なんかイチイチ書いてるとストーカーみたいだが(苦笑)
コメント欄を閉じた5日後の2/1よりコメント欄が復活していたようだ。

僕がこの件に注目してるのは、単に面白いからと言うこと以上に…
マスメディアに対してある程度の知識と意志を持つ人間が、
馴れ合いに成りつつあるブログの世界に入ってどうなるか、
ということに興味があるからだと言っても良い。


コメントを再開した2/1のエントリの中で西氏は、

匿名で日記を書いて、知らない他人に読んでもらいたいという気持ちは全く理解できない。
匿名で発言できることの問題は、正体が分からない(実際にはそんな都合の良いことは有り得ない)のをいいことに、顔を合わせてだと言えないようなことも思い切って言えることだ。結果的に、非常に過激にもなる。実名でも「メール」がそういう現象を引き起こしていると聞く。匿名なので思い切ったことが言える快感が楽しいというなら、それは結構だが、何か虚しくないかと思うのである。
と書いているのだが…
匿名に関して、いろいろと混同している気がする。


例えば、僕はこのサイトを、本名を隠すことなく運営しているわけだけど、
実際そのことは匿名性に関してなんの影響もない。
お互いに全く知らない人間にとっては、それが匿名だろうと、
多分実名であろうとたいした違いはないからだ。
ウェブ上で日記を書いて、匿名でない人間というのは、つまりは名を知られている人間であり、
むしろ、西氏のように(特定の自分として)とらえられる人間の方が珍しい。

どんなに有名なサイトであっても、
(例えば、面白いサイトを見つけたよ、とか)
僕はその運営者(中の人)がどんな人かは知らないし、
コンタクトを取る手がかりがそこ(サイト)にあることを除けば、
匿名と殆ど変わらない。
つまり、名前は分かるけれども、実質的に匿名なのである。
少なくとも僕にとっては。

でも、特にmixiなんかを見るとわかるけれども、
知らない人から見れば匿名に見える人であっても、
知ってる人にとってはその人は、特定の誰かであるということになる。
そうなると今度は、それは実質的にも特定の誰かということになる。
サイトを毎日訪問するのは、
今日も元気にやってるかな、ということだし、
当然このサイトを訪れる人の中にも、そういう人はたくさんいるはずだ。

結局、この場合の匿名、というやつは、匿名性がその形式に依らないという点で、
次に書く一般的な匿名とは違う。
一見匿名であっても、了解が取れている範囲内においては、
特定のモノになりうる。

また、広く一般的に言われるところの匿名、
わざわざコメント欄に『通りすがり』なんて書くような人たちのことだけれども、
それは確かに、先ほどの匿名とは違う。
本質的に匿名であり、殴られてもこちらから殴れない、という点が違う。

ただ、殴る手段がないわけではない。
コメント欄なり、エントリなりで反論または論破されれば匿名も痛いわけで。

身を隠した卑怯者、という言い回しはよく匿名に対して使われるけれども、
実際には、匿名でなくても、同じようなことは出来る。
書きっぱなしも出来るし、誤解したまま殴ることだって出来る。
反論しても殴り返せているかどうかは分からないし、
匿名ではないから読んでくれているというのは、単なる思いこみに過ぎないかもしれない。


結局、どのような形態の匿名にせよ、
いやむしろ実名(のようなもの)にせよ、
無責任な行動をする人間はそうするし、匿名でも節度を守る人間はそうする。

匿名が過激になり、それが集まるブログが炎上し、そうした文化を否定する…
というのはかなり使い古されたステレオタイプで、
もうなんか反論する気も起きないけれども、
そんなことは問題じゃないんである。
(むしろ、もっとやっかいなのは『実名』で過激な人たちであることを彼は知らない)

ウェブサイトというのは、暗黙の了解の上に成り立つ、基本、匿名の世界だ。
相手が、ID:5431だと分かっていたとしても、
それはIDを変更した途端に途切れてしまう、疑似実名の世界だ。

そう言う意味で、その性善説に基づく了解を突くような詐欺(フィッシング)が横行するのも、
ある意味当然ではある。
本来匿名であるのに了解によって実名であると擬似的に解釈させることがWEBサイトなら、
その了解を(デザインやサイト名などで)偽造すれば、解釈も偽造できる。
フィッシング詐欺を通して、僕らは、
その了解が正しいかどうかを確認することを求められ、
実名であるというけれど本当にそうなのか、ということを再認識する。


論点にすべきは、匿名か否かではないはずなのだ。
ネット上では、いつだって名前を捨てて逃げられる。
本名を偽ることも出来る。
使い分けることも出来る。

どれが匿名で、どれが本名か分からないのに、
そんな不確かなモノを基礎にどんな判断を下そうというのだろうか?

(これ以上広げると収拾付かないけれども)

むしろ、リアルの世界でさえ、匿名とは何か、という点について、曖昧ではある。
あなたの目の前にいる人間が、確かにその人間であるという証拠を、あなたは持っていない。
お互いの了解で、彼は彼としてあなたの前に存在しているだけだ。
その了解が不誠実なものであれば、
それは、実質的に匿名と同義である。

ネットや書籍や、そうした情報に基づいて、追跡できる人間なんてのは、そうは多くない。
全ての著名人、芸能人、コラムニストその他を数えたって、全人口の10%もいるだろうか?
それ以外の人は、知らない人間の前では匿名でいられる。
ネットであれ、リアルであれ。

匿名性を過大評価して、調子に乗るヤツが多いのは事実だが、
それを評価したり、または逆に否定したりすること自体が、既にナンセンス。
そういう点で、西氏も同じ土俵に上がってしまっていると感じる。

匿名なんて、ことさらに珍しがることじゃないのだ。

ネットなんてその程度のもんなんである。


西正が贈るメディア情報 [ITmedia +D Blog]

ところで、最新のエントリの中で、幼児2名の殺害事件に関して、
容疑者に対するマスコミの報道、
また、容疑者本人に対する取り扱いについて、
『弱者に当り散らす卑怯者には「見せしめ」が最も効果的だ。』
というような文章があった。

間違ってはないとは思うし、マスコミの扱いは本当に嫌になるけど、
でも、実刑が裁判で確定されるまでは容疑者だ。
それは仕方がない。
容疑者だが無罪が確定する人間だっている可能性があるからだ。

見せしめが必要だとは思うが、このタイミングでの発言は不適切だ。
容疑者はまだ無罪なのだから。
その見せしめをマスコミに要求するのは無理がある。
(甘ったれた報道は止めるべきだが)
むしろ、有罪確定後の、元容疑者のことをマスコミが報道しないのが悪いのではないの?

それに…最近の犯罪者は、
見せしめをイメージできなくなっているような気がする。
どんなに見せしめを与えても、与えても、与えても、与えても、
それをイメージできなかったら意味がない。
そのことが、精神病と繋がって意識されているのだと思うのだけど、
(だからといって報道でそう言えば済むという問題ではない)
その辺りの言及が足りないと思う。

見せしめが効果的であるとする証拠は?
人を殺しても何年かで出てくる法律で、見せしめ的に報道できる部分はある?
刑法を極端に重くする?

ちゃんと考えると、案外難しいのではないのかな。