スポーツは本質的には「遊び」であるべき

熊崎敬さんのNumberのコラムを読んで、思ってたんだけど上手く言葉に出来なかったことがスッと言語化出来ました。そうか、そうだったんだ。



オンラインで行なわれた亀梨和也さんのインタビューで、彼はドキッとするようなことを口走った。

「高校時代は何種類投げていましたか?」とたずねられ、こう答えたのだ。

「遊びまくっていた時代だったので」

 悪い遊びに走ったのかと思いきや。

「遊びまくっていた時代だったので。変化球で。縦スラで何種類も遊びで投げて、カーブでもナックルでもありとあらゆる球を投げていました」

 遊びまくったのは変化球。つまらないことを考えた自分を恥じた。

 微妙な握りも披露したインタビューで、もっとも印象に残ったのはたびたび出てきた「遊び」という言葉。ダルビッシュは野球を遊びながら、多彩な変化球を身につけた。このスポーツを遊ぶマインドが、日本には足りないと思う。

ダルビッシュの「遊びまくっていた」発言で思い出した“スポーツの本質” 山本昌のスクリュー、ラモスの空振り – MLB – Number Web – ナンバー


彼我の良し悪しはここではとりあえず横に置いておいて。



毎日走っているというと、こんなことを言われるわけです。


  • 頑張ってるね
  • 僕には出来ないなあ、すごいね
  • そんなに体追い込んでどうなりたいの?
  • ストイックですよね

んー。言われたときには適当な返事を返しているけれど、正直に言って全部ピンと来ないんですよ。


ランニング ジョギング running



楽しいからやってるだけです

今まではひとつひとつに対して「そうじゃない」と思ってきたんですけど、なんで感覚が僕と合わないのかといったら、そう、僕も遊びでやってるだけなんですよ。記事中にあるダルビッシュの「変化球の遊び」じゃないけど、


  • こんなフォームで走ったらどうかな
  • 前半のペースをこれぐらいまで上げて、後半流し気味にしてみたらどうなるだろう
  • 昨日長めに走ったし、このぐらいの距離で真ん中に急勾配入れてみたらきついかな
  • ロング走のあとにタイムトライアル入れて時計の変わり方を見てみよう

みたいなことをやって、自分の状態がどう変わるかとかどうなるかとかを見て、楽しんでる。自分にハードな課題を課してるつもりはさらさらないし、好きなことをやるってそういうことなんだと思うんです。つまり走ることが別に好きじゃない人にとっては、僕がやってることは「ストイックに自分を追い込む」みたいに見えるらしい。いや、全然違いますよ?


ランニングと全く関係ないことでも、


  • こういうご時世だけどあの辺の飲み屋街、大丈夫かな
  • 行きたいと思ってたカレー屋、あれどうやって行くんだっけ
  • 嵐山って今どうなってるんだろう

みたいなことも考えてて、それはスポーツとしての遊びとは違うかも知れないけれど、好きなことをやる動機にはなってます。そしてそうやって楽しんでやれてるからこそ、続けられるんですよね。


ランニング ジョギング running



昔は楽しんでなかった

考えてみれば今の走る習慣が身につく前のランニングは、体重を落とすためとか運動不足解消のためとかいう理由で、早朝頑張って起きて頑張って走ってました。走らないとダメなんだ、みたいなね。もしくはタイムだけを見て昨日より早くなった遅くなったというだけで、じゃあ走り方をどう変えたのかとか、トレーニングメニューをどう作ってどういう能力を伸ばしていくのか、とかそういうことは全然考えてなかったです。走ることの表層しか見てなかったし、「遊び足りなかった」。

当時も別に嫌々やっていたわけではないけど、今に比べたら全然楽しんでなかったし、案の定、数ヶ月で止めてしまっていました。決意して始めて、数ヶ月で挫折しての繰り返し。

それが今みたいに走るようになったのは、走ること自体を楽しめるようになったからだと思います。長い距離を走れるようになったということもあるけれど、走ること自体が楽しい。ゆっくりでもいいし、距離が短くても良いけど、自分の足で一定距離を移動するということそのものが既に楽しい。

ランニングが続かないという人は、きっと、楽しみを見つけられていないんだと思うんですよ。何か走ることに1つでも良いから楽しみを見いだせたら、いつも通るガソリンスタンドのお兄さんがイケメンとかでも、きっかけがイケメンでもそのうち自分の走りに興味が行き、案外続けられるんじゃないかなあと思います。



楽しむことを忘れないようにする

競技によっては真剣にやることも必要だと思うし、トレーニング中に遊んでる余裕がない場合もあるかもしれないけれど、でもやっぱりスポーツの基本は楽しむことだと思うので。厳しいトレーニングを課すような日でも、必ず遊びの要素も入れて楽しむことを忘れないようにする、そんなスポーツの仕方が出来たらいいんじゃないのかな。

まあ、楽しむことが基本なのはスポーツに限ったことじゃないかも知れませんけどね。「「スポーツをする」の「する」は英語に置き換えるとplay。「遊ぶ」を意味する単語だ」(コラムより)であるなら、playするものは世の中にたくさんある。競技全般、演奏、DJ、演劇、将棋やチェス、カードゲーム……生きることの側にあるものは全部「play」なんじゃないかと思うぐらい。もしかすると生きることさえも「役割を果たす」的な意味で「play」なのかも。


楽しむことを忘れたら、ダメですよね。

楽しんでいかないと。