下書きサルベージシリーズ「それは開発ではないと思うんですよね」

企画書のイラスト
下書きに入ったままなんらかの事情で記事にならなかったものをサルベージしてみるシリーズ。今回は、2015年10月1日に書きかけて書き上げなかったこちら。仮タイトルは「それは開発ではないと思うんですよね」になってました






きっかけはこの記事

UPQ(アップ・キュー)は、2015年6月に立ち上がったばかりのスタートアップだ。驚くべきことに同年8月に製品発表会を実施。スマホ、Bluetoothイヤホン、4Kディスプレイなど全17種24製品の販売をたった2ヶ月でスタートさせ、業界内外に衝撃を与えた。

弱冠30歳で家電ブランドを立ちあげた中澤優子さん「戦略を考えるよりも大事だったのは…」 | ハフポスト



中澤優子さんという女性が立ち上げた株式会社UPQ(当時)が、設立と同時に24製品を一気にリリースし、その6ヶ月後にはさらに19製品をリリースしてそのリリーススピードが注目されました。当時少し話題になったので覚えている人もいるかも知れません。新製品をリリースするのには一定以上の資金と時間が必要なのが常識のところ、設立したばかりで資金が極端に豊富とも言えない企業がいきなり多くの製品をラインナップしたのが新しかったのですが、その是非はともかくとして、その活動を「開発」という表現で紹介されていたことにすごく違和感があったんですね。



開発って言うかなんというか

記事内でこんなことを書いてるんですけど……


本来、メーカーに必要だった倉庫・工場を自社で所有せず、企画から開発、製造・販売まで完結できるようにした、ここが大きいと思います。

どれくらい売れたか? 仕入れればいいか? 先に決めてから、その分をつくって納める、というやり方。実際、自社で倉庫や工場を持たず、製造は海外の工場に委託し、販売はまずはDMM.make STOREに納めるという方法です。もし1年前だったらできていなかったこと。「今だからできる」というタイミングもあったと思います。

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簡単に言えば、中国製品の輸入なんですよね。


下書きではこんな感じで書いてました。

……今見返したら少しテキストが編集されてるんですけど、初稿では「2ヶ月で24製品を開発した」ということが大きく書かれていたんですが、記事内容を読む限りでは、少なくとも技術開発ではない。エンジニアリングではない。仕様書を作って中国に行き、それに合う製品を見つけてカスタマイズして流通に乗せるというのが仕事のあらましだと思うのですよね。よりカジュアルで、より柔軟なOEM。それがUPQのビジネスモデルであろうと思うし、日本の開発力の低下や資本の縮小、中国の台頭という現在の状況を鑑みるに、とても効率的でスピード感溢れるビジネス手法ですごいなあと思うのですけど、そういうのを「開発」と言われると、うーん。そして、「既存メーカーに出来ない開発」と言われると、うーん。そりゃ既存メーカーには出来ない開発スピードかもしれないですが、そもそも自社製品を設計開発しているメーカーとはビジネスモデルが違うので


このビジネスモデルを先取りしてやっていたというのは素直にすごいなと思います。

100均とかドンキホーテとかプライベートブランドとかAmazonに数多ある電化製品販売企業とか、先日少し話題になっていたmakuakeの「中国製品をさも新規開発したように見せてクラウドファンディングやっちゃう系案件」とか、企画書持って中国に製品を探しに行くビジネスモデルは、令和の時代ではごく普通の風景になっています。多分今だと必要な製品を探してきてくれる仲介業者なんかもいそうです。ニーズありそうですもんね。



僕が気にした理由もうひとつ

それは僕がエンジニアとしてバイトしてた某電動アシスト自転車販売企業(以下、自転車屋)が、全く同じようなビジネスモデルだったからです。やっていることは株式会社UPQと同じで、自分たちが欲しい電動アシスト自転車を製造できる会社・工場を中国行って探すわけです。そして工場が決まったらその製品に載せるデザインを自転車屋側でする。ブランド名とかカラーリングとか、パーツのカスタマイズだとか、載せるバッテリーのスペックだとかメーカーの指定だとか。で、それを向こうに送って作ってもらって製造できたら輸入して自転車専用の倉庫に直で納品。いやあ同じですね。

自転車屋のビジネスは2012年ぐらいから

僕が働いていたのは2014年11月頃からで、自転車屋はその時点で既に2年ぐらい営業してたのかな。そう考えると自転車屋の社長のビジネス感覚がいかに鋭かったかということがわかりますが、同時に自転車屋には技術力はまったくありませんでした。社長は自転車とは無関係のビジネス(繊維系)出身だし、会社にいるのは自転車をメンテナンスできる自転車技師だけ。電気系統の技術者はいないし、フレームをデザインできる人間もいない、本職のデザイナすらいませんでした(いずれも当時)。だから開発なのではなくて製造を委託して完成品を輸入する仕事なんですけど、やはりその自転車屋も「新製品を開発」という表現を使っていたんですよね。

サイトを覗くとデザインのプロセスみたいなのを書いててすごそうでしたが、やってるのは中国企業のデザイナでこっちでは見た目のチェックだけ。剛性の確認もお任せ。今考えても恐ろしいですね。事故になったことはないと思うので、ホントに良かったなと思います(もしかしたら日本の安全基準を取得するための試験とかあったのかもしれませんが、聞いたことはない)。



株式会社UPQのその後は

運良く事故なく今でも元気に営業している自転車屋とは違い、株式会社UPQはいくつかの製品で故障する、爆発する、スペックがちがうなどの問題が発覚し、製品開発にも行き詰まったのか設立から5年あまりを経て株式会社Cerevo(株式会社UPQの設立をサポートしたと記事内で紹介されている企業)に吸収される形で消滅することになったそうです。


2020年11月 – Cerevoに合併、権利義務全部を承継して解散することを公告した[23]。
2021年1月1日 – Cerevoへの吸収合併により消滅[2][3]。

UPQ – Wikipedia


2021年1月のこととのことなのでちょうど1年前ですね。中身が薄く、また同じようなビジネスモデルを採用する会社が乱立した中でよく頑張った方だと思います。持ち上げてちやほやしたみなさんはどう考えてらっしゃるんですかねとも思うんですけど、まあ、ビジネスの世界では稀に良くある案件なのでそんなもんかなとも思います。これで増資とかIPOとかまで行けてたらプロジェクトは大成功だったんでしょうけど、それでもまあ一定期間は稼げたと思うし良い商売だったんじゃないでしょうか。



まとめ:株式会社UPQを通して中国という国が見えた

株式会社UPQや以前働いていた自転車屋のビジネスモデルのことを今さらとやかく言いたいわけではありませんが、このビジネスモデルが当時は目新しかったんだというところに時代を感じましたし、同時に中国企業がこの10年でいかに発展してきたかということにも感慨を覚えました。昔は中国にあるのは製造業だけでブランディングを日本でするというのも可能だったでしょうけど、今は製造もブランディングも流通も全部中国企業が直接やっちゃう時代なので、株式会社UPQみたいなのは生き残れなさそうですよね。

中国という国はあんまり好きではありませんが、中国人という人々に対してはすなおに「すげえな」と思います。優劣の問題じゃなく、日本人にはそういうスタイルのあふれて浸出していくような発展の仕方出来ないですもんね。この4,000年あまりの間、繰り返されてきたことなんだろうなあ。


以上、かつてあった「株式会社UPQ」を通して中国という国が見えたという話でした。はい、そういう話でした。