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わかるひとだけわかればいいけど。 参った。 ちょっとかじっただけだけど。 気持ちはわかる気がする… 偏見持ってた頃もあったがわかれば消える。 夜、部屋で読んでたらやばかったかも。 捨てたもんじゃねぇよな、世の中ってさ。
恐らく相手は気にしていない、というようなことを しばらく気に病んでいたんですが。 とりあえず、ようやく、自分的解決、にいたりました。 状況証拠や、勘だけじゃね、そうだろう、とは思ってても、 解決までには、至れなかったもので。 ネガティブな男ですからねー(苦笑) ネガティブってのは決して欠点ではない、と思うわけです。 石橋を叩いて渡らない、そういうのが必要なこともある、 常に対岸に渡り続ければベスト。そうじゃないのは、 生きていれば必ずわかること。 結果的に良かったかどうかなんて、結果的にしかわからないことなんで。 彼岸に渡る人を見送りつつ、こちらで頑張る、そんなこともよくあること。 唯一の心残りは…体力の限界で、見合うだけの何かを得られなかったこと?(笑) まぁ、そりゃ別に、もともと求めるべきことではなかったんだから、 ゼロはゼロ。 それ以上を望んでもね、 そりゃただ、男の意地になっちゃうだけだから。別に。 ひとつ、障害は取り除かれたかな… まぁ、まだいろいろと、考えなくちゃならんことはあるんだけど。 考えたら、同じ季節だね。そういえば。 ていうか、今日だし。 『夏の終わり』ってやっぱり何かあるみたい。 夏の夢に醒めて、やたらと甘えられても僕は困るんですけどね(汗) 自分の、望む方向へ、進みたいと思います。 ま、続きは、美味い酒でも飲みながら、ね。
このサイトも、そろそろ色々な語句でヒットするようになってきたんだが、 結構、苦笑いすることが多い。 一時期、セルフ・ポートレートという単語でヒットしまくっていた。 (→7/28 MUTTER 『セルフ・ポートレート』) それで検索をして飛んでくる人は恐らくこんなモノを期待しているわけじゃないと思うので… こっちとしても、ちょっと困ってみたり。 あと、根強いのは、『錯視』でのヒット。 (→7/29 MUTTER 錯視。。。) 今はもうかなり順位が下がった(現在、GOOGLE『錯視』で145位)ので、 これで訪れる人もいないと思うけど。 最近で言えば、DIARYにちょこっと出てきただけの、 MIE KASHIWAGI でヒットしてて驚いた。 1ヶ月に10本以上のDJをこなしてるから、相当に露出は高いと思うんだが… 何もその中でこのサイトがヒットしなくても(苦笑) SEOというと要するに、検索エンジン対策、なのだけど、 もちろんこのサイトはそんなことに一切エネルギーを使ってない。 といって、ロボット共に対して『収集するな』という命令も出していないので、 まぁ、更新頻度から言ってこの程度は当然かな、と思う。 いろんな人が来るのは、嬉しい反面、複雑でもあるけどね… まぁ、基本的にはあんまり気にしない、 ということで。
いまさらですが。 『ハルウララ、カワイイ?☆』 とか言ってる奴らは、死ね、と思います。マジで。 本来ならば行き場のない、 命を落とすことになったかもしれない一頭の競走馬が 自らの存在価値を見つけた、そのことは幸福だと思う。 しかし…『勝たないこと』を賞賛する精神は、不健康以外のなにものでもない。 はっきり言って、不快だ。 確かに、彼女は可愛いと思う。 しかし勝てない理由が示すとおり、気性が悪く、恐らくじゃじゃ馬だと思われる。 もしくは、果てしなくやる気がないか。 いずれにせよ、僕らが好いてるほどには、彼女は僕らを好きではないはずだ。 走っている姿にみんなが声援を送り、負けるとなんだか安堵する。 そんな光景を見ていると、吐き気がする。 彼女は僕らのおもちゃなんかではなく、 意志を持ったひとつの生物であり、 その意志の方向かどうかはともかく、日々、一生懸命走っている、 それが彼女の存在意義であるべきだし、 であるからこそ、スポーツは輝くのだ。 スポーツの世界というのは、 一握りの勝者と、圧倒的な数の敗者から成り立っている。 賞賛されるべきは勝者であり、 スポットライトが当てられようとも、敗者は敗者なのだ。 残酷であろうとも… であるからこそ、美しいのだ。 『流行』は、スポーツそのものを否定している。 全く、日本人らしい、と言わざるを得ない。
『改正高齢者雇用法』という法律が成立したらしい。 段階的に年齢が引き上げられ、2013年には、 希望すれば、65歳まで働けるようになるらしい。 老人力という言葉があった。 本自体は読んでいないが(そして確か趣旨も違ったと思うが)、 ややもすると、『老害』という言葉で高齢者を迫害しがちな日本、 経験や知識を豊富に持つ高齢者に、もう少し頼っても良いのかもしれない。 人間の能力として劣っているわけではないのだから。 定年後、働かない…という考えは僕にはまだあまりない。 きっと、ほとんどの日本人にはないような気がする。 働かずに暇な時間を持つことが、必ずしも幸せではない、気がする。 体が弱ってしまって今は隠居状態だが、 しんどくても、『ちょっと手伝ってくれや』と父親に言われる祖父は、 少し嬉しそうだった。 病気も痴呆もあるし、もう仕事はまかせられないけれど(もう90近いし)、 きっと、元気であれば、何かをし続けていることだろう。 仕事を奪うことが、高齢者を手厚くもてなすこと、ではないだろう。 日本の、社会のあり方が、少しずつ変わっている。
“友人”のK太郎さん(仮名)が、 自分の名前を呼べるようになったらしい。 両親は『Kたろうくん』と呼んでるにもかかわらず、 なぜか、『Kちゃん』と名乗るそうだ。 保育園の先生と、悪友どもの影響だろう。 将来が心配である。 それにしても、成長の過程を、見てると、人間てすげぇなぁ、と思う。 一緒に、生きてるんだよなぁ… 明るい未来でありますように。
抗えない、気持ち。
疲れてイライラしてる。 自分でもびっくりするくらいだ。 何もしたくないし、仕事が終わって上がった後も、帰りたくなかったくらいだ。 人に八つ当たりしてしまいそうなほど、苛つく、 それもさして理由もない(はずな)のに、だ、 怖くて人になんか会えない。 今日はこれから…69。 大丈夫なんだろうか…