と同時に読んでいて感じたのは、多分僕だけではないと思うんですけど、当時、彼の活躍を見ていた自分の状況です。僕の中で印象に残っているのは当時浪人生をしていた名古屋、名駅の河合塾の講師控え室前にあるモニターで見ていた野茂選手の活躍でした。
ただただ暇だった名古屋での浪人生活
前年、京都大学理学部1本に絞って受験して失敗した僕は、名古屋で河合塾の寮に入って浪人生活を送っていました。高校3年生の3学期に急激に学力を伸ばした僕にとって、模試はすべてぶっちぎりでA判定、勉強はすべて確認作業、目新しいことは何もなく非常に退屈な日々でした。かといって静岡から名古屋にやってきた僕には、同じく名古屋にやってきた少数の友人を除けば友達らしい友達はなく、状況が状況だけに恋人が出来ることもなく、受験生であることを忘れない範囲で淡々と過ごす1年、それが僕にとっての1995年でした。前年受験に失敗してしまったという挫折を引きずっている部分もかなりあったとは思います。実際勉強よりも、「機動警察パトレイバー」の単行本を集めるために名古屋中の本屋を回ったり(サンデー連載中だった「じゃじゃ馬グルーミン☆UP!」が心に刺さりまくった影響)、朝から尾頭橋にある名古屋ウィンズに馬券を買いに行ったりといった活動が僕の浪人生活のほとんどを占めており、とにかくただただ暇でした。
生まれてこの方野球と言えば高校野球とプロ野球しか見たことのなかった自分にとって、多くがデーゲームで行われるMLBはそれだけで十分に異質であり、その中で日本人である野茂選手が快刀乱麻の活躍をし文字通り光り輝いている。目標はあるけれどやらなければならないことはなく、緊張感もなく、これと言って講師に質問することもない中で、エアコンが効いていて野茂選手の試合が見れるというそれだけの理由で講師控え室前にいてMLBの試合を見ている自分にとって、モニターの中で躍動する野茂選手は僕にとっての希望そのものでした。
その後の僕
怠惰な浪人生活が受験に悪影響を与えることもなく、「じゃじゃ馬グルーミン☆UP!」の影響で理学部から農学部に志望を変えた(偏差値的に見れば難易度を落とした)僕は、翌年には京都大学に通うことになりました。入居したマンションでは衛星放送を見ることができて(受信料を払えという警告付きではあるけれど)、野茂選手の活躍も変わらず見ることができましたが、忙しい大学生活の中では、彼がボールを投げている頃、僕は朝6時からの馬術部の練習を終えて授業に向かうか学食で朝ご飯を食べておりなかなか見ることもできなくなりました。なので、2年目以降の彼の活躍は映像としてはあまり印象に残っていません。僕にとっての「野茂英雄」は今でも、名駅河合塾の講師控え室前で眺めていたモニターの中の存在であり、その姿勢で希望を僕に示してくれた存在のままです。彼が僕の人生の重要な決定を後押ししてくれたわけでは全然ありません。25年前のモニターでの印象は今の僕にとっては1枚の絵画のような状況でしかなく前後の事情やその後の想いなどは全くわからないのですが、5日に1回見られる野茂選手の当番を楽しみにしていたのは覚えています。学力的な意味では予備校に通う必要すらなかった僕にとって予備校に通うモチベーションにもなっていましたし、僕を社会に何とかつなぎ止めている「点」ですらありました。僕にとっての「新人の頃の野茂英雄」はそんな存在だったのです。
Sports Graphic Number 1009「メジャー挑戦25周年 完全保存版 こんな夜に野茂英雄が読みたい。」を読んで、なぜか、そんなことを思い出しました。きっと何人もの人が、僕と同じように、何かを語りたい気持ちになっただろうなと、そう思います。