放送作家が、視聴率を求められ、視聴率を求めるのは仕方がないと思う。
視聴率で放送局の広告料が決まり、
視聴率で放送局の収益が決まる関係上、
視聴率で自らの報酬が決まっても当然ですわな。


でもね、それって、そのー視聴者には関係ないわけですよ。

『最近のドラえもんが変わった』
『面白くない』

と批判されたときの言い訳が、

『そうは言っても視聴率が…』

では、はっきり言って、話が噛み合ってないわけで。



  • 視聴率の論理

    • (A)番組が面白い → 視聴率が上がる



  • 放送作家(放送局)の論理

    • (B)視聴率が高い → 収益が大きい



  • 視聴者の論理

    • (C)番組が面白い → 見る(≒視聴率が上がる)

    • (D)番組が面白い → 喜ぶ


  • 発展

    • (A')視聴率が高い → 番組が面白い(Aの逆)… 真とは限らない

    • (D')視聴率が高い → 視聴者喜ぶ(A'+D)…真とは限らない




視聴率は、放送作家にとっては大事なものなんだとは思うけど、
あくまで、放送作家の物差しであって、視聴者の物差しではないわけだ。
そんな言い訳されても、知ったこっちゃない。

放送作家の論理は、A?Dを基礎にした、
飛躍を交えた論理A'およびD'によって裏付けられているわけだが、
その飛躍の部分が納得できない人間には、通用しない論理なわけだ。
視聴者は、常に満足してテレビを見てるわけじゃないから。
不満だけどそれしかないから見てる人だっているだろうから。
つまり、視聴率は、『満足してみている人の割合』ではないので、
視聴率と、番組内容批判とは、共存しうる。
視聴者は、業界人じゃないので、視聴率の高さで黙ったりしない。


だから、少なくとも視聴者とコミュニケーションする中においては、
視聴率の話と、番組の内容の話とは、分けて考えるべきだ。
(D')を真と仮定してする話には、やはり結局、違和感が残る。

というのは、
本当は、面白い(≒質が高い)番組を作ろうとしてるのだけど、
(D')を見る限りでは、その要素に関しては、
視聴率を迂回することで、無視されているように見える。
(放送作家が本当はどうであったかはここでは問題ではない)
それはそのまま、作品そのものを見ていないという疑念に繋がり、
(実際には、そんなことはあり得ないと信じたいけど)
自分が何を作ってるか分からないから、
ああやってなんでもありの番組にしてしまうんだろう、という結論に至る。

本当はどう言うつもりかなんて、視聴者には分からんけれども、
少なくともあなたの言動はそう見えますよ、ってことだ。
自らに内在する矛盾に、全く気付いてなさそうだしね。


一方の口で、視聴率を取るのが仕事、みたいなことを言い、
もう一方で、番組の質を求めるのが大事、みたいなことを言い、
さらには、自分だって涙をのんで質を落としていると言い。

逃げ回る言動ってのは、
煽りまくる勘違いと同じように、
炎上を招くよな。

視聴者は、完璧、ドラえもんが好きな人達で、
対象は凄く絞れるわけだから、
もう少し建設的なコミュニケーションを築けた気がするんだけどなぁ…

人気投票で過去の作品を放送するとか、
是非を投票に掛けてみるとか、

何とでもやりようがあると思うのに。
(投票するだけで実際に動かなくても意味はある)
最高のコンテンツを、全く生かし切れずに、
足の早い時事ネタだけで、浪費してるだけな気がする。

もったいねー。


むしろ新作を作らずに、
昔の放送をローテーションするだけで数字取れると思うよ。
コスト考えたら利益率はよっぽど高いし。
色々変えてみるなんてのは、案外、
作り手の自己満足なだけなんじゃないの?

リアル『くうきほう』はグッと来たんだけどなぁ…