面倒な話題を避けがち

サメの話しようぜ
最近ボツにするネタが多いなあと思いつつ没原稿を見返すと、大体は、時事ネタに対する自分の考えを途中まで書きかけたけど、微妙なラインを通りながら周りに配慮するのがだんだん面倒くさくなって、このままえいやっと書いてしまうか?それとも誰かに難癖付けられても面倒だし止めちまうか? → 止めちまうっていう流れ。もちろん言葉に出来ない、悲惨な出来事というのもあるのだけども。


書きかけて止めたのは韓国の話、選挙に行こうって偽善じゃねという話、自分の中学高校時代の教育の話、年金の話、京都中央卸売場の近くのBBQ上の経営母体の話、コンサルと知り合いの八百屋の話。最初から書く気が起きないのは吉本の話、京アニの話、など。


微妙な話をここで僕が書いたところで、露出するのはたかが知れてるし、Twitterで誰かに少し絡まれてブロックする程度の話でしかないのだけど、もうそういう一連のやりとり自体が面倒くさくなってしまってるんですよね。昔はブログ上で名指ししたりされたりしてたもんですが、多分性格的にそういうネットを通した議論スタイルが合ってないんですよ。感情的に批判することはないけれど、相手に感情的にならないと言うことも無理。建設的な議論の果てに一定の結論に到達したとしても、それで相手と仲良くなれるかというと多分距離を取ってしまう。

誰かが何かを言っているのを読んで自分で考える,というのは好きだけれど、直接何か言われたくはない。結果的に同じであっても、誰かに何かを言われて変えるのではなくて、誰かが何かを言っているのを読んで主体的に変えた……という立て付けでいたい。


昔はそれでも、みんなやってるみたいにネット上で議論戦わせた方がいいのかなと思ってやってたもんですが、歳も取ったことだしもういいかなって。面倒くさいし。今から知らない人に絡んでいくのもアレだし。TwitterなどSNSでの発言も含めて、別に今話題になってるお題に混ざっていく必要はないのよ。

それよりサメの話でもしようぜ。