書くまでもないのを敢えて書くけどさ、仮にさ、喉に貼り付いたウィルスが30℃のお湯で死ぬんだとしよう。それが正しくても別に構わないけれど、あなたが生きているのであれば、あなたの喉は一般的に30℃以上だと思うのですよね。喉に限らず、表皮であってもどこであってもだいたいそれぐらいの温度なんですよ、生きている人間というのはね。もし30℃程度の白湯でウィルスを殺せるのであれば、僕らは新型コロナウィルスに感染しないってことなんですよ。考えるまでもなくそうなりますよね。
話が「体を温めて免疫力を上げる」とか、「水分を多く摂って代謝を良くする」とかそういう系統の話であればわかるんですよ。健康増進という意味では多分正しいけど今回効果があるかどうかはわからない、でもまあやるだけやれば?みたいな話なのでね。そういう意味であれば白湯を飲むことには意味があると思いますよ、でもさあ、そこに「30℃で死滅」とか書くの、デマにしても筋が悪すぎないか?誰だよそんなこと言い出すやつ。ほんとバカだと思うんですよね。
大衆を安心させるウソは必要、ただしもっと上手くやれ
僕はこういうパニックが起こりかねない状況では、ウソだって必要だと思っています。誰も被害を被らない、損もしない、多額を払うわけでも社会インフラが傷むわけでもない、そんなウソで大衆が落ち着くのであればそれがあっても良いんじゃないかと思うのです。そういう意味で「マスクをみんなで取りあう」というのは、「風邪の兆候を感じたひとが病院に大挙押し寄せる」よりもよっぽどいい。マスクで感染が防げなかったとしても、そこに安心があるならいいと思います。マスクメーカーが多少儲かるだけで、特に誰かが大損かぶるわけでもないですし。だからウソがあっても良いと思うけど、もっと上手くやって欲しいんですよ。普通の判断が出来る人にすぐバレるようなウソで、しかも馬鹿な人が「死滅させたから」とか言って外出しかねないようなウソは、大衆の利益にならないじゃないですか。せめて「白湯飲んで3日自宅待機すると良い」とかにして欲しい。そしたら、白湯に効果なんかなくてもその間に症状を見極めることが出来るし、その3日で症状が収まれば本人的には「白湯が効いたんだ」ということであっても、体的には「新型コロナウィルスではなくてただの風邪だった」ということになるわけですよ。
大方、人からの賞賛を浴びたい、注目を浴びたい人がこういうの考えるんだと思うんですけど、もう少し上手にやってください。社会に対して毒にも薬にもならないように上手にやってくれれば、こういう与太話にも十分存在価値はあると思うんです。例えば子供の罹患率は低いと言われているけれど、そんな数字では不安は取り除けないし、子供はきっと不安でしょう。適当な話であってもそれで子供が安心して学校に行けるならそれでいいじゃないですかね?
こういうときにセンスあるウソを付ける人がいると、良いと思うんですけどね。