「京都に出店したからには京風、和風のメニューを用意する」と考える飲食店はちょっと待って欲しい

清水寺のイラスト
京都出店あるあるです。



飲食店が京都以外の地域から京都に出店するってことがよくあります。京都市自体は人口150万にも満たない小さな街なんですが、日帰りを含めた年間の観光客数が5,000万人を超える(うち日本人が4,470万人)ということで、売上を期待できると言うことなのかも知れません。



で、意気揚々と出店されるわけですけど、いざ出店してみるときっぱり明暗が分かれます。それがもう面白いぐらい分かれる。その分かれ目がどこかというと、タイトルにも書いた方針「京都に出店したからには京風、和風のメニューを用意する」かどうかで、「京風」に重心を置いてメニュー展開するような店はあまり大きくブレイクすることは出来ません。



なぜか?

まー京都市民の気持ちになって考えてもらえればすぐわかることなんですけど、例えば東京で有名なイタリア料理店が京都に出店したとしましょう。京都市民がその店に行く、行きたいと思う理由は、「東京で人気があるというイタリア料理を京都で食べられる!」ということです。ごく普通のイタリア料理を食べたいんです。食べて「美味しい!」と言いたい。

しかしそこで店が用意した料理がやたら京風だったとしましょう。「今日のスープには旬の聖護院かぶらをつかってみました」ぐらいなら良いんだけど、例えば前菜は生麩と湯葉、パスタは柚子胡椒、メインは鱧、デザートは抹茶ケーキみたいなフルコースになったりする。いや美味しいと思うんですよ。思うんですけど、でもそれ別にイタリア料理店で食べなくて良いんです。和食の料亭や小料理屋、和食系の居酒屋、和菓子屋などでもっとクオリティの高いものは食べられる。結果、1回は食べにいくかも知れないけれど、京都市民が「京風」を味わうためにリピーターになるなんてことはあんまりないです。



観光客がターゲットで良いのか?

もちろん観光客は喜ぶかも知れません。でもさー。自分が京都観光する身になって考えてみてください。京都に観光に来て、わざわざイタリア料理店に行きますか。僕なら行かないなあ。京都で行くところもっとたくさんあるもの。よっぽどノープランで来てイタリア料理でも食べようかなんてなったら別だけど、普通京都で最優先にはならないよね。

それに観光客ってのはほとんどの場合1回限りなわけです。その時限り。だから観光客が多いシーズンは売上が立つけど、少ないシーズンは売上が大きく減ってしまう。有名な寺社の門前町みたいな特殊な観光地であればそれでもいいけど、普通にまちなかで営業するのであればそれはつらい。経営を安定させるためには結局地元民の心をつかむ必要があるし、そのときやるべきことは「京風」じゃないはずなんですよ。どうしても「京風」がやりたければ、京都で得た知見や繋がりを生かして東京の店舗で「京風」メニューを出しなさいよ。それなら多分受けるでしょう。でも京都でやるのは違う。

そもそも超レッドオーシャンな、京都の観光客商売にわざわざ参入する旨味って小さいと思うんですよね。ただでさえ飲食店、死ぬほどあるのに。



京都でも自分の得意分野を発揮してくれたら良いと思います

俺たちは観光客相手に商売をするんだ、そこに京都のフロンティアが広がっているんだ、そう考える人たちは京都っぽさを追求してくれれば良いです。なるたけ観光客が来そうなところに店を出して、わかりやすい「和風」「京風」をアピールすれば毎日大賑わいでしょう。

でも京都で普通にやっていこうと思うのであれば、京都に来たからといって変に着飾るのは止めたら良いのにねと思います。中には和風食材を自由自在に使うスーパーなシェフもいるだろうし、ルーツが京都にあったり、京料理を学んだことがあるシェフもいらっしゃるでしょうし、個店には適用できない/一概には言えないのかも知れませんが、一般論としては、あんまり京都に媚びなくて良いんじゃないでしょうか。

京都外から来た人にとって京都という街は、京都への同化を求める圧力を感じる存在なのかも知れません。そういう部分が全くないとは言いませんが、ことカルチャーにおいては自らを否定してこない限りは新しい変わったものを喜ぶ傾向があるように思います。京都に住んだら京都人にならなくてはならない、というのはありがちな幻想です。いやいいんですよ、そのままで。僕ら京都市民はそういうものを望んでいます。


だいたい京都市民が京風を好むっていうの自体が幻想なんですから。京都市民だって日本人なんですから、日本人が一般的に好きなものを好きなんですよ。そうやって京都と関係ないものが溢れるようなカオスな街こそ、本当の京都だと僕なんかは思うんですけどね。