aQuater of aCentury
もうすぐ、25歳になります。四半世紀生きてきた。 僕は25歳らしいか? よく聞かれる質問です。親の叱責も大概そこです。 でも正直、よくわからない。 25歳というのはこうあるべきだろう、というのは僕の中にもある、 だけどね、それにあてはまってなくて、けど好きな人は一杯いる、 あるべき姿と、ありたい姿が食い違ってもいいだろう? あなたの為に言ってるのよ? 両親は決してそうは言わないけどでもそういうことだし、そう言いたいだろうし、 もしかしたら後々後悔することになるのだろう(既に後悔していることも多々ある) でも、 僕が今、ちゃんとしてないから…だけではなくて、 あまり、今自分がどうあるべきか、について深く考えないようにしようと思う、 いいか悪いかは別にして、 取り敢えずやるべきことと、やりたいことを整理して、やるだけだ。 僕にとって、『25歳らしいかどうか』は、意味がない。 というよりも、世の中に過ごす誰にとっても、本当は意味がないんだろうと思う。 何が良くて、何が悪いか、 その判断を簡略化するために、そういう『物差し』はある、 でも僕は面倒でも、そういう簡略化をなるべく避けていたい、 時間は掛かるけど、いいものはいい、悪いものは悪い。 それだけは、僕が小さい頃から思い続けることだし、 今も思い続けることだ。 1月26日。 僕は25歳になる。 それがどういうことなのかは…僕にはわからない。 それだけしかわからない。