僕の言葉ではなくて、月刊マガジンで連載中のフォーミュラ漫画「capeta」の中に登場した表現。



それがなんだかとっても印象に残り続けています。


主人公のカペタは将来を嘱望されるドライバー。その彼が激しいバトルの末、優勝を決めた場面で過去に言われた言葉を回想するシーンがあります。

優勝したとしてもドライバーにとっては上手くいかなかったこと、反省することはたくさんあるでしょう。だから優勝してなお「悔しい」という感情が湧くことはあるかも知れません。向上心のあるドライバーであれば一層。でもそこで優勝を喜ぶことよりも「悔しい」という表情を優先させてしまうと、その勝利に尽力してくれた仲間、その勝利を喜び分かち合いたいと思っているファン、彼らが喜べない。チームを代表している人間に課せられている「義務」は、勝利を勝ち取ることだけではなくて、素晴らしい結果が出たときには率先して喜ぶこと。嬉しさを爆発させること。そのことがチームの努力やファンの応援に報いる一番のことなんだ……そんなシーンでした。


この話はチームの代表者たるフォーミュラのドライバーの話ですが、同じようなことは様々な場面に当てはまると思うのですよね。例えば…サッカーのゴールとか。ゴールを決めた選手は必ずとても嬉しそうにサポーターに駆け寄りますが、決めた選手がそうして喜んでくれることでそれを応援している僕らも一緒に喜べるわけです。せっかくゴールを決めたのに、渋い顔をして周りの選手と打ち合わせでも始めてしまったら、見ているこっちだって気持ちよく喜べませんよね。

MLBではホームランのあとのガッツポーズは御法度(投手へのリスペクトを損なうと考えられている)ですが、だからといって求道者のように憮然としているかというとそうでもないです。打った直後やベンチでは喜ぶ。結果が出たときには素直になるべく派手に仲間やファンと一緒に喜んで、そしてまた次に向かう。向上心を持つ人にとって「満足」は敵なのかも知れませんが、自分が心から満足し喜んでしまうかどうかとは別に、周りの為にも感情を表に出すべき時はあると思うのですよね。


僕ら庶民の話で言えば…例えば、美味しいものを食べたときとか。

僕、ものを食べたときに、これはどこどこより美味しいとか、これだったらあの店の方が美味しいとか、味付けがどうこうとか、そいうことを真っ先にごちゃごちゃ言う人嫌いなんですよ。美味しいものはまずは美味しいでいいじゃないですか。美味しいの序列があったとしても、一定以上はとりあえず全部「美味しい」で良いと思うんですよ。それで同席者も店の人もみんな幸せになれる。喜びを分かち合える。「美味しいね」って言えるんです。なにかあるならその後で良いじゃないですか。そういうのって大事だと思うんですよね。


そんなことを思ってます。

喜ぶのって、一人一人が考えているよりもずっと大事だと思うんですよ。