あまり「不味い」という表現はしたくないんですよ
世の中に美味しくない食べものが多数あることは承知した上で、しかし現実的には絶対的な価値観としての「不味い」よりもその人の好みに合わないという意味での相対的な「不味い」がほとんどであると、個人的には思っています。作った人が美味しいと思い、それを食べて美味しいと思う人がたくさんいる食べものに対して、ただ単に僕の好みに合わなかったという理由だけでその食べものを「不味い」と表現してしまうことは、料理に対して傲慢だと思うのです。料理に対しては常に謙虚でありたいし、好みが合わない理由についても「塩っぱい」「苦い」といった具体的な表現で説明したい。そう思って日々生きているんですけど、先日いただいた料理に関しては、なんでしょう、「不味い」以外の表現が浮かばなくて食べた瞬間にしばらく絶句してしまいました。なんだこれ。
お前、本当にこれ自分で食べたのか?
いただいたのは冷麺。菜食料理の店なので、定番のハムだとか卵だとかは乗っていません。その代わりに油で炒めた野菜や茹でた野菜などが添えられ、大葉、胡麻、梅が散らされています。麺は恐らく中華麺。見た目は多少シンプルですがでも美味しそうです。まずはスープを……
!?
なんだこれ。
大袈裟に言うと味がありません。丁寧に言うなら、出汁そのものです。菜食ということで動物性のものは使えないので恐らく昆布ベースで少し椎茸、塩気も油も殆どなく要するに出汁。この薄さは水出しか?
いやあれでしょ、添えてある野菜と混ぜていただけばちょうど良い味になるんじゃない?
思うじゃん?そう思ってやってみましたけど、そもそも添えてある野菜が少なすぎて味が付くどころじゃありません。簡単に言えば薄い出汁に浮かんだ中華麺を食べる=この店の冷麺。そこまで至ってさすがに思いましたね、お前、これ、自分で食ったことあるのか?一緒に頼んだ焼き餃子(これも菜食かつ五葷抜き、つまりにんにくとニラなし)に付いて来た餃子のタレを入れてやっと食える。せめて酢ぐらい付けてくれ。
餃子は餃子で……
これはなんだろう、もしかしたら僕の好みが合わないだけかも知れないけど、水餃子か?というような厚めの皮にあっさり味のタネが少なめに入り、薄味のタレでいただく餃子はお世辞にも美味しいとは言いがたい。皮をタレでいただく感じ、イメージとしてはワンタンに近い。でもワンタンならもう少しタレに工夫が必要ですが、タレはほぼほぼ醤油。皮も特別美味いわけじゃない。タネは餃子と言うよりも味のないきのこの炒めもの。これで1個100円も取るのか。すげーな。金を返せとは申しませんが
これで俺、昼飯に1,200円も使ったのか。確かに「勉強」にはなったけどこういうお金の使い方は悲しい。例え口に合わなくてもポジティブな経験を積むというのは出来るはず、1,200円も出してただ中華麺で腹が膨れただけでした。これだったらスーパーでゆで麺買ってきて湯がいて塩して食っても同じだ。こんな料理を「どうですか、こだわりの冷麺でございます」と言って出せる面の皮の厚さは、僕には必要のないものです。ああいうのを持て囃す人がいても良いでしょう。好みってのは人それぞれですからね。でも食べれば自分がどれだけ不味いものを提供しているかは、料理を作っている人間ならわかるはず。それが堂々とあれを店頭に並べられると言うことは、そこにどこか、「このポリシーに従えばこういう味になるのは仕方がない」という妥協があると思うんですよ。料理を作る人間としてそれは許せない。ポリシーは譲らずにもっと美味しいものを作る人はたくさんいるし、それこそが料理人の腕の見せ所じゃないのか。なんなんだよ。
もう二度と行きません。