「『全然いい』は誤用」は迷信という話

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下書きに入ったままだったものをサルベージしてみるシリーズ。こちらはなんと2011年12月13日に書かれたまま、9年間も放って置かれたもの。その当時注目の記事になってて何か書こうとしたものの、時期を逃してしまって書きそびれたとかそんなことなんでしょう。記事中で参照していた記事が今でもまだ生きていたので、改めて取り上げてみます。


明治から昭和戦前にかけて、「全然」は否定にも肯定にも用いられてきたはずですが、日本語の誤用を扱った書籍などでは「全然+肯定」を定番の間違いとして取り上げています。国語辞典で「後に打ち消しや否定的表現を伴って」などと説明されていることが影響しているのか、必ず否定を伴うべき語であるようなイメージが根強くあるようです。

なぜ広まった? 「『全然いい』は誤用」という迷信|ライフコラム|NIKKEI STYLE


確かに「全然は否定的な表現と一緒に使う」と習いましたし、「全然大丈夫」は間違った使い方だとも習いました。国語の授業で習ったはずだと思うんですけど、それ、間違ってたんですね。いや国語教育として「正しい日本語とはこうです」という方針であるわけだし、国語の授業としては間違っていないんでしょうけど、日本語としては肯定的な表現と一緒に「全然」を使うのも全然アリ。しかも「そもそも流動的に変化していく言語に対して『正しい日本語』を定義すること自体が間違ってるよね」とか、「平安時代とか江戸時代とか昔の日本語では使われていたという話なんでしょ」とかそういう話ですらなくて、近代の日本語で使用が認められるのになぜか最近になって「全然+肯定」の使用が間違ったものとされたという話。


戦後を目前に控えた昭和10年代(35~44年)の資料に当たり「全然」の使用実態を調べることで、規範意識が当時からあったのか考察することにしました。

(中略)

採集した「全然」の用例を分類したところ、全590例のうち6割の354例が肯定表現を伴い、そのうち約4分の1に当たる85例が否定的意味やマイナス評価を含まない使い方となっていました。その中には「前者は無限の個別性から成り、後者は全然普遍性から成る」(日本語、金田一京助)といった著名な国語学・言語学者のものも含まれています。「本来否定を伴う」という言語規範が当時あったとすれば、これらは当然「ことばの乱れ」や「誤用」とされるべきものですが、多くの研究者が学術誌で規範に反するような表現を使うとはまず考えられません。

なぜ広まった? 「『全然いい』は誤用」という迷信|ライフコラム|NIKKEI STYLE


誰が主導したのかはよくわかりませんが、昭和20年代になって「正しい日本語」を規定しようとした人たちがいて、そこで「全然は否定的な表現と一緒に使うべし」と決めたというのが実際のところのようです。なんでなんですかね。理由は全くわかりませんが。



最近の辞書では

三省堂の大辞林第3版(2006年)では、諸研究を反映したのか旧版にはなかった「明治・大正期には、もともと『すべて』『すっかり』の意で肯定表現にも用いられていたが、次第に下に打ち消しを伴う用法が強く意識されるようになった」という記述が追加されています。

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ということらしいですし、オンラインで使用出来る「goo国語辞書」で「全然」を検索してみると、


[副]
1 (あとに打消しの語や否定的な表現を伴って)まるで。少しも。「全然食欲がない」「その話は全然知らない」「スポーツは全然だめです」
2 残りなく。すっかり。
「結婚の問題は―僕に任せるという愛子の言葉を」〈志賀・暗夜行路〉
3 (俗な言い方)非常に。とても。「全然愉快だ」

全然(ぜんぜん)の意味 – goo国語辞書


とあって、1番目に否定的な表現と使う使い方を上げつつ、肯定的表現と一緒に使う使い方も認めています。ニュース記事を「全然」で検索すると、多くのメディアで「全然+肯定」の表現をしていない(取材対象の発言やフリーライターによるコラムなどを除く)ので、メディアのルールとしては今でも「全然は否定的な表現と一緒に使う」ということになっているようですが、一般的には肯定的な表現と一緒に使っても何ら問題ない、全然大丈夫ってことみたいですね。


そうだったのかー。