失敗させれば良いんだと気付いた話

公園のイラスト
居酒屋で大学生に仕事を教えているとき、上手く話が伝わらないことがあって、なんでかなと考えた末、そもそも失敗したらどうなるかを知らないからリスクを伝えてもわかるわけがないという結論に至ったことがあります。「そんなの当たり前じゃん」と思うかも知れないけれど、教える人間ってのはそういうことやってしまいがちなんですよね。大事だと思うことを次々に教えたり、失敗しないようにあらかじめ柵を立てたりね。教える方は親切のつもりでも教えられる方にとっては鬱陶しいだけ。だったらリスクを教えるに当たって失敗させた方がわかりやすいんじゃないかなって。


もちろん大怪我に繋がるとか、お客様はじめ誰かに大きな損害を与えてしまうようなことはダメだけど、そういうシリアスなものでなければ、失敗とリスクを上手く組み合わせて教えるのが実は一番効率が良い。何でもかんでも先回りして過保護に線路を敷いてしまうと、いざ失敗したときになかなか動けないことがある。苦労してサポートして教えた結果それでは割に合わない。それだったら許容できる程度の失敗を繰り返させながら、成長させる方が最終的には効率が良い。本当の意味でのリスクコントロールってのは、リスクを無くすことではなくて、失敗が大きな損害に繋がらないようにコントロールすることなんじゃないかなと思う。



というようなことを思い出しました。

籾山さんによると、この公園は仕事場近くにあり、子どもどころか「誰も居なくなっている」とか。脇にはボール遊びや花火、大声を出すことを禁止するボードが掲げられているといいます。ツイートについて「この公園については僕は門外漢で、『たとえ話』として使わせて頂いただけなんです。ただ、僕はいま42歳ですが、さまざまなものが禁止されていくのをリアルタイムで体感してきた世代。子どもにとどまらず、『危ないから』『もめるから』などと、良かれと思って先回りして禁止したり制止したりすること自体の弊害を、問い掛けずにはいられなかった」と打ち明けます。

ボール遊びも大声も禁止…「そして誰もいなくなった」 荒れ行く公園が問い掛けるもの|まいどなニュース


色んなこと言う人がいるんですよねー世の中には。


今のマンションの前に住んでいたマンションは、目の前が教会で、放課後になると付近の小学生がたくさん集まってきてました。晴れた日には中庭でドッジボールやってたりするんですけど、それがもうね。声の限りを尽くして叫ぶんですよね。デジタル計測したら結構な音量だったろうと思うんですけど、それに文句を言う人は付近にはいませんでした。僕もそうだけど、まったく不満には思わなくて、むしろ「元気で良いなあ」と思っていたくらい。ただそういう人ばかりではないからなあ。幼稚園が出来ると聞いて「うるさくなるから作るな」と本気で文句言う高齢者とかマジかよと思うけど、少数派だとしても存在しているみたいだし、わからんなーと思います。

もちろん、子供は怪我すれば良いなんてことは思いません。僕は子供の頃公園で利き腕を骨折して苦労してるし、そんな怪我はなければないほど良いとは思うけれど、それはそれとして、先回りしてリスクを省いていくことが本当にベストかは考える必要があるよなあとは思います。リスクのある世界でそれに寄らないように見守ることがリスクコントロールなんじゃないかなと。公園を整備した人たちはそうは思わなかったみたいですけどね。


それにしても「子供がお腹壊すからかき氷を売るな」って。
子供がかき氷を食べないようにお前が見とけよ。