪いのを良いことに貯金を使い込んで「生活保護ビジネス」的なことを散々してきたやつらなので、死後、父や親戚が介入して悪事が露見するのを恐れているんだろう。財産を整理しその財産を使って葬儀を執り行い、残りを相続する寄付するなりとなった段階で、彼女らがどれだけ非道なことを繰り返してきたかが明らかになってしまう。


次女、三女はもう80歳を超え、四女も70歳を超えているはずだが、いくつになってもクズな人間はクズなままなのだなと改めて思った。強く思った。



熱心なキリスト教徒だったおばちゃんはきっと残った財産を寄付したいと考えているだろうし、父母はその意思を尊重するつもりだろうと思うけれど、でも残念なことに財産はきっと1円も残らない。



なお次女は痴呆が進行しており、自宅に届いたおばちゃんの弔電を葬儀に持ってこず、理由を聞かれると「私に届いたものだから」といって激高したらしい。やばい。三女はご主人が存命の時はかなり裕福な暮らしをしていたはずだが、なぜか国民年金保険料を一切納めておらず、年金を1円ももらっていないらしい。やばい。四女は……この人のことはあまり言及したくない。一番面の皮が厚くて一番狂ってる。



静岡にだってクズはいる

まあ、親戚がクズだって話はたぶん初めて書くし、祖父、祖母に続いておばちゃんも亡くなった以上僕は親戚とは一切の縁を切るし(父母の葬式も来ないでもらいたい)、今後一生書かないと思うんだけど。


比較的穏やかな人が多い静岡にも、こういうクズはいる。気の迷いで一時的に友好的になることはあっても、自分の事情で簡単に裏切るし、自分の利益を最大化するためにはどんなことも厭わない。祖母が死んだときも酷いもんだった。ここまでのクズは一生直らないし、文字通り死ぬまで直らない。思わず呪いの言葉を口にしそうになるが、安らかに亡くなったおばちゃんのことを考えるとそれもな、とは思う。

だが、クズはクズだ。お前らが死んでも僕は葬式には行かないし線香もあげに行くつもりはない。
(でも従兄弟はみんな良い人ばっかりなんだよなあ。だから血の問題じゃないのよね)



でも、おばちゃんはなあ。僕のせいではなかったけれど、でも彼女が苦境に立ったとき僕は何も出来なかった。だからせめて何も出来なくてごめんねって言いに行きたかったんだよ。キリスト教徒だから線香じゃないけど、せめてお別れぐらいはしに行きたかったんだよ。それが家族っていうもんなんじゃないのかな。