チャット型コミュニケーションに感じる違和感のやつ

メッセージアプリのイラスト
一部で話題になっていたらしい記事を読んですごく納得するとともに、これ若者以外にも広まりつつあるなと思ったのでした。というかごく最近同じようなことでモヤってたので






記事はこちら(抜粋)

最近の学生は突然、「ワーホリ行くならどこの国がおすすめですか?」みたいな、背景も条件も何もわからない連絡を送ってきたりする。そのことを先生に話すと、共感しつつ、興味深いことを教えてくれた。曰くあれは、「一発で全部書くのではなく、次に相手が質問してくれることを想定して、やりとりするつもりでいるんです」と。

なるほど、「まさにチャット文化だ」と思った。ぼくだったら、「お久しぶりです。実はこういう理由でワーホリに行くんですけど、もしこういう条件だったらどこの国がいいと思いますか?」みたいに必要な情報を一度に書くけど、若い子たちのチャット文化では、それは「長過ぎる」のだ。すごい納得した。チャット文化とメール文化の違いかもしれない。

だから多分、「ワーホリ行くならどこの国がおすすめですか?」と聞いてきた学生は、ぼくが「英語圏じゃなくてもOK?」とか「予算はどのくらい?」とか、そういう質問を返すことを想定してのことなのだろう。それで「チャットのやりとり」の中で最終的に目的が果たせればいい(おすすめの国がわかればいい)、ということだと思う。

若者とのコミュニケーションで感じた違和感の正体|中村洋太(ライター&コンサル)|note



この質問をする人間が期待しているもの

多分僕は中村さんと同じような感覚の人間なので、「最初の質問でもうちょっと条件を整えてくれたら、こっちの時間を浪費しなくて済むんだけどなあ」と思ってしまいます。というかまさに昨日同じセリフを口にした。質問を文字通りに捉えると答えようがないので条件をいろいろ想像することになるんですよね。


「村上春樹の小説でおすすめありますか? できるだけ短めの作品がありがたいです」とか言ってくれれば、相手が知らない人でも比較的答えやすい。しかし、「おすすめの本を教えてください」とだけ言われたら、ぼくは「本!!!!?」と叫ぶだろう。本!!!!?

最初からある程度条件を絞ってくれれば、わざわざこちらから「どんな条件かな?」なんて聞き返さなくて済むし、「そういう条件ならこの国がいいんじゃないかな」と一発で伝えられる。お互い、時間を有効に使える。

若者とのコミュニケーションで感じた違和感の正体|中村洋太(ライター&コンサル)|note


でもこれを読んでわかりました、そうか、その部分を僕に補って貰えることを期待してるのか。つまりそれ、AIチャットだよね。最近企業ページとかにある、LINEで質問するFAQみたいなやつ。ああいうのを期待してるのか。なるほど。そういう背景だったのね。



それでもやっぱり納得できない

というわけでこういう質問が出てくる仕組みとか、背景とか、感情とかそういうのは理解出来ました。でもっやっぱりさあ、思うんですよ。相手が答えやすいように整えるのも質問者の責務なんじゃないですかね。そういうのコミュニケーションだというと思うんですよ。


なんだろう、話をしててコミュニケーションについて誤解してる人が一定数いるなあと思うのは、そういう人ってチャット型コミュニケーションのように数多くの言葉のやり取りを繰り返すことが濃いコミュニケーションだと思ってる節があるんですよ。やり取りが多ければ多いほど密にコミュニケーション取ってる的な。

確かにそういう側面がある場合もあるけれど、でもコミュニケーションってのはその到達点(何をどれぐらいわかり合えたか)とそこに至るまでの効率の良さがコミュニケーションの円滑さだと僕は思うんですよね。時間は限られているのだから、なるべく早く到達出来れば時間内により深く進める。だから大事なのは内容の密度だと思う……そんなことを僕なら思うんですけど、もしかするとそんなに真面目に考えてる人ばかりではないのかも。質問を投げることは相手の時間を使うことなのだということについて考えも及ばない人がいるって言うね。



「相手が答えやすくなる質問の仕方」を考えて欲しい

質問とか気軽に投げて貰うのは別に良いんですよ。友人であれ薄い知人であれ知らない人であれ、なんらかの質問を投げられることそのこと自体はウェルカムです。でも、せめてこれぐらいは意識して欲しい。


LINEやチャットの文化にはもう抗えないから、ぼくらの世代ほどかしこまらなくてもいいけど、せめて「相手が答えやすくなる質問の仕方」は考えてもらえるとありがたい。そしてそれって結局、「想像力」の話につながってくるのかな。ぼくが文章を書くときも、「こう書いたら読者にこう思われるかもしれないから、こう書いておくか」みたいに、いちいち考えるから。

若者とのコミュニケーションで感じた違和感の正体|中村洋太(ライター&コンサル)|note


あとね、1つ言うと、中村さんが体験したような「若者」はまだいいと思うんですよ。中村さんのような大人や社会に出たあとに接する環境の中で「正しいコミュニケーションの取り方」を学ぶ機会があるし、それを受け入れる柔軟性もまだあると思うから。学びさえすれば彼らはコミュニケーション方法を選択するようになるでしょう。でも最近、中年以上の人の間でもこういう「相手に甘えた」コミュニケーションの取り方をする人増えてる気がして、それがちょっと。


たまたまですがこの1週間に2回、「そんな質問されても答えようがねえよ」という仕事絡みの質問を受けまして、まともに答えるとタイムチャージ発生するレベルだったので適当に返したんですけど、その相手は同年代以上の男性でした。おっさんですよ。自分だってそんな質問されたら困ると思うんですけど、多分これも、プロである相手にいろいろと質問をして欲しいという前提で書いて来た質問だったんですね。「取引先はどうなってますか」とか「このあとはどんな作業をやっていく予定なんですか」とか「それを使って今後どういうビジネス展開をするつもりですか」とかそういうの。知らんけど。


仕事だったら「条件が揃わないのでお答え出来ません」か「これ以上は有料になりますがよろしいですか」の2択で済むけど、普通の友人・知人とのやりとりだとそういうわけにもいかないわけで、先週の出来事があってなんとなく友人・知人にもイラッとしてしまいそうになってましたけど、そうか、これは質問してくれって言う合図なのねとわかってちょっと納得できました。構って欲しいと。やり取りしてる感を醸成しながら答えを見つけたいと。そういうことだったんですね。そういうことだってことがわかってれば今後はイライラしなくて済みそうです。



面倒くせえなあ……